2012年10月31日

ディズニー・テーマパークの本質について語る

国内テーマパークが好調 オリエンタルランドの中間決算は過去最高益

<引用開始>
東京ディズニーシー(TDS)の『トイ・ストーリー・マニア!』など「新しいアトラクションが集客につながった」(高橋渉執行役員)うえ、震災後の「絆」意識の高まりで家族ぐるみの顧客も増加。上半期の入場者数は前年同期比23.4%増の1325万人と、震災前の水準を上回り、客単価も同5.1%増の1万410円といずれも過去最高となった。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121030/biz12103019380031-n1.htm

高橋渉氏には色々なことを教えていただきました。元々は経理のプロの方ですが、運営事務課勤務時代の氏は「渉さん」と呼ばれ、多くの現場社員に親しみを持たれていました。それには訳があります。

「渉さん」は、パーク開園後からいわば現場運営の中心である運営部の「事務方」でしたが、予算編成の際にも「そんなに切りつめては、サービスの品質が落ちる」と警鐘を鳴らしつづけてきた方であるからです。スーパーバイザーが実際の予算編成をするのですが、「渉さんの方針に沿えば間違いない」と、常に自信と安心感を与えてくれた方だからです。

「渉さん」は地元浦安の出身と聞いています。若き日を「荒っぽい漁師の御子息」たちと過ごし、ある意味壮絶な体験をされた話を聞いたことは、私の(株)オリエンタルランドへの理解を深めたと思います。一言でいえば、「発言の内容が極めて濃い方」と言えるでしょう。

「渉さん」が、ディズニー・テーマパークの成功の理由を述べたのだと思います。見つからないのですが、「子供の頃、親に連れられて訪れたディズニー・テーマパークに、今は親になり、子供を連れて訪れている」というようなニュース記事を目にしました。

それが、上記報道の「家族の絆」につながっているのであれば、「夢と魔法の王国」の建国に参加してきた私にとって望外の喜びです。

現在の社長の上西京一郎君とは、能力面で雲泥の差があり、「渉さん」が社長になる日が来ることを私は望みます。

さて、表題の「ディズニー・テーマパークの本質」について語ります。

拙書『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』より

<転用開始>
東京ディズニーランドのワールドバザールを出た場所に石碑があるのはご存じでしょうか。

私たちは絶えることのない
人間賛歌の聞こえる広場をめざして
東京ディズニーランドをつくりました。
夢と勇気と希望にかがやく
世界中の人びとの顔が
この広場に
いつも満ちあふれていることを
心から願って。

昭和58年4月15日 
株式会社オリエンタルランド 代表取締役社長 高橋政知

この言葉には、ディズニーランドにいるキャストたちすべての想いがこめられています

「まえがき」より
東京ディズニーランドのキャストだけが知っている秘密のストーリーがあります。
それはパークの中で実際に起こった心温まる出来事です。社長を含むすべてのキャストたちがそのストーリーを共有し、そこから人を思いやることの本当の意味を学びます。そして自分たちがディズニー≠ニいう偉大な存在の一部であることを再確認するのです。
パソコンの中にはハードディスクという記憶装置がありますが、人の中には「はーとディスク」という記憶装置があると考えています。そこに幸せの記憶を丁寧にインプットしていくのがキャストたちの役目です。明るくて元気のいい挨拶、夢と希望にあふれる会話、キャラクターたちとの楽しいかけ合い……そんな一つひとつの場面から、できるだけたくさんの幸せを書き込んで、家族や恋人、友人たちといつまでも語り合えるような、素敵な思い出を作ってほしいと願っています。
そんな想いを大切にしているキャストと、ディズニーを心から愛するゲストとの間に生まれた感動的な出来事の数々。それをできるだけ多くの人に知ってほしいと思い、当時の私の気持ちを添えて一冊の本にまとめました。この本を、明日からの人生をさらに輝かせるきっかけにしていただけたら幸いです。

ディズニーランドは遊園地ではない。
青空を背景にした、とても大きな舞台だ。
ミッキーマウスの産みの親、
ウォルト・ディズニーがディズニーランドに求めたものは、
お客様たち全員が映画の世界に入りこみ、
その中で一緒に感動を作り上げていくことだった。
だからここではお客様をゲスト(招待者)と呼び、
従業員をキャスト(出演者)と呼ぶ。

ディズニーランドは永遠に完成しない。
そこは新しい感動を創り続ける空間であり、
キャストたちはその機会を探し求め、
つねに心を配り続けている。
地図を見ている人がいれば「どこかお探しですか?」と声をかけ、
カメラをかまえれば「撮りましょうか?」と手をさしのべ、
ひとりぼっちの子どもを見つければ、
「お母さんどこかな?」と地面にひざまずき目線を合わせる。
ただ彼らは善意を売り歩いているのではない。
ディズニーランドの一部と化し、
出会うすべての人々に喜んでもらうことで、
自分たちが「生きている実感」を受け取っているのである。
そんな姿勢の延長上に、
マニュアルを超えたありえないほど優しい<Tービスがあり、
そこからディズニーランドに足を踏み入れた人たちとの
心温まるストーリーがはじまる。
<転用終了>

最後のパレード出版後には、「ディズニーランドに行きたくなった」「もう一度キャストとして働きたくなった」という読者の賛辞の声がたくさん寄せられました。

株式会社オリエンタルランドの元副社長、上澤昇氏からは次のような書評をいただいております。

一読して「これは生きたマニュアルだ!!」と感じました。
ホスピタリティ(サービスに人間の心が加わったもの)の大切さを 教えてくれる本であり、かつ今のTDRのマニュアルのレベルを遥かに超えたものだと思います。
キャストの人たちの教材に使って欲しい本だと思いました。

この一文は、実際に新聞広告にも使われていました。

最後のパレードの冒頭には次のように記しました。

すべてのディズニーを愛する人たちへ。
そして一緒に井戸を掘ってきた仲間たちに捧げる。

私は、前著と異なりこの本には著者として一度もサインをしていません。すべてお断りしました。サンクチュアリ出版も同意してくれました。なぜならば、本当のこの本の「作者」は、私ではなく、感動を生み出してくれたキャストであることを私たちは深く認識していたからです。

ディズニー・テーマパークの本質とは、故高橋政知社長の言葉にある「人間賛歌の聞こえるパーク」であり、「生きている実感」をゲストとキャストが分かち合うパークであるということです。

拙書「最後のパレード」は、読売新聞社の知識暴力行為により抹殺されましたが、ディズニー・テーマパークの中核をなすコンセプトは、今も正しく国民に理解されていることを再度実感しました。嬉しい限りです。

ウォルト・ディズニーはかつて、生前中に「ディズニー亡き後も」という警句を残しています。
「我々は正しかった」「パークを親しみやすい場所にしなさい」そして、「高い品質を保ちなさい」という内容だったと記憶しています。

そのディズニー・テーマパークの品質が落ちていると私は実感しています。かつては、二桁違った他のアミューズメントパークとの品質の違いが今は一桁違いになっていることを危惧しています。

入場者数も大切ですが、私たちが繰り返し指導されたのは「ゲスト満足度の向上」です。

ディズニー・テーマパークの本質、それを一言で表せば、ウォルト・ディズニーの夢「ワンマンズ・ドリーム」の追求に他ならないと私は確信します。
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2012年10月30日

当事者として冤罪問題を語る@


東京新聞社説より
東電女性再審 “暗黒司法”そのものだ
<引用開始>
当初からネパール人男性を犯人だと決めつけた捜査に問題があるのは間違いない。重要物証をDNA型鑑定しなかったのも致命的だ。被告人に有利な証拠も得られるよう、全面証拠開示の必要性も、この事件は訴えている。
 司法が「暗黒」と呼ばれないためには、他にも冤罪が潜んでいないか、早急にチェックすることだ。もはや正義に奉仕すべき司法の倫理さえ問われている。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012103002000115.html

