2012年12月31日

お正月を迎えるにあたって考えること


大みそかです。私のブログをご高覧頂いている方も、長い記事は止めてくれ、とお考えのことと思います。

子どもの頃は「もういくつ寝るとお正月♪」人間でした。親戚の人と交流することで自分の「価値」や「居場所」を、訳がわからない座標軸上や貸借対照表上に見つけていたのだと思います。

結婚して、東京ディズニーランドで働くようになってから、お正月が大嫌いになりました。年が変わるとすべてがリセットという日本的風習が理解できなかったからです。形式的な年賀状も私は否定していました。今、私に届く年賀状は一枚もありません。

そして今、お正月という文化(文化とは心からの満足するもの)を持つ国は日本しかない、この日本文化は大切にしなくてはならないと思っています。

私はお正月に参加できる人間ではありません。今でも家族とは会えません。それでも、家族や多くの友人たちには、この美しき日本文化を大切にして未来永劫継続させて欲しいと願って止みません。


posted by S・C・ NAKAMURA at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月30日

元狭山村の「逆さことば」


元狭山村の言葉は、大きく分けて「公家ことば」「武家ことば」「禅寺ことば」「小田原ことば」「地方からの導入ことば」に分けられます。

「逆さことば」とは、以前に紹介した「座間をみなさい」など、現在使われていることばの逆さまのことばを意味します。

その中から、文学界の謎を解く元狭山村に伝わることばを紹介します。

関谷和著「子どものころ聞いたことば・話していたことば」埼玉県入間郡元狭山村(二本木)の方言覚え書きより

<引用開始>
でく
名詞 人形 ・赤い帽子、赤い服、手足がつけ根のところからばたばたと動き、ぱっちりとした大きい目、小さな赤い口がプリントされていた。祭りの屋台店に並んでいた姿を思い出す。また、宮沢賢治の詩の一節、「みんなに“でくのぼう”と呼ばれと云うのも思いだす。女の子たちは真っ黒によごれたこの「でく」をおぶい(おんぶし)“ままごと遊び”では、赤ちゃんにしたり、お客様にしたりしていた。
<引用終了>

宮沢賢治の「雨メニモマケズ」
「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体をもち
慾はなく 決して瞋らず

いつも 静かに笑っている
一日に 玄米四合と 味噌と

少しの野菜を食べ
あらゆることを

自分を勘定に入れずに
よく 見聞きし 分かり

そして 忘れず
野原の 松の林の 陰の

小さな 萱ぶきの 小屋にいて
東に病気の子供あれば

行って 看病してやり
西に疲れた母あれば

行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば

行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、

つまらないから やめろと言い
日照りの時は 涙を流し

寒さの夏は おろおろ歩き

みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ

褒(ほ)められもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい
<終了>

「東に、西に、南に、北に」関しては、聖書のことばと重なりますが、今日は解説しません。「逆さことば」の「でくのぼう」に集中します。

と言っても、決して難しくないと私は考えます。宮沢賢治がキリスト教の影響を受け、救済心からこの一文を書いたことは、「銀河鉄道の夜」からも読みとれます。

キリスト教は仏像のような偶像を崇拝することを禁じています。一方で、宮沢賢治は熱心な仏教徒でした。

これらのことから類推すると、宮沢賢治が「キャラクター」になりたい、と考えていた結論を導き出すことができます。

現代にミッキーマウスや、さまざまな愛するべきキャラクターが存在するように、宮沢賢治は、自分を「施し」のキャラクターとして位置付けたに違いありません。

元狭山村の「でくのぼう」は、間違いなく愛するべきキャラクターです。
少しずつですが、元狭山村ことばの分析が進んでいます。秩父や、青梅の天領(公務員用地)の人たちとも連絡が取れてきました。

何回も書きますが、宮崎駿監督はこのように記しています。

映画「千と千尋の神隠し」のパンフレットより
<引用開始>
ボーダレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間は、過去を持たない民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰われるまで玉子をうみつづけるしかなくなるのだと思う。
<引用終了)

幸いなことに、関谷和氏や、方言を研究する会などが、過去の元狭山村や秩父に伝わる文化研究の成果物を残してくれています。私たちはそれを、次の世代に引き継ぐ役割があると考えます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

美しき鎌倉時代の伝統を伝えた旧元狭山村


すぐに新年、戦前の慣習でいえば、日本人はまた一つ年をとることになります。

鎌倉時代以降、天領(公務員の地)であった昭和初期の元狭山村には、当時の武士・公家文化がそのまま残っていました。もちろん、その中心は税金で食べていた、おごった元平家の末裔(まつえい)「中村家」であったことは疑う余地はありません。それでも「中村家」は今日まで源頼朝の教養を受け継いでいます。

私の曽祖父が初代村長の元狭山村にしか残っていない記録を紹介します。

関谷和著「子どものころ聞いたことば・話していたことば」埼玉県入間郡元狭山村(二本木)の方言覚え書きより

<引用開始>
としとり
節分、豆まきの日(2月3日、4日ごろ)

