2012年12月30日

元狭山村の「逆さことば」


元狭山村の言葉は、大きく分けて「公家ことば」「武家ことば」「禅寺ことば」「小田原ことば」「地方からの導入ことば」に分けられます。

「逆さことば」とは、以前に紹介した「座間をみなさい」など、現在使われていることばの逆さまのことばを意味します。

その中から、文学界の謎を解く元狭山村に伝わることばを紹介します。

関谷和著「子どものころ聞いたことば・話していたことば」埼玉県入間郡元狭山村(二本木)の方言覚え書きより

<引用開始>
でく
名詞 人形 ・赤い帽子、赤い服、手足がつけ根のところからばたばたと動き、ぱっちりとした大きい目、小さな赤い口がプリントされていた。祭りの屋台店に並んでいた姿を思い出す。また、宮沢賢治の詩の一節、「みんなに“でくのぼう”と呼ばれと云うのも思いだす。女の子たちは真っ黒によごれたこの「でく」をおぶい(おんぶし)“ままごと遊び”では、赤ちゃんにしたり、お客様にしたりしていた。
<引用終了>

宮沢賢治の「雨メニモマケズ」
「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体をもち
慾はなく 決して瞋らず

いつも 静かに笑っている
一日に 玄米四合と 味噌と

少しの野菜を食べ
あらゆることを

自分を勘定に入れずに
よく 見聞きし 分かり

そして 忘れず
野原の 松の林の 陰の

小さな 萱ぶきの 小屋にいて
東に病気の子供あれば

行って 看病してやり
西に疲れた母あれば

行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば

行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、

つまらないから やめろと言い
日照りの時は 涙を流し

寒さの夏は おろおろ歩き

みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ

褒(ほ)められもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい
<終了>

「東に、西に、南に、北に」関しては、聖書のことばと重なりますが、今日は解説しません。「逆さことば」の「でくのぼう」に集中します。

と言っても、決して難しくないと私は考えます。宮沢賢治がキリスト教の影響を受け、救済心からこの一文を書いたことは、「銀河鉄道の夜」からも読みとれます。

キリスト教は仏像のような偶像を崇拝することを禁じています。一方で、宮沢賢治は熱心な仏教徒でした。

これらのことから類推すると、宮沢賢治が「キャラクター」になりたい、と考えていた結論を導き出すことができます。

現代にミッキーマウスや、さまざまな愛するべきキャラクターが存在するように、宮沢賢治は、自分を「施し」のキャラクターとして位置付けたに違いありません。

元狭山村の「でくのぼう」は、間違いなく愛するべきキャラクターです。
少しずつですが、元狭山村ことばの分析が進んでいます。秩父や、青梅の天領(公務員用地)の人たちとも連絡が取れてきました。

何回も書きますが、宮崎駿監督はこのように記しています。

映画「千と千尋の神隠し」のパンフレットより
<引用開始>
ボーダレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間は、過去を持たない民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰われるまで玉子をうみつづけるしかなくなるのだと思う。
<引用終了)

幸いなことに、関谷和氏や、方言を研究する会などが、過去の元狭山村や秩父に伝わる文化研究の成果物を残してくれています。私たちはそれを、次の世代に引き継ぐ役割があると考えます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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