社説表題の「暗黒司法」という言葉は強烈だ。我が国の司法に対する挑戦を意味するかのようである。

朝日新聞では「繰り返す冤罪」シリーズが始まった。

冒頭の言葉は、被告男性の「やってなーい。神さま、助けてください」である。

<引用開始>
捜査段階から弁護を務めた神山啓史弁護士は会見で力を込めた。「捜査機関には犯人との思い込みがあった。まだ意識は変わっておらず、今後も冤罪が起きる危険性はある」
<中略>
「なぜうその自白をしたんだ。やっていないなら、やっていない言えばいい」68年に始まった水戸地裁土浦支部の(布川事件の)公判で、裁判官に言われた一言が桜井さんには忘れられない。警察でも検察でも「やっていない」と訴えたが、延々と続く取り調べに屈し、「自白」した。裁判所できちんと説明すれば、正しく判断してくれると思っていたが裏切られた。
「警察が一度犯人だと決めつけると、検察も裁判所も加担して有罪に仕立てあげてしまう。(東電OL殺害事件の)マイナリさんの構図と同じだった。
<引用終了>

2012年10月21日
警察の供述誘導の恐ろしさ
http://dream333.seesaa.net/article/298422121.html

冤罪当事者の知人の証言をこのブログに記した。

「桜の咲く(数ヶ月後まで)出られないから、バッテリーを外しておいたからな」という警察の落とし文句に屈し、知人はうその自供をした。

まず考えなくてはならないことは、なぜ警察は冤罪を生み出すのか、という疑問であるが、答えは簡単なことである。

手柄が欲しいのである。

昨日の記事で東京都職員の人件費に関して記した。

東京都の人件費
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2010/10/60kaq100.htm

平均給与月額(諸手当含む、ボーナス含まない支給額)
一般職 469,903円 42.8歳
警察職 546,021円 40.3歳

時々、交通誘導をする警備員が必要のない「動作」を行っているのを見かけるが、何か日本人の「さが(持ってうまれた性質)」を感じてしまう。勤勉だからこそ「何かをしなくてはいけない」と勘違いしてしまうのである。

私は、東京ディズニーランドのゲストパーキングのスーパーバイザーも経験したが、まさに「余計な動作」は引き算されている、リーズナブルな交通誘導は見事であった。

この、日本人特有の「さが」が、ひょっとしたら警察官の「手柄が欲しい」意識を助長させているのではないだろうか。高額が支給される給与明細を見るたびに「自分はそれだけの働きをしているのか」という懐疑感と焦燥感に悩まされているのではないのだろうか。

公務員には個性はいらない。テレビドラマの世界とは全く違う「上意下達」の硬直した世界である。出る杭は打たれる。自分が属する組織から、すべての事を発想せざるを得ないのである、

度重なる警察の不祥事、警察官の犯罪行為、抑圧された警察官の「心」から生み出されるものは、「褒めて欲しい」という「お手柄意識」であることは容易に推察できることである。反対に言えば「お手柄欠乏症」が、警察組織と言う機能を不全にしていると言っても良い。

読売新聞の門間順平記者等による知識暴力報道事件も、世紀の大誤報となったips森口報道も、突き詰めれば「手柄が欲しい」の一心から生じた出来事であった。

寅さんシリーズの監督、山田洋次氏が文化勲章を受章した。心から祝福したい。

山田洋次氏の名言である。

「たとえばイラク戦争の空爆で死んでいく子どもや女性たちがどんなにつらい思いをしているのか。想像することは、つまり思いやること。」山田洋次

冤罪事件の撲滅、それは右脳の働きである「倫理観」「創造力」「美意識」などの精神文化の延長線上にあると私は、冤罪事件の当事者として断言する。

毎日新聞より
東日本大震災:福島第1原発事故 被災者の心のケア、3割手つかず 福島県立医大調査、「要支援」連絡取れず
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121030ddm041040076000c.html

私たち家族は、読売新聞の知識暴力行為により被災し、心のケアを必要としている人間であるが、読売新聞は、ビジネスのためなら、容赦なく民間人を谷底に突き落とす。山田洋次氏が語る「思いやり」も「想像力(一方的に悪者と決めつける報道をしたら中村は病気にならないか)」などお構いなしである。すべては「カネ」である。卑劣極まりない。

捜査当局も同じである。もし冤罪なら、どうなる、と想像力を働かせなくてはならないが、それができない。正しい教育を受けていないからである。

この問題を語る時「一発逆転」などない。おそらく、20年、30年の歳月をかけないと解決しないと私は考える。そう、私たちの世代が死に絶えるころまでの命題なのである。
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2012年10月29日

公務員の人件費と生活保護費


400万人を超える公務員、200万人超えの生活保護受給者数、これをどのように考えるか。

公務員の総人件費は27兆円余りである。その半分の200万人生活保護受給者の受給総額は1.7兆円(総額3兆3000億円から、医療費現物支給1兆6000億円を差し引いた数字)である。

公務員の平均給与は、27兆円を400万人で割った数字675万円(手計算)である。ちなみに東京都の公務員の給与平均は776万円(21年度)と報告されている。

生活保護受給者への憲法が保障した「最低限の文化的生活費」は、平均一人約7万円程であるという。
年間受給額は、84万円である。

竹中平蔵元総務大臣は「頑張った人と頑張らなかった人」に人間を区別することを好んだ。同じ日本人なのに、アメリカ的理論で究極の格差社会を生み出した。安倍晋三自民党総裁は、再チャレンジ可能な社会を構築すると約束したが果たせずにいる。再び総理になっても、同じことを言うのであろうか。民主党が下野しても、突っ込みどころいっぱいである。

私は、30年後の日本を思い描いたとき、限りなく公務員ゼロ社会が望ましいと考える。もちろん、自衛官含めプロの公務員がゼロになることはないだろう。しかしながら、勤勉な日本人に若き日より「公務員教育」を施し、誰もが一般的な公務員や地方議会の議員のような特別職の公務員を「兼務」できたら、この国は、世界有数の「幸福実感国家」になると信じる。

もう一度言う。公務を無くせと言っているのではない。30年後をめどに、職業公務員を無くすべきであると言っているのである。

アメリカのディズニーランドでは、平日は公立学校の先生が休日にキャストを務めていると聞く。60歳定年とした場合、それ以後の人生を公務に就く人たちが数100万人いれば、その分、年収600万円を超える職業公務員は減らせると言っているのである。

現在の公務員を減らす方法は「スマート」ではない。彼らに30年後の公務のあり方を考えてもらう方が
よほど生産的であると私は考える。

私たち日本人は、約17世帯で一人の公務員を雇っている。その総額が、27兆円という数字である。韓国の国家予算をはるかに上回る費用を公務員に支払っているのである。

この問題に関しては、何回もこのブログに記していきたいと考えている。

東京都の人件費
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2010/10/60kaq100.htm

生活保護費3.7兆円の半分は医療費
医療制度の歪みが生む長期入院の見直しこそ急務
http://diamond.jp/articles/-/21425


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またデタラメな防災訓練が行われたようだ

3000人避難や放射能検査 玄海原発3県訓練…佐賀
<引用開始>
 福島第一原発と同様の事故に備え、玄海原発では移動式の発電機で非常用ポンプを動かし、原子炉を冷やす訓練が行われた。
 訓練は、原子炉を冷却するために必要な全ての電源が喪失した――という設定であった。このうち3号機の訓練では作業員13人が、大型トレーラーに搭載したディーゼル発電機から原子炉建屋に送電するためのケーブルをはじめ、発電機に燃料の重油を送るホースなどを設置。約30分で全ての準備が整い、黒煙と轟音(ごうおん)を上げて発電機が動き出した。
 九電によると、玄海原発には大容量の移動式発電機4台があり、1台で原子炉1基分の電力を供給できるという。発電機を動かすために必要な重油は施設内に備蓄しており、発電機4台のフル稼働で10日間、送電ができるという。
<引用終了>
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=67182

三井アウトレットパーク入間で行われた殺人訓練を評した私は「地下鉄サリン事件の教訓が全く生かされていない」とこのブログに記した。

福島第一原子力発電所から遠く離れた九州電力の玄海原発で行われたこの訓練も「福島の教訓が全く生かされていない」と断言したい。

私は、今回の訓練が行われたことは評価する。問題は、訓練の内容である。入間市の国民防護訓練同様に「最後は正義の味方の公務員が住民を救う」的な発想に対して落胆の念を禁じ得ないのである。