その昔、年をとるのはこの日であったらしい。この晩は豆をまき、魚の頭と柊(ひいらぎ)の枝を戸口にさした。それらの行事が始まる前の夕暮れどき、一つ年上の人のところへ“年もらい”に行った。「おめーの年をおれにくんろい」「やん(やる)べーや」戦前は今のような“満年齢制”ではなく、1月1日にひとつずつ年をとる“数え年制”であった。でも私たちはほんとうにみんなが年をとるのは、節分の日だと思っていたわけだ。
<引用終了>

いかがでしょうか。たとえば15歳の人が14歳の人に自分の「年」をあげる、つまり天の子たる日本人として15歳という「年のたすき」を次の14歳の人につなぐのです。こんな美しい文化は世界中を探しても、元狭山村にしか見受けられないのではないでしょうか。

今、日本人は「自分さがし」をしていますが、人生はそんなに複雑ではないことが分かってきました。個体としての日本人という「たすき」を次の世代につなぐことこそが、日本人の価値観(ナショナリズム)であるべきです。

最後に、私が尊敬する自民党の元衆議院議員加藤紘一氏のブログ記事を紹介しておきます。

この国の形
http://www.katokoichi.org/thoughts/nippon.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月28日

今日は「うち入れ」という料理の話をします


日本人は、クリスマスや年末年始を迎えると、何か角が取れてやさしくなれます。そして「日本に生まれて良かった」と思うものです。

まもなく、おせちに始まり七草粥に終わる「正月」がやってきます。今日から7日まで、できるだけ日本文化について書いていきたいと思います。以前も書きましたが、スーパー日本人、日本人はすごいなあと感じる毎日です。来年の桜が咲くころには、美しき日本の歴史に関するレポートを発表できるものと思っています。(ちなみに、今アベノミクス(安倍+エコノミクス)という言葉が、新聞紙上で見受けられますが、ネットではアベリカ(安倍+アメリカ)という言葉も見受けられます。日本人の右脳による想像力って世界一ですね。

本題です。「うち入れ」とは、山梨県名物の「ほうとう」の関東版です。
元狭山村の方言
「こどものころ聞いたことば 話していたことば」関谷和著より

うちいれ
名詞 手打ち(手造り)うどんの煮込み 生のままのうどんを沸とうした鍋に入れ煮る。煮えてからしょう油、味噌などで味をつける。野菜をたっぷり入れる。あれば油揚げ、きのこなども
●秩父では“おっきりこみ”甲州では“ほうとう”長野ではおなじく“うちいれ”なんとなく物騒な名前ばかりだ。寒い冬の夜のこの上ないごちそう。

「生のまま」というのは、塩をいれないという意味に捉えてください。塩を入れて長時間寝かすと、それは「うどん生地」になります。つまり、塩をいれず「寝かす(熟成させる)」必要のないうどんが「ほうとう」なのです。

私が父から教えられた「ほうとう」である「うち入れ」の作り方をお教えします。簡単ですごく美味しいですよ。

最初に、スーパーや農協などで売っている地粉で、地粉の「うどん玉」をつくります。ボールに地粉を入れ、水を差しいれながら練りあげ、耳たぶより少し硬い位の「玉」にします。そして、夏場であればビニールに入れた「玉」のまま1時間ほど、冬場でもこたつのなかで1時間ほど寝かせ、水と粉を「合体」させます。

次に、きのことモヤシを用意します。きのこは、地場産の紫シメジやチチダケがあればベストですが、スーパーで売っている「ひらたけ」「しめじ」でOKです。

最初にブイヨン(出汁)をとります。少し多いかなと思われるサラダ油をひいた少し大きめの鍋で、きのことモヤシを炒めます。かなりしっとりしてきたら、後のスープとなる水をいれ煮込みます。

「玉」になり、しっとりとしてきた「うち入れの麺の元」を適当に分解し、まな板上で伸ばし、適当に包丁でカットして麺にしたり(これが「ほうとう」という麺になります)、手の親指の下をうまく使って麺をちょん切ったり(これが「団子汁」という食べ物になります)して、いわば、ラーメンの麺に仕立て上げます。

スープを味わってみましょう。なるべくきのこを多く使った方が味は濃厚になります。味付けは醤油だけですが、お好みで市販のダシを加えてもいいと思います。やはり、上品な醤油のほうが上品な(キンキンしない)味が生まれるようです。これ以上は「各家庭の味」としか言いようがありません。トッピング?として、なすやインゲンを加えれば最高ですね。

鍋の中のラーメンのスープに麺をいれ湯がくように(イメージ)、地粉でつくった「麺」を入れ、芯がなくなるまで茹でます。(ゆで時間は、麺を食べてみれば失敗しません)

スープが少ないと、水分が吸収された「麺」ばかりになりますが、それもまた美味い物です。

シメジも安い、モヤシはもっと安い、失敗しても何も失いません。成功すれば、自分の人生だけでなく、次の世代へのプレゼントになります。

おせちに飽きた頃、試してみてはどうでしょう。


posted by S・C・ NAKAMURA at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月27日

