2012年08月26日

クリスチャンとして教会で証したこと(2012年06月16日掲載)

ただいま牧師から紹介いただきました中村です。

主イエス・キリストとともに臨む、週に一度の日曜礼拝と、年に一度の感謝祭の交わり、そして8月に神から授かった牧師の子    さんの献児式が行われるこの日に、十字架の前で、私のクリスチャンとしての「証し」が行えることを、神に感謝するとともに、牧師、及び教会関係者の方々にお礼を申し上げます。

短い時間ですが、「神は私を愛してくださっている。神はいつも見ていてくださっている。」という、私に訪れた「本当にあった話」を皆さまに伝えたいと思います。

聖書には、「さまざまな試練に合うときは、それをこの上ない喜びとしなさい。」「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りなさい。」(ヤコブの手紙一章)と書かれていますが、私は今まさに、試練と貧困の中にいます。
現在(2011年11月)、母が所有する農地の、電気も水道も無い、6畳、18平米ほどの納屋に、ホームレスとして一人で暮らし、既に二ヶ月が経ちました。

私は、現在56歳です。私は、これまでに三度、心の病気により自殺の危機に追いつめられたことがあります。

最初は大学生の時、海外渡航中に父が急死したショックにより精神病を患った時です。

二度目は、二年半前、2009年の春、作家として大成功を手にした直後です。私が書いた本、「最後のパレード 東京ディズニーランドで本当にあった話」にかかわる事件に巻き込まれた時です。

そして三度目の自殺の危機はこの秋のことです。いずれもトラウマという心的外傷によるものです。

トラウマとは、「自分の力では対処できないほどの精神的ショックを受けた時にできる心の傷」による脳の機能障害です。
311東日本大震災で、多くの人々が受けた「自分の力ではどうしようもないほどの、精神的衝撃、ショックに伴う心の病」と言えば、私の心の病をご理解していただけると思います。

私の症状は、自分自身の感情やマインドをセルフコントロールできなくなり、言葉では容易に言い表すことができないほどの、不安と恐怖心により、自分で自分を苦しめ、自らを破滅へと向かわせてしまうというものです。
その病魔に、私はこの秋、再びおそわれました。

しかしです。それでも私はこうして生きています。

この秋、私は本当に苦しみました。
強い自殺願望と、目に見えない何者かからの攻撃に対する恐怖感で、自分自身を見失い、まるで、右へ落ちても、左に落ちても、暗黒の谷にころげ落ちる「細い細いへいの上」を、目隠しをされたまま、誰かの力で歩かされているような、そんな感覚の日が続きました。

この秋、私は、「気を失い」救急車で二度病院に運ばれました。

繰り返しますが、それでも、私は、今、こうして、生きています。

その、生と死の谷間にいた私を救ってくれたのが、神の慈愛あふれる御わざと、この教会に集う、イエス・キリストを信じる兄弟姉妹たちの信仰のパワーでした。

この秋も主イエス・キリストは、私を見ていて下さりました。
同じ教会に集う私の兄弟と、丘陵の坂の中間点で、神は私たち二人を引きあわせてくださいました。その時、その兄弟も私と同様な病気で苦しんでいることを、神は私に教えてくださいました。

教会から一時的に離れていた、苦しみ迷える私たち兄弟は、「教会に戻りなさい」という神のお導きの声を賜りました。
まさにその時、私たち二人を発見した兄弟姉妹が、私たちを引き合わせるよう、神に祈ってくれていたことも後に知りました。

このように、私たち兄弟姉妹3人は、神秘的な出来事、神の御業を同時に体験したのです。

教会は、聖書に書かれた、「兄弟姉妹が困っているときに世話をし、この世から自分を清く守ることです」という、神の教えを実行する人の集まりの場です。
苦しんだ私たち二人は、牧師や兄弟姉妹たちの「祈り」と「具体的行い」により、教会に戻ることができ、ふたたび起き上がり、再スタートを切ることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、すでに私に与えられた時間の半分以上が経過しています。残された時間で、愛を持って神が「見ていてくださっていたこと」を証言したいと思います。

マザー・テレサは「愛の反対は無関心」という言葉を残していますが、私が体験した通り、神は、いつもいつも、私たち一人ひとりに関心を持たれ、見守ってくださっているのです。

神は見ていてくださっていました。
2009年4月19日のクリスチャンの安息日である日曜日の夜、新聞記者が、私の家を奇襲しました。翌日、新聞社は、世間の関心を集める「関心ごと記事」に加工し全国に報道しました。新聞社は、無実の罪の私を、人前に「張りつけ」にしたのです。

人という神の創造物である人間には、決して回復できないほどの精神的ショックを与えたことを、神は決して見のがしませんでした。

その後、私は日本中からバッシングを受けました。
マタイの福音書、「裁いてはいけません。裁かれないためです。」という神が決められた律法は守られず、私は人間が勝手に決めた私的な制裁、私的制裁をリンチといいますが、その私的制裁を受け続けました。