そして「この国の公務員には学習能力が欠落している」と嘆くのである。

これ以上詳しい「こうあるべき論」は書けない。企業秘密であるからである。

それでも、これだけは言っておきたい。私ならこうするということを。

私なら。

福島第一原子力発電所で起きた水素爆発の原因は、全電源喪失(ステーション・ブラックアウト)という、テロ対策によりアメリカが想定した非常事態を回避できなかったことに集約される。反対に言えば、全電源喪失に陥らないことが保障され、原子炉を100%冷却できれば、メルトダウンや水素爆発は起こらなかったのである。

私なら、「九州電力はどんな自然災害やテロに襲われても、原子炉を100%冷却できることを宣言します」という住民が理性的に安心感を得るメッセージを示す、九州電力の九州電力による非常事態訓練を何回も繰り返した後に、仮定の状況としての避難訓練を行う。

その理由は、住民の迅速な避難とは「今後も冷却に失敗する」事を前提にしているからにほかならないからである。
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2012年10月28日

「ゴジラ」と「GODZILLA」


ゴジラの話の前に、こちらの記事をぜひ読んでいただきたい。

元駐レバノン特命大使の天木直人氏の2010年4月2日ブログ記事に、国家の危機管理を試される「恐ろしいこと」が書かれている

<引用開始>
 トム・ハンクスが最近「ザ・パシフィック(太平洋)」という映画を製作したという。あの著名なスティーブン・スピルバーグ監督も共同制作者となっているという。
 数冊の米軍将兵の回顧録をもとに、3人の海兵隊が主人公の映画であるらしい。
<中略>
問題はハリウッドを代表する民主党リベラル派二人がなぜそのような映画をつくったか、その意図である。
 その一端を示すトム・ハンクスの言葉を古森氏が紹介していた。
 3月中旬にホワイトハウスで試写会を催した時、それを掲載するタイム誌のインタビューに答えた際の発言だったという。

 「・・・彼らはわれわれを生活方式が異なるという理由で殺そうとした。我々もまた彼らが自分たちと異なるという理由で殲滅しようとした。こんな実態は現在、進行中の(戦争の)状況にもあてはまるのではないか・・・」

 この言葉を古森氏は次のように解説している。

 「米国と日本が戦争をした原因は両国民の人種偏見だったというのだ。そして米側の人種偏見はいまのアフガニスタンでの対テロ戦争でも、イラクの民主化の戦いでも、同じ要因になっていると主張するのである。もちろんハンクス氏自身はそんな偏見を非難する立場をとる」

 つまり戦争批判の映画であり、とくに米国の「テロとの戦い」を批判する意図であるという。おそらくそうなのだろう。
 当然のことながら米国内での保守派や中道派側からの反発は迅速で激しいものがあった、と古森氏は書いている。

 その反発は映画の放映が進むにつれてさらに高まっていくに違いない。なにしろ米国人の多くは、米国の戦うあらゆる戦争は敵から米国を守る正しいものだと信じているからである。

 そのうえ米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。
 その一方でこの映画では、米兵の日本人に対する差別振りを強調するために、ジャップという蔑称が頻発されているという。

 ハンクス自身もインタビューの中で「われわれは日本人を異端の神を信じる黄色の、目のつりあがったイヌたちだとみなした」と言ったらしい。
<引用終了>。
http://www.amakiblog.com/archives/2010/04/02/#001604

トム・ハンクスのファンであった私は、この日以来彼を軽蔑している。

私が、これまで「変節した」と言われながらも、アメリカ批判を繰り返してきた一端を理解していただけるだろう。簡単に言えば、この手の映画は、アメリカという国家が最も期待する「教育映画」なのである。

戦争を知らない若者たちに対し「アメリカは正しかった」と一方的に洗脳するステレオタイプ(判で押したような同じ思想)の「教育映画」なのである。

さて、「ゴジラ」の話に移る。

ウィキペディアより「GODZILLA」
<引用開始>
ストーリー
南太平洋で、日本の漁船が謎の生物に襲われ沈没する事件が起きる。チェルノブイリにて、放射能が生物に与える影響を調査していた生物学者のニック・タトプロスは、米国務省の要請でタヒチ諸島に向かい、そこで巨大な生物の足跡を目の当たりにする。続いて、ジャマイカや大西洋でも貨物船や漁船が襲われた。
調査チームに編入されたタトプロスは畑違いといぶかるが、巨大な足型や、座礁したタンカーに開けられていた横穴と残された肉片などから、“フランスがポリネシア近海で長年行なっていた核実験の結果として、新種の生物が誕生した”という仮説を立てる。
<中略>
南太平洋で操業しているにもかかわらずテレビで相撲中継を観戦する日本漁船の乗組員、日本漁船のものであるにもかかわらずハングル文字表記になっている缶詰、金髪のいかにも頭の悪そうなヒロイン、甘党で無能のニューヨーク市長、ヘマばかりする軍曹など、登場人物の多くはステレオタイプな描かれ方がなされている。主人公のニック以外にヒロイックな活躍をするアメリカ人は殆ど出て来ず、ゴジラの駆除に大活躍するのは自国の恥辱を消す為に奮闘するフィリップ率いるフランスの特殊部隊である(クロワッサン代わりのドーナツやアメリカンコーヒーに不満を漏らすフィリップの描写など、彼等もステレオタイプの例外ではない)。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/GODZILLA

如何だろうか。我々日本人は、当時フランスが「ゴジラ」を生み出したと考えていた日本人は「ゼロ」だと私は思っている。アメリカ映画は、「ゴジラ」を生み出した罪をフランスに押し付けているのである。

ウィキペディア「ゴジラ」
<引用開始>
第1期・昭和ゴジラシリーズ
シリーズの特徴・経緯
1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。身長50メートルの怪獣ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であると同時に、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれた。また核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品となった。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9

ウィキペディア「第五福竜丸事件」
<引用開始>
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、1954年3月1日に、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8

私は、ビデオで「GODZILLA」を観たが正直、別物と思った。我々日本人の「ゴジラ」に対して思う恐怖心は「ドシン ドシン」と近づいてくる「ゴジラ」の足音から連想する、放射能が生んだ怪物という「見たこともないないものへの恐怖」でもあった。

アメリカ製の「GODJILLA」は違う。映画ジュラシックパークで暴れまわる「巨大爬虫類」でしかなく、人間の文明力(戦闘能力)の前に絶命する。そこには、人間によって生み出されてしまった「ゴジラ」が、遠く「すみか」に帰るなどのやさしさは微塵も感じられない。

アメリカという国は、国益に反することは徹底的に「ひねりつぶす」。事実を湾曲し捏造教育を国民に施す。

つい最近まで、アメリカ国債の売却を訴える経済学者などは、CIAに抹殺されるとの「噂」も流れていたことは事実である。

そのアメリカの国債所有を日本と中国が一位二位を争っている。日本がアメリカ国債を売却することは、日本の国益にかなわないと私は考えるが、中国が、アメリカ政府を威嚇するために売却をほのめかしたとすれば、アメリカは果たして国家として正常な思考を保てるのだろうか。国益のために、「尖閣に紛争が起きても介入しない」などと、日米安保条約の主旨に反する国策に転じる可能性はないのか。

天木元大使は「米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。」と記している。人は誰も、自らの欠点をズバリと指摘されると正気ではいられなくなる傾向がある。

アメリカとケンカする必要はないが、アンリカ人を正しく評価して「スマート」な対応をしていく必要がある。

繰り返すが、アメリカが「ゴジラ」を「GODZLLA」にリメイクしなくてはならない理由、「ゴジラ」誕生をフランスの核実験と国内教育しなくてはならない理由を、我々日本人は「深く深呼吸」しながら熟考すべきである。