ギョーザの話をしよう


ギョーザといっても、一般的な焼き餃子とは大きく異なります。水ギョーザですが、スーパーマーケットで売っている、あるいは、ネット上で紹介されている水餃子とも違います。

その正体は、ホワイト餃子です。

ホワイト餃子
http://white-gyouza.co.jp/cook/steam.html

今日は久しぶりに季節風が止んだので、少し足をのばし、埼玉日高店に行ってきました。私は、本格的な水ギョーザには目がありません。数年前には、東京農大の関係者と都内で「本格」水ギョーザパーティを行い、ギョーザ論議に花を咲かせました。

なぜ、「本格」水ギョーザなのでしょうか。明確な理由があります。それは、戦時中に満州の家庭料理を学んできた人たちだけが伝搬した食文化だということです。一言で言えば「オリジナル」なのです。

私の父は、第二次世界大戦を満州で戦いました。終戦時は弱冠23歳でしたが、「陸軍軍曹」の地位が与えられています。私が21歳の時亡くなった父は戦争の話をあまりしませんでしたが、「中国人女性は、日本人軍人にやさしかった」とは語っていました。

映画で見る戦争と違い、日本が近代化した満州では、休みの日には街へ出て現地の人と交わることができたのかもしれません。

そんなことを考えながら、ホワイト餃子を頂きました。自分でつくったり、妻がつくってくれたり、満州生まれの農大関係者がつくってくれたりした水ギョーザに近いものであることに驚きました。とても美味しかったです。そして、店側に聞いてみました。ルーツはどこですか、と。

創業者は、満州で学んだギョーザを商品化したことが分かりました。

ホワイト餃子の本店は千葉県の野田にあります。創業者のご子息であられる水谷社長に聞いてみました。創業者はハルピンで通訳という公的な仕事をされていたそうで、私の父と同様に現地の方から「本格」水ギョーザの作り方を学んだそうです。

私の実家には、「本格」水ギョーザが伝わっています。おそらく、満州で水ギョーザの作り方を学んだ人は相当数いると思いますが、敗戦という状況の中で当時「本格」水ギョーザをビジネスにする人は皆無だったのでしょう。

その意味では、ホワイト餃子の店舗展開には特別な価値があると思います。なぜなら、創業者の、オリジナルを食して欲しいという強い歴史的「思い」を感じるからです。

私の娘たちにも、オリジナルの水ギョーザを食べさせました。すこぶる好評でした。もう一度だけ、家族でギョーザパーティができる日が来ることを祈ります。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月26日

バカ田大学が地球を救う!?


これでいいのだ!! と私も思う。そう思わなくては決して敵に勝てない。

バカ田大学公式ホームページをお楽しみください。
http://www.koredeiinoda.net/manga/bakadai.html

それにしても、日本人だけが築き上げたこのようなソフトウエアの威力はすさまじい。

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

日本の歴史を変えるブログにしたい

最近の投稿は、読者の方々にとって物足りないかもしれません。

私は今、狭山茶の歴史から得た情報により、日本の歴史が変えられるかもしれないと本気で考え、著書にすべく、一日の相当の時間をその作業に当てています。

事情ご賢察の上、ご理解いただきますよう伏してお願い申しあげます。

狭山茶と中村の歴史など
http://dream333.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%97%F0%8Ej&vs=http%3A%2F%2Fdream333.seesaa.net%2F&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

韓国の朴槿恵大統領と私の関係


大したことはありません。父親の朴正煕元大統領の甥(朴槿恵大統領のいとこ)が、日本のある大学に留学していました。私は、当時お付き合いをさせていただいていた女性(和風の素敵な方でした)に恋をしていましたが、「朴君とお付き合いする」と言われ見事に失恋・・・

今となっては「塞翁之馬」ですが、当時は結構こたえました。お会いできる日があったらそんな会話をしてみたいですね。

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月23日

そろそろ民主主義を修正すべき時に来た


<引用開始>
「民主主義とは、もっとも大事なことを隠すために、つまらぬことを隠さぬようにする政治制度である」という、あの福田恆存(つねあり)の言葉が頭を過ぎる。
「民主主義とは為政者の側が最も大事なことを隠すために詰まらぬことをささぬやうにする政治制度である」
<引用終了>
http://park23.wakwak.com/~fujix/kMinshushugi.htm

民主主義とは何だろうと考えた日本人はどれだけいるのだろうか。ほとんどいないはずである。

再掲 「毎日が大みそか」
<引用開始>
最近新しく引っ越してきた人から、こんな話を聞いた。これから住もうとする家の中に入ってみると、隅ずみまで綺麗に拭き掃除をした跡がある。バケツに真っさらの雑巾が掛けてある。便所の花瓶には花が挿してある。廊下のメモ帳に、「次に入ってこられる方にと思って、お庭の隅にチューリップやヒヤシンスの球根を植えていきます。春になったらきっと美しい花が咲くことでしょう。お楽しみください」と書いてあった。電話の前には、お医者さんや病院や仕出し料理の店などの電話番号表が置いてあったという。
 人生という家も、後からやって来る人のために、そのように美しく去って行きたいものだ。
<引用終了>
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/121201.html