国際機関の日本ユニセフ協会までが、私を裁きました。
世界中の貧困に苦しむ子どもたちの命を救うために寄付した「最後のパレード」という本の売上金の一部、初版分だけで100万円を越える金額を寄付していましたが、この寄付金を、日本ユニセフは「汚れたカネ」と決めつけ、私に返却したのです。

このことにより、風評は一気に広まり、私は世の中に「悪者」とイメージづけられ、私的制裁を受け続け、今日に至っております。

しかしです。私は、この一連の出来事のなかで、イエス・キリストに出会うことができました。今から思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

神は見ていてくださいました。
事件から、2年3ヶ月後の2011年7月のことです。ホームレスになるために、家財のすべてを整理していた時に発見した、私の娘が小学生のころに、父親である私に当てた小さな置き手紙に・・・私が泣き崩れた姿を・・・・・

その手紙です。いつも持ち歩いているものです。

おとうさんへ
おとうさんおかえり。さきにねるね。それと、今日、えきでんで、シャークス(東村山市の少年野球チーム、レッドシャークスのことです。)は、二部で三位だった。ぼく、アンカーだったんだよ。それと、キャプテン決まったよ。キャプテンは山崎、ふくキャクプテンは(私)。すごいか〜 ものすごい。

神は見ていてくださいました。
2009年の7月、人権も、名誉も、仕事も、家族も・・・すべてを失って自殺直前の私を、神は教会へと導いて下さいました。その教会は、横田インターナショナル・クリスチャン・アッセンブリーと言います。

私は、9月6日に、自らの意思で洗礼を受けました。
その時の洗礼の証しを聞いてください。

中村 克といいます。
作家や講演講師をしています。
私が初めてこの場を訪れたのは7月12日の日曜日でした。

この春から、私は、私が書いた本が盗作本と疑われ、まるで私がドロボーであるかのように、新聞やテレビ、インターネットで風評されてきました。

私は、他人の著作物を盗んでいません。

しかしながら人々は私を赦すどころか、私に社会的制裁を加え続けました。

私はもがき苦しみました。まるで竜巻の真っ暗な渦巻きに巻き込まれかのようでした。私は下降気流により地面にたたきつけられそうな恐怖感に恐れおののいていました。

同時に、私を裁く人、私を裏切った者への怒りと憎しみで私の心はいっぱいでした。

自分が滅びそうで、心が、助けてくれ!と叫んでいました。
そして、7月12日、何かに導かれたかのようにこの教会に立っていました。牧師とダニエルの助けにより、神さまに心の扉を開くことができました。

聖書は「人を裁いてはいけない、憎んではいけない。」と教えています。
私はこの日まで人を裁き、憎んできました。私はたくさんの罪を犯してきたのです。
そんな私でも・・・神さまは暗黒の竜巻の中から私を救い出してくださいました。

私は神さまの前で今までの罪を悔い改めました。神さまは、私の罪を赦してくださいました。
それだけでなく、神さまは、私に生きるパワーを与えてくださりました。

神さま、私は今まで自分自身のやり方で生きてきました、それはまるで目に見えない真黒な下降気流の渦巻きの中で生きているような人生でした。

今、私は、あなたの方法で生きていきたいのです。それは天空を悠々とまう鷲のように、パワーあふれる上昇気流に、この身をあずける生き方です。
私にはあなたが必要です。今、私の人生の支配権を喜んで明け渡します。神さまが示される素晴らしい導きに従います。

私は兄弟姉妹たちと共に、あなたが、私に与えた計画を喜んで実行に移します。
あなたの御子であるイエス・キリストを私の救い主として、私の主として受け入れます。
私はイエス・キリストが私たちの罪のために死んでくださり、死からよみがえられたことを信じます。

どうか、私をあなたが望まれる人間にしてください。

私はクリスチャンとしての信仰が浅く、生まれたばかりの赤ん坊のようです。どうぞ忍耐強く付き合ってくださるようお願いします。  
アーメン

神の力、この教会にみなぎる信仰の力で、ふたたび立ち上がることができたことに感謝し、聖書に手を置き、「私に訪れた本当のこと」を証言させていただきました。
アーメン


追記

ヨハネの手紙第二より
人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しないものが大ぜい世に出ていったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。

あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。
そういう人にあいさつすれば、その悪い行いを共にすることになります。


アメリカ人が、クリスチャンの安息日に真珠湾を奇襲した「反キリスト」である「日本人」をまったく信用しないのは、聖書のこの教えを守っているからです。反対に、アメリカ人クリスチャンに洗礼証明書を見せると、「兄弟、家へ来い」と厚遇されるのです。


※この記事は著作権フリーです。教会関係者の方々は伝道が目的であれば、著作権者の許可なく使用することも可能です。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
笑い話、どうもありがとうございます!
Posted by at 2012年08月31日 12:05
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