映画「許されざる者」のリメイクも同じである。「鉄腕アトム」が映画「ATOM」につくり変えらられたのも同じである。歴史と真実の改ざんでしかないと私は思う。

私はクリスチャンであるからある意味理解できたが、「ATOM」が「ハレルヤ※」と叫んだことには手塚治虫ファンとしてかなり戸惑った記憶がある。

※ハレルヤ hallelujah 「主イエス・キリストをほめたたえよ」の意味


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2012年10月27日

ドリーム党 都知事選の争点@


菅直人今日の一言には、「東京都の電力を何で賄い、熱エネルギーの効率化をどう勧めるかは都知事選の争点だ。」と記されている。
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11389727438.html

昨年の都知事選では、311東日本大震災前に候補者は、私に言わせれば「机上の空論」や築地移転の是非というシングルマターを選挙公約にしていた。311後は、口をそろえて東北復興を訴えたと記憶している。

それから一年半、東京都知事や東京都は怠慢であったなどとはもちろん言えない。できることは行ったと思う。しかしながら、できることは限られていた。なぜならば、この間はいわば「非常時」であり、「緊急的」な対策が優先されることは当然であり、国家主導でさまざまな対策が練られたからである。

そして、石原知事は「尖閣問題」に火を付け、忽然として去っていく。次の都知事の肩にはずしりと重いものが圧し掛かることになる。誰もが311でパラダイム(物の見方考え方)が変わったという。以前のように「都民にやさしい政治」などという抽象的な公約は許される訳がない。

何が言いたいか、それは少なくともこれから30年先を見越した都市づくりと、都市運営の青写真を示さなくては、都民や日本国民は納得しないであろうということが言いたいのである。

具体的にその命題を示す。

◇脱原発は国民の多数が支持している。東京電力や電力業界などが望む「311前と同じ」に戻すのか、戻さないのか。

◇脱原発を支持する場合、それを保障する、裏付け理論とは。そのロードマップは。

◇災害に強い都市づくりの具体策は。そのための大胆で新しい発想を有しているのか。

◇大阪から維新の会により「公務員改革」と「教育改革」が提唱された。この問題に対し具体的にどう反応するのか

◇関連して、「いじめ対策」は待ったなしであり、具体的にどのようないじめ防止対策を構築して行く用意があるのか。

最低でも、この、「エネルギー問題」「防災対策」「公務員改革」「教育改革」の四本柱に対して「大胆で新しい発想」という知見を有していなくてはならないと私は考える。

以前に東京都知事選にも出馬したことがある大前研一氏は、口をすっぱくして「地球市民として」の知見を為政者に求めている。なぜか、そうでないと、諸外国の要人との話についていけないからである。

東京都の予算は、12.4兆円(2010年)である。ギリシャの国家予算11.9兆円(2008年)を上回り、韓国の国家予算17.9兆円(2008年)と比較しても、その規模の大きさを実感せざるを得ない。
出展 後藤輝樹オフィシャルサイト
http://gototeruki.web.fc2.com/etc/zatugaku/tokyonoyosan.html

さらに、である。東京都の経済規模(GDP)は92兆円にもなる。オーストラリア、スウェーデン、オランダの経済規模を上回っている。
出展 イイケン先生かく語りき
http://ameblo.jp/3600824/entry-10796973455.html

さらに、さらに、である。
大企業の内部留保は461兆円という情報もある。
日刊ゲンダイ
http://gendai.net/articles/view/syakai/135861

もちろん、このマネーは企業のものである。それでも、私はこのビッグマネーを眠らしておく手はないと考える。
新銀行東京は、中小零細企業への融資を目的として設立された銀行で、石原銀行とも呼ばれることは知っている。

しかし、である。石原知事が辞任した今後は、ある意味「第二ステージ」に入って行っても良いのではないかと思う。もう少し、具体的に言うと「CSR(企業の社会的責任)資金の受け皿銀行」として、活路を見いだすのである。

私は、コンビニチェーンなどにおいて、講演をする前の打ち合わせで、何回も「当社のCSR」という内容の立派なパンフレットを頂いた。311前であるから、ほとんどの企業が「地球温暖化防止への取り組み」という内容であったと記憶している。実際に、311前には、新聞の全面広告で「どこどこで植林しています」という企業活動報告が度々掲載されていた。

この、CSR資金をいわば「一本化」するのである。企業が個別に「好きなこと」に資金を拠出するのではなく、本当に効果がある施策(例えば森林からバイオエタノールなどの将来エネルギーを取り出す事業に集中投資するなど)、大企業にも大きなメリットがある事業に投資するのである。

日本製紙などの製紙業界は、木クズなどのバイオマスをエネルギーとして活用し、オイル代を相当節約して業績を伸ばしている。このような事業を、経済界全体がバックアップするのである。

もし、私が都知事なら、企業をめぐり頭を下げ、企業の内部留保マネーの一部を社会貢献活動のために活用させて貰うようお願いするだろう。

大企業の内部留保は461兆円である。東京都の予算の37年分に当たる。私の持論は、カンパニーの語源は、フランス語の「共にパンを食べる」であり、企業は株主のものではない、というものである。

戦後の日本の経済発展も、勤勉で真面目な労働者の仕事の成果よるものであり、日本社会はアメリカのようにほんの一部の金持ちがほとんどの富を得ているという「富の偏在社会」とは異なる、いや、異ならせなくてはならないのである。

日本には、1,100兆円の個人の金融資産もある。上流のダムにはビッグマネーが溜まっているのである。

都民や国民が「この金を社会貢献に使ってください」と喜んで言ってくれる社会をデザインし、運営する、その責任が、石原後の東京都知事には求められると私は考える、
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2012年10月26日

維新 2045年までに在日米軍「全廃」に物申す


<引用開始>
 新党「日本維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)の次期衆院選に向けた選挙公約案が26日、わかった。終戦から100年にあたる2045(平成57)年を目標に「外国軍の国内駐留を全廃し、国土と国民を自力で守る」と記し、沖縄県をはじめとする在日米軍の全廃を盛り込んだ。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/plc12102612100009-n1.htm

と、思えばこんな記事も・・・

橋下氏「全然違う、つたない!」 国会議員団まとめの維新公約原案に反論

<引用開始>
特に外国軍の駐留全廃については「全然違う。表現の出し方も拙く、慎重に考えないといけない」として、国会議員団との間で大きな隔たりがあるとの認識を示した。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/lcl12102614490000-n1.htm

何が何だかよく分かりません。それでも、橋下市長やお仲間の国会議員に欠けているのは「マクロの視点」であることはよく分かります。

2045年までに米軍駐留を全廃する、一見正しそうですが、実は大きな間違いが隠されています。

私も、この問題には意見してきました。私の見据える先は「2041年」までに米軍駐留を全廃するというものです。誰もが簡単にその違いを理解することができるでしょう。戦争の結果(終わり)から100年後なのか、開戦(始まり)から100年後なのかの違いです。

言い換えると「なぜ負けたのか」ではなく、「なぜ開戦したのか」の違いです。

結論を述べます。終戦から100年をゴールに掲げると、アメリカは凄まじい勢いで「開戦から終戦」に関する、「アメリカは正義キャンペーン」を企てるに違いありません。それは決して「スマート」ではありません。

日本人が過去の過ちを贖罪するのは「開戦」です。なぜ、真珠湾を奇襲せざるをえなかったのか、「悔い改める」ことも含めて、現代史を丁寧に検証することなしに、米軍駐留全廃などありません。

これから、約30年、私たち戦争加害者の子どもたちは、次の100年をマクロの視点で考えなくてはいけません。今の若者たちや子供たちを「戦争加害者の子孫」と決して呼ばせないために・・・



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そばと軽井沢と結婚式


29年前の今日、私たちは軽井沢の聖パウロカトリック教会で結婚式を挙げました。1956年、私が1歳の時から半世紀以上神父を務められているカルロス・マルテイネス司祭から式前に説教を授かり、おごそかな雰囲気の中で式を終えることができました。

純白のウエディングドレス姿(妻が添乗した顧客の社長がしつらえてくれた特別なウエディングドレスでした)でヴァージンロードを歩く、若き日の妻の姿と、カルロス・マルテイネス司祭の祝福の笑顔が忘れられません。