この考え方が、民主主義ではないのだろうか。

posted by S・C・ NAKAMURA at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月22日

サムライ池上彰氏を称える


<引用開始>
各党幹部に対する池上彰のインタビューもすごかったです。

 石破茂・自民党幹事長に対しては、「自民党が勝ったんじゃなくて、民主党が負けたと言われていますが、石破さんどうですか?」と、オブラートにくるむ気ゼロの質問。

 石原慎太郎・日本維新の会代表に対して、「パプアニューギニアと北朝鮮を一緒にするから、石原慎太郎は暴走老人って言われるんですよ!」と、若干キレ気味。これを聞いた石原慎太郎も逆ギレな感じで中継が険悪なムードに。中継終了後に、石原代表は明らかに「バカ」と言っていました(音声がオフだったので、口の動きでそう見えたという話です)。

 池上彰は止まりません。

 無所属の鳩山邦夫(元自民党)に対して「選挙区、昔東京でしたよね? 福岡に移ったのは、(鳩山家が大株主である)ブリヂストンの工場があるからですよね? 自民党に戻るんですか?」
<引用終了>
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121217-00000308-bjournal-ent

お会いして、このブログに記した情報を無料で提供する旨があることをお伝えしたい。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月21日

2ちゃんねる創始者の書類送検を悲しむ


2ちゃんねらーと読売2ちゃんねらーは違う。99%の2ちゃんねらーは、普段はミツバチのように真面目に働いている人たちであると考える。マスコミが庶民いじめの張本人であり、いじめられた庶民がうっぷん晴らしのために2ちゃんねるに過激な投稿をしているにすぎない。

そもそも論として、『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』事件で読売新聞社が2ちゃんねらーから仕入れた情報は、実際に高く売れた(読売新聞のホームラン記事として、読者が買ってくれた)のである。2ちゃんねらーは気付いていないが、間違いなく価値のある知識労働をしている。金銭経済上では対価はないが、トフラーのいう生産消費者としては、「うっぷんを晴らす」という十分な対価を得ているのである。

さらに、である。日本人は勤勉で知的好奇心が強い。なんでも探ろうとする。マスコミのミスリードがなければ、彼らの知的好奇心は日本の文化力を高めるに違いない。私は、このブログで「中村」の先祖について記してきたが、ウィキペディアなしでは真実にたどりつけなかった。無知な官僚より、価値があるネットユーザーの方がはるかに多いのである。

このような理由から、掲示板への自由な書き込みは、多少の弊害があっても決して抑圧されてはならないのである。私は3年6ヶ月に渡り読売2ちゃんねらーにより誹謗中傷されてきたが、今となれば、「私には関心を持たれる価値がある」ぐらいにしか考えていない。反対に、ある意味彼らの熱心さに敬服している。誤字脱字を見つけ出したり、情報の間違いを指摘したり、単なる「バカ」にはできないことである。

日本人の心の姿勢が後ろ向きから前向きに変わるのには、そう時間はかからない。来年は良い日本の始まりになるように、できることを惜しみなくしていきたい。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月20日

NHKの津波避難報道は正しい


津波避難呼びかけ、NHKが見直し検討 被災地に配慮
<引用開始>
NHKは、今月7日の宮城県沖地震で津波警報が出た際、「東日本大震災を思い出してください」などと強い口調で避難を呼びかけたが、被災地から「当時のことを思い出してつらい」といった声が出ていたという。
<引用終了>

東京ディズニーランドの成功の理由はSCSEの実践である。現在、30万人以上のディズニー出身者が日本にいるが、誰もがSCSEを忘れてはいない。

SCSEは、正解を導く公式である。中学生が、三角形の面積を求める時「底辺×高さ÷2」と覚え込まされるのと同じである。誰も「その公式は違う」とは言えない。

「当時のことを思い出してつらい」は、ディズニーで言うと「思いやり」の部分に属する。つまり、コーテシーのCである。S(安全第一)に劣る判断基準である。

そんなことも分からないのか、と中央官僚に言いたい。

以上!
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月19日

2012年10月28日 「ゴジラ」と「GODZILLA」

ゴジラの話の前に、こちらの記事をぜひ読んでいただきたい。

元駐レバノン特命大使の天木直人氏の2010年4月2日ブログ記事に、国家の危機管理を試される「恐ろしいこと」が書かれている

<引用開始>
 トム・ハンクスが最近「ザ・パシフィック(太平洋)」という映画を製作したという。あの著名なスティーブン・スピルバーグ監督も共同制作者となっているという。
 数冊の米軍将兵の回顧録をもとに、3人の海兵隊が主人公の映画であるらしい。
<中略>
問題はハリウッドを代表する民主党リベラル派二人がなぜそのような映画をつくったか、その意図である。
 その一端を示すトム・ハンクスの言葉を古森氏が紹介していた。
 3月中旬にホワイトハウスで試写会を催した時、それを掲載するタイム誌のインタビューに答えた際の発言だったという。

 「・・・彼らはわれわれを生活方式が異なるという理由で殺そうとした。我々もまた彼らが自分たちと異なるという理由で殲滅しようとした。こんな実態は現在、進行中の(戦争の)状況にもあてはまるのではないか・・・」

