2013年01月10日

「鉄腕アトム」が教えてくれるもの

2012年09月30日
手塚治虫とウォルト・ディズニーの深い信頼関係

2012年6月2日 朝日新聞特集記事より

<引用開始>
手塚さんは、別の自伝「ぼくはマンガ家」で、敗戦直後、米兵に殴られたことを明かしている。泣き寝入りするしかなかった。青春時代に直面した差別だった。そして記した・厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず、しぜん、ぼくの漫画のテーマにそのパロディがやたらと現れた;
<引用終了>

手塚さんは1928年生まれです。終戦直後というとまだ10代のころのことです。この文章を読んで理解できる人が、この日本にどれだけいるでしょうか。
http://dream333.seesaa.net/article/294798496.html

同記事を「鉄腕アトム」の視点から再考したいと思います。

<引用開始>
アトムは原子力をエネルギーにしている。妹の名前もウランだ。このためアトムは「科学万能主義」の申し子のように思われがちだが、手塚さんは、自伝『ぼくのマンガ人生』でこうつづっている。
ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会に矛盾をひきおこすかがテーマになっている」
加えて、手塚さんがアトムの中で描こうとしたのは、差別の問題だった。
アトムは、人間より人間らしい心を持ちながらも、ロボットとして差別され、ロボットの体と人間の心のはざま、いつも葛藤していた。
<引用終了>

昨日も書きましたが、手塚さんも、アメリカ的に理屈(文字やことば)に論破されて自分をコントロールしてはいけないと言っているのです。

そもそも論として、科学の定義はどういうものでしょう。辞書をひいてもよく分かりません。
私は、かつて講演で「科学の科は分けるということ、違いを分ければ違いが分かる」と述べてきました。関連することばは、分別、しゅん別、区別、仕分けなどのことばがあります。

ということは、人間を科学するということは、人間を分けるという意味になります。つまり、民族、部族と言う「種」に分けて「種」を学ぶことが科学ということになります。そうすると面白いことが分かってきます。
それは、日本人は「種」無き国家アメリカに学ぶことはできないということです。アメリカ人から学ぶことは何もないと言っても過言ではありません。

反対に言えば、アメリカ人は日本人を教えられないということです。東京ディズニーランドのセキュリティ課に勤務していた頃、アメリカ人指導者は「真夏でもスーパーバイザーは背広着用」と言ってきました。その理由は、「内ポケットに拳銃を隠していると相手に思わせるためだ」という理由でした。

バカげた話です。

科学技術の進歩とは、人間仕分け技術の進歩という意味ですから、手塚さんが言う「ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会に矛盾をひきおこす・・」は実に的を射た一言であり、結果が現在の日本の姿です。

昨日紹介した「スタンフォードの自分を変える教室」ですが、結論は「これからも科学者のような見方で臨んでください。338ページ」です。つまり、「人間性を捨てなさい」と言っているに等しいのです。科学の子アトムに「人間のこころ」を捨てなさいと言っているように私には思えて仕方ありません。

まだまだ、「鉄腕アトム」や手塚さんが教えてくれることはたくさんあると思われます。東日本大震災以降、パラダイム(物の見方、考え方)が変わった日本人は、「鉄腕アトム」を「古き」とし、「新しき」を知らなくてはいけない時期にきていると私は確信します。

「鉄腕アトム」の歌詞
http://j-lyric.net/artist/a04bc64/l006933.html


posted by S・C・ NAKAMURA at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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