結婚証明書も頂きました。現在は15,000組を超えているのでしょうが、私たちは、確か5,000番代の終わり当たりだったように記憶しています。

関連ブログ
軽井沢フォレスト
http://www.karuizawa-forest.com/spot/stpaulchurch.html

以後、軽井沢には何回も家族で訪れました。そして、かならず向かったのが中軽井沢駅前のそば店「かぎもとや」です。「かぎもとや」のそばを食べに軽井沢に通ったと言っても過言ではないかもしれません。

「かぎもとや」ホームページ
http://www.kagimotoya.co.jp/history.html

オリエンタルランド時代に、私が幹事になり、軽井沢のゴルフ場でコンペをした後に、「かぎもとや」本店の二階を貸し切り、表彰を兼ねたパーティーを開催したこともあります。ご主人から挨拶も頂戴しました。もちろん、「しめ」は天ざるそばです。

オリエンタルランドのゴルフコンペは、房総ばかりでしたので、この「非日常的体験」ゴルフコンペは、好評を得ました。

そばの話ではありますが、話はがらりと変わります。それは、母が打ってくれた手打ちそばについての記憶です。母は、例えば盆や彼岸など家に来客が訪れる時には、決まって手打ちそばをつくっていました。
まず、お酒が出ます。義姉の手料理を満喫した後の「しめ」は、そばです。母は、夕方にはそばを打ち終えていたと記憶しています。そして、食べるのはその数時間後です。

打ち立てではありません。表現すれば「乾いたそば」とでもいうのでしょうか。「ツルツル」と食すのではなく、「ゴワゴワ」と噛み入れるのです。そばつゆ(おしたじ)は、鰹だしのあっさりとした温かい「スープ」であり、わんこそばではありませんが、「スープ」とともに食したその味は忘れられません。

このそば打ち手法は、私が育った地域では共有されていたようであり、親戚の家でも「人寄せ」時には、よくこのそばが出されたと思います。

最後に、私のそば打ちについて簡単に記します。
よくチャレンジしました。つながらないこともあり、成功率は5割を切っていたでしょう。それでも、手打ちのそばを食べてくれる家族のために何回もそばを打ちました。オリエンタルランド勤務時代は、大みそかは、たいていの場合仕事であったために、年越しそばを打ったのは、退職後のことだったかもしれません。

いまでも、そばを打ちたい気持ちに駆り立てられることが時々あります。
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2012年10月25日

日本は中国の真似をすべきである


中国がディズニーランド酷似のテーマパーク輸出 シンデレラ城も?
2012.5.22 07:43 [アジア・オセアニア]
<引用開始>
中国・湖南省で華強文化科技集団が運営するテーマパーク=2011年9月(共同)
 【上海=河崎真澄】広東省深センに本社を置く中国企業、華強文化科技集団が、「中国版ディズニーランド」とも呼ばれるテーマパークをイランや南アフリカに輸出する契約を結んだことが22日、分かった。
 中国紙、深セン特区報(電子版)などが伝えた。安徽省蕪湖や山東省青島など中国国内6カ所でテーマパークを運営する同社は、「知的財産権を完全所有している」と主張するが、ディズニーランドのシンデレラ城に似た建築物などがあることなどから、地元では「中国のディズニーランド」と呼ばれているという。
 イランでは中部イスファハンで年内の完成をめざしている。南アのほかウクライナ、カタールにも進出する方針だ。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120522/chn12052207440005-n1.htm

このままでは10年後くらいには、世界の都市のテーマパークは中国製に圧倒される可能性がある。私は、そのことに警鐘を鳴らしたい。

上記記事は、半年前の記事である。最近知った。運営会社は「知的財産権を完全所有している」としているが、その通りと言わざるを得ない。元々ディズニーランドのキャッスル(城)は、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城をモデルにしている。中国の運営会社が「我々もそうした」と言えば、ディズニーはなんとも言えない。

東京ディズニーランドを運営する潟Iリエンタルランドは、ディズニー社と長期契約を結んでいる。私が知っている範囲で言えば、オリエンタルランドは日本国内外でテーマパークを展開することが許されていない。ディズニーのノウハウが応用されることが容易に推察されるからである。

中国のテーマパーク運営会社は、ディズニー社とは関係ない。ディズニーを研究し、テーマパークを建設し、運営し、輸出することは、ビジネス上何ら問題がない。(もちろん、ディズニーの版権を違法に使っていなければの話である)

途上国にとって、中央にキャッスルがそびえ、その前庭(フォアコート)を写真のような乗り物が走る、東京ディズニーランド同様に、キャッスルの回りには、おとぎ話や「ご当地もの(中国なら反日映画館かもしれない)」のアトラクションが並ぶ。それだけで、観客は大満足なのである。その理由は、東京ディズニーランドの成功の最大理由「非日常性の提供」が達成されているからである。

表題の件、日本はオリエンタルランドにはできない「良質なテーマパークの提供」を展開することを世界に向けて発信すべきである。難なく中国には勝てる。特に、スリルライド系のアトラクションの運営ノウハウは中国にはなく、日本の独断場になる可能性を秘めている。

中国は「ここまでやるか」と思わせる。その点だけ見れば見事ではある。日本もビクビクしないで、組織をつくり中国テーマパークとの真っ向勝負に出るべきである。



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石原都知事辞任に関する報道を受けて


私は、昨年の2月25日に、都庁のプレスルームで立候補表明記者会見を行った。

今回はどうするか、前回のように天命が下っておらず、立候補表明することはないと考えている。

昨年の記者会見では、ニュージーランド地震後でもあり、震災対策をメインテーマに掲げた。八ッ場ダムに水を蓄えるのではなく、東京都備蓄材を蓄えよと主張した。

会見から2週間後に東日本大震災が発生した。

スクリーニングという言葉がある。ディズニーランドでは、スリルライド系のアトラクションなどへ「乗せていいゲスト」、安全上の見地から「乗せてはいけないゲスト」を選別することを意味する。安全バーがらみでの身長制限などがその例である。

昨年の都知事選でもこのスクリーニングが行われた。行ったのはマスコミである。知名度のある候補者を選定し、紙上で政策論争させた。勝算はないが読者の関心を呼ぶ「ドクター中松氏」は、大きく報じられた。震災対策を訴えた私は、知名度のなさから、相手にされなかった。マスコミのスクリーニングをパス出来なかったのである。

「たられば」ではあるが、私の提唱した「国家備蓄材」「東京都備蓄材」などの震災対策が、マスコミに取り上げられていたらどうだったであろうか。世の人々は私の発想力と先見性を認めざるを得なかったものと考える。

今から思うと、大震災に対して警鐘を鳴らしなさいというのが、「天の声」であったと考える。クリスチャンは、人としてできる人事を尽くすことだけを考える。結果は気にしない。それは神が決めることであると教えられているからある。

繰り返すが、神は今、私が前面に出ることを望んでいない。よって、「寝ること」にする。

石原知事は、今年の年頭の挨拶でも「新しい発想力」が大事と語った。私は、石原知事を支持してきた。発想力が魅力的であったからである。

石原知事は、猪瀬副知事を後継にしたいようであるが、私は、彼が関わった道路公団民営化の頃からいわば「アンチ猪瀬」である。

昨年、石原知事に敗れた候補者が再チャレンジするのか。前神奈川県知事の松沢氏が満を持して立候補するのか分からないが、いずれの候補者も石原知事の発想力から比べると小さすぎる。

日本維新の会の橋下市長が「キャンキャン」なく小型犬なら、石原知事はさながら秋田犬のような大型犬であろう。次の4年間は、誰が都知事になっても「中型犬」まで届かないと考える。失礼な表現だが「つまらない都政」が展開されることだろう。

ドリーム党は、聡明で知的好奇心の高い牧羊犬のボーダーコリーのような「中型犬」の集団を目指したいと思う。

50日以内に都知事選があるようである。民主党の動向を見極めながら、民主党のためにできることをして行きたいと考える。
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2012年10月24日