 この言葉を古森氏は次のように解説している。

 「米国と日本が戦争をした原因は両国民の人種偏見だったというのだ。そして米側の人種偏見はいまのアフガニスタンでの対テロ戦争でも、イラクの民主化の戦いでも、同じ要因になっていると主張するのである。もちろんハンクス氏自身はそんな偏見を非難する立場をとる」

 つまり戦争批判の映画であり、とくに米国の「テロとの戦い」を批判する意図であるという。おそらくそうなのだろう。
 当然のことながら米国内での保守派や中道派側からの反発は迅速で激しいものがあった、と古森氏は書いている。

 その反発は映画の放映が進むにつれてさらに高まっていくに違いない。なにしろ米国人の多くは、米国の戦うあらゆる戦争は敵から米国を守る正しいものだと信じているからである。

 そのうえ米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。
 その一方でこの映画では、米兵の日本人に対する差別振りを強調するために、ジャップという蔑称が頻発されているという。

 ハンクス自身もインタビューの中で「われわれは日本人を異端の神を信じる黄色の、目のつりあがったイヌたちだとみなした」と言ったらしい。
<引用終了>。
http://www.amakiblog.com/archives/2010/04/02/#001604

トム・ハンクスのファンであった私は、この日以来彼を軽蔑している。

私が、これまで「変節した」と言われながらも、アメリカ批判を繰り返してきた一端を理解していただけるだろう。簡単に言えば、この手の映画は、アメリカという国家が最も期待する「教育映画」なのである。

戦争を知らない若者たちに対し「アメリカは正しかった」と一方的に洗脳するステレオタイプ(判で押したような同じ思想)の「教育映画」なのである。

さて、「ゴジラ」の話に移る。

ウィキペディアより「GODZILLA」
<引用開始>
ストーリー
南太平洋で、日本の漁船が謎の生物に襲われ沈没する事件が起きる。チェルノブイリにて、放射能が生物に与える影響を調査していた生物学者のニック・タトプロスは、米国務省の要請でタヒチ諸島に向かい、そこで巨大な生物の足跡を目の当たりにする。続いて、ジャマイカや大西洋でも貨物船や漁船が襲われた。
調査チームに編入されたタトプロスは畑違いといぶかるが、巨大な足型や、座礁したタンカーに開けられていた横穴と残された肉片などから、“フランスがポリネシア近海で長年行なっていた核実験の結果として、新種の生物が誕生した”という仮説を立てる。
<中略>
南太平洋で操業しているにもかかわらずテレビで相撲中継を観戦する日本漁船の乗組員、日本漁船のものであるにもかかわらずハングル文字表記になっている缶詰、金髪のいかにも頭の悪そうなヒロイン、甘党で無能のニューヨーク市長、ヘマばかりする軍曹など、登場人物の多くはステレオタイプな描かれ方がなされている。主人公のニック以外にヒロイックな活躍をするアメリカ人は殆ど出て来ず、ゴジラの駆除に大活躍するのは自国の恥辱を消す為に奮闘するフィリップ率いるフランスの特殊部隊である(クロワッサン代わりのドーナツやアメリカンコーヒーに不満を漏らすフィリップの描写など、彼等もステレオタイプの例外ではない)。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/GODZILLA

如何だろうか。我々日本人は、当時フランスが「ゴジラ」を生み出したと考えていた日本人は「ゼロ」だと私は思っている。アメリカ映画は、「ゴジラ」を生み出した罪をフランスに押し付けているのである。

ウィキペディア「ゴジラ」
<引用開始>
第1期・昭和ゴジラシリーズ
シリーズの特徴・経緯
1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。身長50メートルの怪獣ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であると同時に、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれた。また核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品となった。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9

ウィキペディア「第五福竜丸事件」
<引用開始>
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、1954年3月1日に、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8

私は、ビデオで「GODZILLA」を観たが正直、別物と思った。我々日本人の「ゴジラ」に対して思う恐怖心は「ドシン ドシン」と近づいてくる「ゴジラ」の足音から連想する、放射能が生んだ怪物という「見たこともないないものへの恐怖」でもあった。

アメリカ製の「GODJILLA」は違う。映画ジュラシックパークで暴れまわる「巨大爬虫類」でしかなく、人間の文明力(戦闘能力)の前に絶命する。そこには、人間によって生み出されてしまった「ゴジラ」が、遠く「すみか」に帰るなどのやさしさは微塵も感じられない。

アメリカという国は、国益に反することは徹底的に「ひねりつぶす」。事実を湾曲し捏造教育を国民に施す。

つい最近まで、アメリカ国債の売却を訴える経済学者などは、CIAに抹殺されるとの「噂」も流れていたことは事実である。

そのアメリカの国債所有を日本と中国が一位二位を争っている。日本がアメリカ国債を売却することは、日本の国益にかなわないと私は考えるが、中国が、アメリカ政府を威嚇するために売却をほのめかしたとすれば、アメリカは果たして国家として正常な思考を保てるのだろうか。国益のために、「尖閣に紛争が起きても介入しない」などと、日米安保条約の主旨に反する国策に転じる可能性はないのか。

天木元大使は「米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。」と記している。人は誰も、自らの欠点をズバリと指摘されると正気ではいられなくなる傾向がある。

アメリカとケンカする必要はないが、アンリカ人を正しく評価して「スマート」な対応をしていく必要がある。

繰り返すが、アメリカが「ゴジラ」を「GODZLLA」にリメイクしなくてはならない理由、「ゴジラ」誕生をフランスの核実験と国内教育しなくてはならない理由を、我々日本人は「深く深呼吸」しながら熟考すべきである。

映画「許されざる者」のリメイクも同じである。「鉄腕アトム」が映画「ATOM」につくり変えらられたのも同じである。歴史と真実の改ざんでしかないと私は思う。

私はクリスチャンであるからある意味理解できたが、「ATOM」が「ハレルヤ※」と叫んだことには手塚治虫ファンとしてかなり戸惑った記憶がある。

※ハレルヤ hallelujah 「主イエス・キリストをほめたたえよ」の意味

posted by S・C・ NAKAMURA at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

命のたすきをつなぐ


臨済宗の寺の法話から

毎日が大みそか
<引用開始>
最近新しく引っ越してきた人から、こんな話を聞いた。これから住もうとする家の中に入ってみると、隅ずみまで綺麗に拭き掃除をした跡がある。バケツに真っさらの雑巾が掛けてある。便所の花瓶には花が挿してある。廊下のメモ帳に、「次に入ってこられる方にと思って、お庭の隅にチューリップやヒヤシンスの球根を植えていきます。春になったらきっと美しい花が咲くことでしょう。お楽しみください」と書いてあった。電話の前には、お医者さんや病院や仕出し料理の店などの電話番号表が置いてあったという。
 人生という家も、後からやって来る人のために、そのように美しく去って行きたいものだ。
<引用終了>
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/121201.html

分かるなーこの気持ち。

たすきをつなぎ、つなぎ、日本人は今ここまで生きてきました。

あなたが残す「球根」や、私が残す「球根」が、美しい花を咲かせますように、主イエス・キリストを通じて神に祈ります。アーメン

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月18日

アメリカのウソにだまされるな


子どもの犠牲で高まる銃規制の機運、「これまでとは違う」

<引用開始>
ジョンズ・ホプキンス大学銃政策研究所のジョン・バーニック局長は、「私もほかの人たちも、今回は違うと感じている」「幼い子ども20人が犠牲になったからかもしれないし、大統領が再選されたばかりで次は出馬しないという事情もあるかもしれない。政治的障壁が存在しないわけではないが、今回は違うと感じる」と話す。

カーニー米大統領報道官は事件直後の14日、大統領は2004年に失効した殺傷力の高い銃器を禁じる法律の復活について検討に前向きだと述べた。

しかしオバマ大統領のこの日のテレビ演説では具体的な対策への言及は避け、16日に現地入りして行った演説でも、今回のような悲劇を繰り返さないために「あらゆる権限を行使する」と表明するにとどめた。
<引用終了>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-35025906-cnn-int

簡単なことである。人間間の軍事力のバランスが崩れたらどうなるのかを考えればウソが見抜ける。

日本人には敵はいない。アメリカ人には敵ばかりである。そのアメリカ人が武器を捨てたらどうなるか。

これまで征服してきた国に征服されるだけのことである。そんなことをアメリカ人が選択することはあり得ない。
posted by S・C・ NAKAMURA at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

やはり正しかった「竹中平蔵破綻論」A

私の考えた通りの結果になりました。

<引用開始>
全国初の成果主義廃止 熊本・五木村議会
2012年12月14日 12時19分
 熊本県五木村議会(定数10)は14日、議員報酬条例の改正案を可決し、外部委員の評価を反映させる「成果主義」制度を廃止した。議会活性化を目指し2010年度に始めた全国初の試みだったが、公正な評価が難しく3年目で行き詰まった。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012121401001342.html

総選挙が終わりました。郵政選挙時のようなショックは全くありません。来年の通常国会では、政権内部を知った菅直人元首相や枝野幸夫元官房長官が、原発問題などで激しく安倍晋三首相を責め立てるでしょう。安倍さんは、そのことに気付いていません。安倍さんは再び政権を投げ出すことになります。

もう一つ、戦後レジームからの脱却に関して「とんでもないこと」が起きます。
民主党議員は、政権与党の議員ではなくて本当に良かったと思う日が必ず来ます。

2012年11月13日
やはり正しかった「竹中平蔵破綻論」@
http://dream333.seesaa.net/article/301653891.html

2012年09月28日
竹中平蔵氏の致命的欠陥
http://dream333.seesaa.net/article/294518883.html


posted by S・C・ NAKAMURA at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

初めて比例区に「公明党」と書きました


直接の理由は憲法問題です。私や安倍晋三自民党総裁の世代は、戦争を戦った世代の親を持つ子世代です。
私は、たとえ太平洋戦争がアメリカに誘導されたものであったにせよ、殺し合った日本人としての戦争責任を決して放棄してはいけないと考えます。