文化財に親しむ秋・・・入間市博物館 @


秋晴れのさわやかな陽の光に誘われ、実に久しぶりに自転車で「外出」しました。秋の彼岸から一ヶ月遅れで父の墓前にも立つことができました。

まず向かった先は、入間市根岸の武蔵野うどんの名店「さわだ」です。かれこれ50回くらいは訪れているでしょうか。私はこの店のファンです。

東村山市では、子供たちが小さかった頃、久米川辻近くの「ますや」に家族で出かけました。家族四人でカウンターに座り、揚げたての天ぷらを子供たちはおいしそうに食べていました。はっきり言って天ぷらは「ますや」の方が数段おいしいと思います。しかしながら、武蔵野うどんの総合評価となると、「肉汁」「手ごろな値段」で「さわだ」を私は評価します。

とにかく、ボリュームがあり安い。盛りうどん(400円)に天ぷら(春菊、ニンジン、玉ねぎ、かぼちゃ、各50円)、肉汁(50)円、計500円で満腹になります。それでも食べきれないお客が多いため、せいろには大きめのラップが敷かれ、持ち帰ることが可能になっています。

うどんやそばをこよなく愛する私は、東村山市内の手打ちうどん店やそば店は、かなり食べ歩きました。東村山駅西口から西に数百メートル行ったところにある「小島屋」もおいしいのですが、たまたまか、店内にタバコの煙が充満し、以後敬遠するようになりました。

そば屋もめぐりましたが、今一というところが多く、東村山市から数十分かかりますが、青梅の「ことぶき」に通いました。妻と二人で「大ざる三人前」に大満足、「繊細にて大胆な主張」を実感するそばの名店です。そばに関しては、26日にもう少し書きたいと思います。

食の話が長くなりましたが、表題の件について記します。

今日は、金子十郎家忠の墓を訪れてみましたが、何も得るものはありませんでした。

ウィキペディアより
金子氏
<引用開始>
金子氏
金子氏(かねこ-し)は桓武平氏の流れをくむ武蔵七党の村山党から派生した支族であり、武蔵国入間郡金子(現在の埼玉県入間市金子)を領した。
武蔵国多摩郡村山を領した平頼任が村山党の祖となり、その孫の家範が入間郡金子に住み金子を名乗ったのが始まりである。現在でも埼玉県入間市から東京都清瀬市周辺にかけて多く見られる。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E6%B0%8F

誰が記したのか分かりませんが、何か「我田引水」的要素を感じてしまいます。

「金子氏」「砂金」で検索すると何となく、「かねこ」が「きんす」とリンクすることを実感できるでしょう。中世の日本は「砂金」を産出する「黄金の国ジバング」だったのです。

当たり前ですが、朝廷や仏教界は砂金を個人の物にさせなかったでしょう。管理した集団がいたはずです。私はその集団こそが「金子氏」であり、「中村氏」同様に、技術者であり影武者的な公務員であったと思います。

小田原の中村原の北側には今でも「相模金子」という駅名と「金子」という地名が残っています。

金子の十郎家忠については、またいつか記しますが、ある公共施設で見つけた入間市博物館の情報誌について、苦言を呈します。

ご存知のように、入間市博物館は、「お茶の博物館」と称しています。すごい自信と感心します。(皮肉ではありません。学芸員の方は少ない情報の中で頑張っていらっしゃいます。)

私は、このブログを書き始めた6月の中旬から、今日まで、何回かこの方たちと接触しています。私のブログ記事を紹介したこともあります。

10月1日発行の情報誌には、「文化財に親しむ秋・・・見学ツアー・特別公開の参加者募集!」と書かれています。

その中から。

「市内文化財めぐり・・・宿継場・二本木の歴史を探そう」
11月2日(金)10:00 〜12:30
「主な見学地」入間市(二本木地区・寿昌寺・長福寺、宮寺教会ほか)

私は参加しませんが、内容は気になります。瑞穂町史を見ると、二本木宿の「形態」が手に取るように分かります。例えば下宿には「長谷川家」が軒を連ねています。おそらく「早馬」「飛脚」などの玄関、東京ディズニーランドで言えばメインゲート付近の機能を有していたと考えられます。

中心は、屋号「ハケ(がけ)下」の中村家です。中村家の北側の「坂上」にも中村家がありますが、水が出るのは「ハケ下」であり、井戸が掘れる場所が総本家と考えることは当たり前のことです。

寿昌禅寺は、その「中村家」の墓と住職の墓を守るかのように、あるいは、二本木宿を凝縮するかのように、古くからの墓石が並んでいます。

何回も繰り返して恐縮ですが、ほんの数百メートルの小さな、小さな「宿」に建立された寿昌寺と長福寺は共に、臨済宗建長寺派の寺院です。公家や武士の上層部が帰依した臨済宗です。

「神は細部に宿る」と言われますが、このような細部から、歴史の真実という「森」を見ることにより、私たち日本人は、日本人が築いてきた「美しく、しなやかな歴史」を知ることができるのではないでしょうか。

入間市長選挙も終わりました。私にとっては「一番なって欲しくない人が当選した」というのが実感です。
私は、民間人ですから、私の知的所有物はすべて商品化する以外ありません。狭山茶や牟佐志の歴史が正しく子供たちに認識される日は訪れるのでしょうか。
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2012年10月23日

石原知事 横田騒音訴訟は「エゴ」と批判


横田基地騒音:都知事発言に住民ら抗議
<引用開始>
(東京都福生市など)の新たな騒音訴訟を起こす予定の住民ら9人が23日に都庁を訪れ、石原慎太郎知事への抗議文を提出した。横田基地10+件
の軍民共用化が持論の石原知事は19日、提訴に対し「眠れないほどの騒音があるわけなく、ナンセンスだ」と発言していた。米軍の滑走路使用回数の少なさを強調したかったとみられるが、住民側は「騒音被害は都の調査でも明らか」と発言の訂正を求めている。
 問題の発言があったのは19日の定例記者会見。横田基地の現状を「飛行機なんか飛んでない」と表現し、騒音訴訟は「エゴ」と批判した。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20121023k0000e040185000c.html

私は、横田基地離発着の戦闘機の爆音の中で育ったと言っても良い。大学時代に実家に泊まった友人が夜中に爆音で飛び起きた記憶がよみがえる。

特に1970年代初期まで続いたベトナム戦争の頃の横田基地を離発着する戦闘機の爆音には悩まされたが、人間の脳とはうまくできていて、慣れると爆音のなかでも普通の生活ができるものなのである。あたかも、鉄道沿線に暮らす住民のように。

私が何を言いたいか。それは「私には横田基地問題に関して発言する権利がある」ということである。その上で「石原都知事の見識に同意する」というものである。

この訴訟には背景がある。それは石原知事が掲げる横田基地の軍民共用化である。私はこの構想を支持する。

さらに、である。私は近い将来、航空自衛隊入間基地の軍民共用化も成し遂げるべきだと考える。普天間飛行場が世界一危険な飛行場であるのなら、市街地に位置する入間基地は2番目かもしれない。毎日のように騒音をまき散らしながら飛行訓練を行っているが、横田基地同様に、騒音は離発着訓練によるものが大きいと考える。

「近い将来」のもう少し先の展望として、横田基地と入間基地を地下鉄道で結ぶなどのインフラ整備ができないものだろうか。いわば「目と鼻の先」程の距離である。多摩西部や、神奈川の相模に暮らす人々は、成田や羽田に向かうのには相当な時間を要する。

「遠い将来」厚木基地が返還されたら、民間の国際空港に様変わりするかもしれない。その前段階として、横田基地と入間基地の軍民共用化をなしとげるべきであると考える。
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橋下市長の「抹殺」発言に驚嘆する


橋下氏「こちらも相手を抹殺する気持ちで抗議しないとやられてしまう」
<引用開始>
そのうえで、佐野氏について「明らかにペンの力での家族抹殺だ。逆に僕は佐野を抹殺しに行かなきゃいけない」といい、週刊朝日が橋下氏の母親に同誌を送りつけ取材を申し込んだことも「人間じゃない。朝日新聞社グループは鬼畜集団だ」と怒りを爆発させた。
<引用終了>
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121023/plt1210231130004-n1.htm