その戦争責任を放棄してはならない世代の私たちが、現憲法から何かを「引き算」することは許されることではありません。戦争で亡くなった多くの人々が、天からマクロの思想で現在を見た時、日本が、戦争ができる国になることを許すでしょうか。

戦争問題や世界平和を考える時、自分が属している組織から全体(世界)を見るミクロ思想をすることは、極めて愚かで危険です。

私たちの世代に決定権があるとすれば、「引き算」ではなく「足し算」です。この点、公明党の政策は他党の政策よりプラグマティズム(現実的主義)と言えます。

公明党の憲法論はこちらから
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/plc12050310090015-n1.htm

初めて公明党に一票を投じたもう一つの理由があります。

それは、この国は宗教に関してリセットすべき時にきている、という背景からです。明治以前の神仏習合の時代は、思想の基盤となる「宗教」と「哲学」は、別れていませんでした。明治の時代に、外国人とのコミュニケーション用にreligionを「宗教」とし、philosophyを「哲学」と分けてしまったのです。

例えるとこんな感じです。

私たちアメリカ人には「ラーメン」が理解できない。理解できるように「スープ」「麺」「具」に分けて説明してくれ・・・

私は講演で、「違いを分ければ、違いが分かる」と論じてきました。反対に「違わないものを分けると、訳が解らなくなる」ことに最近気付きました。

私たち日本人は、古来より「信仰心」を持つDNAのたすきリレーを続けてきました。神仏に関係なく「富士山信仰」を忘れませんでした。その「信仰」を分けろというのですから乱暴です。

そもそもです。宗教を意味するReligionという英語には、「生きがい」という意味もあります。

Making money is his religion.
金もうけが彼の生きがいだ.

金もうけが彼の宗教だ。金もうけが彼の信仰だ。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4NDKB_jaJP510JP510&q=Making+money+is+his+religion

迫害の歴史をもつ創価学会公明党が、選挙になると「凶暴」になることも理解できますが、これからはマクロの視点で日本の思想や教育に良い影響を与えて欲しいと願って止みません。

私は、戦後レジーム(アメリカがつくった体制)ではなく、明治維新後レジームからの脱却を目指していきたいと考えます。間もなく選挙の結果が出るでしょうが投票率が低いようです。来年の夏に「直近の民意を問え」という衆参ダブル選挙があると私は考えます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月15日

銃乱射事件は銃社会が問題ではなく、アメリカ人の心の問題


米、小学校で銃乱射し26人殺害 子供20人犠牲、容疑者死亡
<引用開始>
【ニュータウン共同】米東部コネティカット州ニュータウンのサンディフック小学校で14日朝(日本時間14日深夜)、男が校舎内で銃を乱射し、5〜10歳の子供20人を含む26人を殺害した。警察は校舎内で男が死亡しているのを発見した。自殺とみられる。
<引用終了>
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012121401002501.html

どの民族のDNAを受け継ぐ者の犯行なのかはまだ分からない。名前から判断して韓国系ではないことに安心している。

過去の銃乱射事件に関するブログ
http://blog.goo.ne.jp/shirakawayofune001/e/dd083b6abeb85202ab025ebe72a55e1e

私は、宮崎駿監督のこの言葉をよく引用する。

映画「千と千尋の神隠し」のパンフレットより
<引用開始>
ボーダレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間は、過去を持たない民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰われるまで玉子をうみつづけるしかなくなるのだと思う。
<引用終了)

犯人も居場所も出番もないと考えていたのだろう。自分のルーツがわからない、分かったとしても、16世紀〜17世紀にアメリカにつれてこられた奴隷の子孫・・・

あるいは、人とは思えないほどの非道を繰り返してきたユダヤの子孫・・・

私と同じ病気であったのかもしれない。

<引用開始>
乖離病状(PTSD)
乖離というのは、さまざまなレベルで意識の連続性、続合性が絶たれる状態をいいます。「自分を外から見ている感じ」「現実味がない」「ぼうっとしている」というようなものから、「よく覚えていない」「まったく記憶にない」といもの、そして、いわゆる「多重人格」まで、さまざまな形があります。
乖離症状」は、もともとは、自己防衛的な意味のあるもので、あまりにも苦しい状況に耐えられず、しかも、物理的に逃げ出すこともできない時に「精神的にその場から逃げる」という目的をもった、症状です。
苦しい状況から逃げられないでも、それ以上留まったら、頭がおかしくなってしまう、というような状況では、よくできた防御だと思います。
<引用終了>
対人関係療法でなおす、トラウマ、PTSD 水島広子著


パレスティナがイスラエルにロケット弾を撃ち込み、北朝鮮が弾道ミサイルを発射させる。以前にも書いたが、ユダヤ文明を選択した近代アメリカは「負けた」としか言いようがないのである。

最後に聖書の言葉を記しておく。

そのとき、イエスは彼に言われた。剣をもとに納めなさい。剣を取るものはみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節

東京大空襲や原爆投下などの「無差別虐殺」を行う者はみな「無差別虐殺」で滅びます。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月14日

石原慎太郎氏の可愛らしい「暴走発言」


朝日新聞より引用

「日本人だけが近世になって有色人種でたった一つだけ、近代国家を作った」

「日本人の英知、努力だ。私たちのじいさん、ばあさん、ひいじいさん、ひいばあさんが明治維新を起こして日本を近代国家にした」

第一に、「近世」の定義は? 中世と近代の間を言うのなら、近世とは安土桃山時代と江戸時代であるべきである。戦国時代と江戸時代を近代国家と言うのか。

もう一つ、「私たち」の定義も不明、「私たち」に石原家を含むとすると、石原家のひいおじいさんも明治維新を起こした当事者になる。そんな事実はあるのか。

中村家は、当事者として激動の明治の歴史に名を残してきた。石原氏に言いたい。「他人の褌(ふんどし)で相撲をとるな」と。


posted by S・C・ NAKAMURA at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月13日

総選挙まで数日 日本はどこへ向かうのか


大嫌いな自民党政治が戻って来るというメディアの報道ぶりです。結果は分かりませんが、オセロ現象が起きることは間違いないようです。

ただし、安倍政権は長く続かないという見方もあります。私も同じ見方ですが、ねじれを解消するため、来年の夏に衆参同日選挙が行われる可能性を論じる識者もいます。

安倍晋三自民党総裁は、戦後レジーム(体制)からの脱却と声高に叫んでいますが、私から言わせてもらえば「小さい、小さい」としか言いようがありません。

オセロゲーム
<引用開始>
アメリカ人は「福祉は悪」と考える。個人の自由を何よりも優先するからだ。国家に面倒を見てもらえば個人の自由は制約される。国民健康保険制度に反対し、オバマ大統領を「社会主義者」と非難するアメリカ人が多いのは、それがアメリカの伝統的価値観だからである。日本の価値観とは真逆と言える。
<引用終了>
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/12/post_328.html

日本にこのような価値観が持ちこまれた時期を、安倍元首相はどのように認識しているのでしょうか。つまり、韓国や中国が常に取り上げる「歴史認識」の問題です。もちろん、戦後レジームからの脱却というのですから、戦後に持ちこまれたと認識しているのでしょう。

間違っています。「アメリカ人は福祉は悪と考える」と記されていますが、そもそも論として「福祉」とはどういう意味でしょうか。

福祉(ふくし、英: Welfare)とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉で、広義で「公共の福祉」などと使われる。
1. 社会福祉(social-welfare)は、未成年者、高齢者や障害者で生活上なんらかの支援や介助を必要とする人、経済的困窮者・ホームレスなどに対し、生活の質を維持・向上させるためのサービスを社会的に提供すること、あるいはそのための制度や設備を整備することを指す。
2. 狭義には、障害者や一人親家庭(父子家庭、母子家庭)[1]など社会的ハンディキャップがあると考えられる国民に対して公的な支援を行う制度を指し、児童福祉法、身体障害者福祉法などで規定される社会保障の一分野である。一方、生活保護法などで規定される所得保障制度などは公的扶助と呼ぶ[2]。
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%A6%8F%E7%A5%89

「福祉は悪」とは「しあわせは悪」「豊かさは悪」という意味です。何回も記して恐縮ですが、クリスマスの時期でもあり、アメリカ人(全アメリカ人ではないでしょうが)の考え方が如実に示されている言葉を紹介します。

この世はすべて自己責任。他人の情けや助けに頼るなんて甘ったれは通用しない。人生は他人を押しのけても前へ上へ進む競争だ。目標は成功、出世、具体的に言うと金だ。途中で立ち止まって弱いもの、負け組に情けなんか掛けていたら、絶対に勝ち組になれんぞ。
映画「ディズニークリスマス・キャロル」より

このような「金がすべて」の価値観が日本にもたらされたのは、明治維新です。昨日の日記の内国勧業博覧会の記録をご覧になって驚かれたことでしょう。維新後10年で第一回内国博覧会が開かれ、その後明治時代に5回も開催されています。1903年、明治36年の第五回の大阪博覧会は、実質的に万国博覧会でした。

そんな「美しい国」がなぜ、太平洋戦争へと突き進んだのでしょうか。簡単なことです。明治の初期に岩倉具視などの「官僚」が維新後レジームをつくり上げたのです。私は東京ディズニーランドの運営を知り尽くしていますが、明治10年に上野公園で博覧会を開くノウハウなど日本にはなかったと思います。
すべて、あの「日米不平等条約」を結ばせたアメリカが仕切ったのでしょう。

ここを出発点にしないと、歴史も現実も見えてきません。

来夏の参議院選には、これまで考えられなかった知的な政党が圧巻するに違いありません。日本は大丈夫です。お正月が楽しくなるよう、明るい情報を誰もが提供し合うべきだと私は思います。

最後に、安倍元総理に欠けている素養の意味を記しておきます。

そ‐よう[:ヤウ]【素養】-日本国語大辞典
〔名〕平素から養いたくわえている教養。ふだんからの修養。また、ふだんから修養を積むこと。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。