数か月前に女性問題のスキャンダルが判明した橋下氏が「家族抹殺」と家族の被害を引き合いに「キャンキャン」吠える理由が分からない。

そもそも、橋下氏は「公人」である。田中法務大臣が30年前の件で大臣を辞職したが、公人であるからである。
週刊朝日の記事は読んでいないが、報道によると行き過ぎた不適切な表現があったようである。週刊朝日は、不適切さを認め次号に謝罪文を掲載したようである。

それでも、橋下氏は「朝日新聞グループ」を許さない。「検証というが、(週刊朝日は)再起不能で矯正不可能だ」「次の(大阪での市長)記者会見に(週刊朝日と佐野氏が)来るかどうかに懸かっている」と発言している。

まるで、「血祭りにあげてやる」という姿勢である。

マルコポーロ事件を思い出す。

ウィキペディアより
<引用開始>
マルコポーロ事件(マルコポーロじけん)とは、1995年に日本の文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』が、内科医西岡昌紀が寄稿したホロコーストを否定する記事を掲載し、そのことを理由として廃刊したこと、及び当時の社長の辞任や編集長が解任された事態を指す。

<中略>

雑誌発売を受けて直ちに、アメリカ合衆国のユダヤ人団体とイスラエル大使館が、同誌を発行する文藝春秋社に抗議を開始した。特にサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が内外の企業に対して、週刊文春をはじめとする文藝春秋社発行雑誌全体への広告出稿をボイコットするよう呼びかけたのは、同社への大きな圧力となった。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

橋下氏もユダヤも同じ、広義の「権威主義」を共有する。「やられる前にやっつけろ」、「権威の前にひれ伏せ」と言っているのである。極めて危険な思想と言わざるを得ない。

話を戻すが、週刊朝日はお詫びの記事を掲載した。それでも、橋下氏の思想では「許さない」という結論をだすのである。

思想とは「哲学 + 宗教観」である。東洋思想の場合はその領域が重なり合っている。橋下氏の思考回路には「哲学」も「宗教観」も見受けられない。

ちなみに、キリスト教では、相手が悔い改めれば許す(赦す)。悔い改めなければ、悔い改めるまで赦すことはない。敵を追い続けることになる。

この問題が、どのように展開して行くのか、その最終結果が、ある意味日本の民主主義を修正することが可能か不可能かを決するような気がする。週刊朝日がマルコポーロのように廃刊に追い込まれることなどないと信じるが、ポピュリズム政治の主役の橋下市長が、どのような「奇策」を講じてくるか、非常に心配である。
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2012年10月22日

旅行会社の実態


980 :大阪人 ◆SAKImyIocc :2012/10/22(月) 20:24:34.96 ID:kj6ecBUz
    ──エジプトで、本来酒を飲んではいけない「豪族の子孫」と涙を流しながら飲み明かした夜がなつかしい。──

おめぇツア・コンだろ?ツアー放り出して何やってんだ?また酒の上での失態か?

別に・・・

当時、我々添乗員はエジプト旅行会社に高級ウイスキーを運んだ。カイロ → ルクソールという航空の幹線のチケットを確保(買収)したかったからである。正直、お客にも運搬を頼んだ。その酒は、エジプト航空のパイロットに配られたと聞く。

国内旅行の実態

添乗をしてびっくりした。当時のドライブインの話。二階に添乗員やバス乗務員の控室がある。食事、タバコは無料どころか、500円をもらった。とにかく「立ち寄って欲しい」一色だった。

いつか、海外で同様に私が行った「不正?」について書きたい。
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旅行時代の真実


969 :大阪人 ◆SAKImyIocc :2012/10/21(日) 22:35:42.07 ID:6ZnJO0Ro
    ──ジリオラ・チンクエッティ ナポリは恋人──

ジリオラ・ティンクエッティーのナポリは、似非クリスチャンが行ったと称する頃より遡ること十五年前の話だ。

旅行会社時代の添乗経験は国内も含めて二十数回だったよな。約三年間の在籍で。
そのうちの十二回がエジプト?
ナポリが二回?
スリランカが一回?
で、下呂温泉が一回?
地名が国名も地域名も都市名もまるでごっちゃだが(それだけで教養が疑われる)残りは何処だ?
しかし、あの頃にこんな企画組んでたら、そら傾くわな。しかも英語出来ない、旅行先
の情報もろくに知らないそんな素人添乗に旅行管理やらしてたんだから。
まぁ、似非クリスチャンの自称だからなぁ?何事も。


私の国内添乗は数回である。奥飛騨慕情ツアー?で下呂温泉や高山を訪れたツアーと、オーガナイザーツアーで山陰を訪れたぐらいしか記憶がない。

海外ツアーは以下の通り。

エジプト単独ツアー 10回
ヨーロッパ + エジプトツアー 1回
ヨーロッパ単独ツアー 2回
スリランカツアー 2回
中国ツアー 3回 (桂林単独2回、桂林+昆明1回)
グアム・サイパン船の旅 1回

これだけで20回の添乗を超えるが、業界で「SBH」と呼ばれるシンガポール+バンコック+香港も添乗している可能性がある。(シンガポールの印象だけが残っている)

特筆すべきは、エジプトツアーでは、私には日本人ガイドがつかなかったことである。私は当時日本人ガイドとして活躍していた友人から資料を頂き、独学した。そしてガイドを務めた。エジプトでは現地人ガイドの同行を必須とするが、私は分からないこと(例えば年代や大きさなどのデータ)をイングリッシュ・スピーキング・ガイドに尋ねながら丁寧にツアーを進めた。

日本人観光客は、エジプトに歴史の勉強に来ているのではないことを私は実感していた。手前味噌になるが、そう意味では顧客の満足度は高かったと思う。ツアー終了後に何回も「写真交換会」に招かれた。

エジプトで、本来酒を飲んではいけない「豪族の子孫」と涙を流しながら飲み明かした夜がなつかしい。
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鎌倉幕府と建長寺汁(けんちん汁)


知っている方の方が多いと思いますが、再度確認しておきます。

けんちん汁と建長寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kentyoji-kentin.htm

「たくあん」が建長寺の復興に尽力した沢庵宗彭(たくあんそうほう)が発案したものとは知りませんでした。感謝です。

今日も「1192(いいくに)つくった源頼朝」について記します。記事に客観性を持たせるために引用が多くなることをお許しください。

まずは、なぜ、源頼朝は鎌倉に幕府を開いたのでしょうか。その疑問から入ります。

学研教育情報資料センター6年生用より

●守りやすい地形だった

●源氏にゆかりのある土地だった

●京都から、はなれた所にいたかった

このように記されています。
<引用開始>
頼朝を中心とする武士が、自分たちを中心とする、新しい政治のしくみをつくり、育てていくには、貴族が決める官職(役職)や、古いしきたりなどにとらわれない、新しい環境を必要としました
<引用終了>
http://kids.gakken.co.jp/box/syakai/06/pdf/B026107030.pdf

以前にこのブログにこのように記しました。

中世の歴史と「禅」と「茶」栄西 多賀宗隼著 吉川弘文館
<引用開始>
頼朝の教養
頼家・実朝の父頼朝は十三歳まで京に育ち、その都会人らしい風格はその人品骨柄・言語の端々にあらわれていた。威儀荘重・「容貌優美にして言語分明」と『平家物語』は報告しており、和歌をよくし、書に巧みな、文化的教養の持ち主であったことは今に伝わる詠歌・筆蹟がこれを証明している。ただ関東武士の純朴・質素の風を維持せんためには、つとめて個人的趣味と京都風風格を蔽うて(おおうて)示さぬを常とした。

<中略>

禅と茶
禅と茶と。それは今日の日本にとって、いかにも日本的な名であるが、これを歴史的にみると、それはすぐれて中世的なものであり、中世日本の象徴であるというも過言でなく、中世の歴史は、禅と茶を外にしては語りえないのである。
 中世を通じて、京都と鎌倉と二つの政権と文化の中心には、臨済宗が、世・出世を通じて、支配的な力をふるった。両都にそれぞれ五山をはじめ禅宗の大伽藍が甍をならべ軒を競うて、時の権力者、文化の指導者であった公家・武家の上層部の信仰をあつめた。一方、曹洞宗はおもに地方に発展して、これまた地方豪族・武士・民衆の帰依を得たのであり、かくして禅は中央・地方にわたり、わが国の仏教を代表する一大勢力となった。勢いの及ぶ所、日本の文化の禅宗化の風を馴致し、思想・芸術ないしは政治・外交・経済より、日常の行儀・風俗から飲食・言語に至るまで、禅を離れてほとんど存じ得ず、考えざるに至った。
<引用終了>
2012年07月20日
狭山茶の根源と源頼朝の教養
http://dream333.seesaa.net/article/282096647.html

ウィキペディアより
承久の乱
<引用開始>
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。
武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1

この後、鎌倉幕府は東国から京都へ武士を派遣するようになります。反対にいえば、承久の乱がなければ(戦いを仕掛けられなければ)鎌倉幕府は、東国で新しい文化や政治の仕組みづくりに集中したと勘案されます。

源頼朝の子、頼家・実朝は京都の栄華が恋しく、頼朝の理念を受け継ぐ為政者を悩ませたといいます。北条政子が自ら為政者となり君臨した理由もそこにあると私は考えます。おごった「平家」の京都から離れた場所で新しい政治をする、それが鎌倉幕府の為政者の理念であったことは間違いないと私は確信します。

さて、冒頭の「けんちん汁」の話ではありませんが、京都ではなく鎌倉が本山の建長寺派は、東国、牟佐志の国に京都とは違う、いわば「質素でおごらない文化」を築き上げることをビジョン(理念を見える化したもの)としたのでしょう。

私は、京都を中心に書かれた「荘園制度」や「地頭制度」などの歴史書を読む気になれません。その理由は、鎌倉幕府は決して支配者として、強権を持って国家を統治したとは考えられないからです。

私は今、鎌倉の建長寺を訪れようか迷っています。茶祖栄西が初代住職を務め、源頼朝や北条政子の墓がある寿福寺を訪ね、茶師中村の先祖が眠る寿昌寺やそこに隣接するかのように建立された長福寺(臨済宗建長寺派の両寺の名前を合わせると寿福寺となります)などの臨済宗について、住職に聞いてみたい気もします。

反面、何も期待してはいけないとも思います。なぜならば、茶禅一味は共有していても、地方の文化(俗世界)のことなど、寺に何も記録に残っていないこと、語り継がれていないことは明白であるからです。

思想から出来事は生まれます。源頼朝の思想は明白であり、そこから生まれる政策を想像することは容易なことですが、いわゆる歴史学者がそれをねじ曲げている、というのが私の印象です。

茶祖栄西が鎌倉幕府に持ち込んだ「茶」、平家から中村に改名し、小田原に中村原を与えられ、さらに入間市二本木の中村家が幕府領の「宿」の運営と「いにしえの狭山禅茶」の生産を託されたという大きな「必然性」。

歴史は「連続性」と「必然性」からその正体を現すと私は考えます。「川越に狭山茶の碑があるから根源である」このような短絡的思想では、日本の歴史は決して見えてこないと私は確信します。

朝晩は、肌寒く感じられるようになりました。妻の手料理けんちん汁の「うまさ」を思い出します。


posted by S・C・ NAKAMURA at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月21日

ジリオラ・チンクエッティ ナポリは恋人


添乗で二回訪れたナポリ 素敵なところでした。

http://www.youtube.com/watch?v=6316sQpCPFQ



posted by S・C・ NAKAMURA at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

警察の供述誘導の恐ろしさ


「遠隔操作」脅迫メール 警視庁が供述誘導か 男性「逮捕状通り上申書」
<引用開始>
 遠隔操作ウイルスに感染したパソコンから犯行予告・脅迫のメールや書き込みが繰り返されていた事件で、お茶の水女子大付属幼稚園などに脅迫メールを送ったとして警視庁捜査1課に威力業務妨害容疑などで逮捕された福岡市の無職男性(28)=釈放=が犯行を認めた際、供述を誘導された疑いが浮上した。警視庁は21日に川原博夫・刑事部参事官が男性に謝罪する方針だが、男性は「逮捕状の内容に沿って上申書を書いた」と説明し、誘導を示唆しており、識者からは「供述の強制だ」との批判も出ている。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121021/crm12102102010001-n1.htm

「早く認めた方が有利」 誤認逮捕の学生に神奈川県警
<引用開始>
横浜市のホームページに市内の小学校に対する襲撃予告が書き込まれた威力業務妨害容疑事件で、神奈川県警の捜査員が、容疑を否認していた東京の大学生(19)に対し、「名前が公に出る心配はない」「早く認めたほうが有利だ」といった趣旨の発言で、自供を促していた疑いがあることが警察当局などへの取材でわかった。
■上申書作成、誘導か
 取り調べの過程では、犯人と捜査当局しか知り得ない内容が含まれた上申書を大学生が出していたことも判明。警察当局は大学生が認めた経緯や上申書の作成に誘導があった可能性が高いとみて検証を進める。
<引用終了>
http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY201210190707.html

私は、警察に尋問されたこともない。もちろん逮捕暦もない。(東村山市のすし屋近辺で、民間人により不当に身柄拘束をされたことはある)
それでも、この問題に関しては、専門家とは言えないが多少のことは語れると思っている。

次の新聞記事を読んで欲しい。

<開始>
○月○日 ○○新聞
●ひき逃げ容疑の男を逮捕
○○署は○日、○○市、警備員A容疑者(57)を自動車運転過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕し、発表した。
 同署によると、A容疑者は○日午前10時00分ごろ、近くの市道交差点を軽自動車走行中、対面してきたパートの女性(28)のオートバイと衝突。女性にけがをさせ、現場から逃げた疑いがある。女性がナンバーを覚えていたことや目撃情報などからA容疑者を割り出した。容疑を認め、 「免許がなくなると仕事ができなくなると思った」と供述しているという。
<終了>

参考
鳥越俊太郎「ニュースの職人」チャンネル 第3回「事実と真実は違う!?」 2012年4月24日 20:00
http://podcast.kiqtas.jp/torigoe/archives/2012/04/3.html
(約10分の音声)

報道された「事実」と「真実」はまったく別なものである。我々は、報道された「事実」から勝手に「真実」をこのように想像してしまう

1 場所は人通りがある交差点
2 女性の乗っていたオートバイは原付のミニバイク
3 衝突とは双方が「動いていた」ことから生じた結果のことである
4 転倒した女性は倒れてけがをして、立ち上がれない
5 A氏は声をかけていない
6 警察は「捜査の結果」容疑者逮捕にこぎつけた
7 A氏の「認めている」は、「ひき逃げ」を認めているのである
私もこの記事を読んだときは、勝手に「真実」はその通りだろうと想像してしまった。

「詭弁」という言葉もある。「誤解誘導」という言葉も見受けられる。私は、これを「誘導レトリック」と名付けたい。

例えばこういうことである。2009年の5月19日の読売新聞の最後のパレード検証記事に関する過去記事から。

<転用開始>
(オリエンタルランドからの文書)
つきましては今後、ディズニー社の財産を使用しての営業行為または広告宣伝、ならびに貴殿が在職中に知り得た秘密情報を使用しての出版活動、営業活動につきましては、厳に謹んで頂きたく、誠実な対応がいただけない場合には、法的措置を講じることも検討させて頂く所存です。

OLCとしては、当たり前のことであり、私が兼ねてから主張していた「イエローカード」です。一発退場の「レッドカード」にすると、ディズニー出身者は誰も講演活動や出版活動などできなくなります。

返事を求められていないのに

読売新聞は、

一方、OLCは4月上旬、著作権侵害を指摘する配達証明を中村氏に送っているが、現時点でも回答がないという。「小さな親切」運動本部も「中村氏に謝罪を求める気持ちに変わりない」とする。中村氏は読売新聞の取材にも応じていない。と書く。

もちろん、読売新聞社からの取材依頼などなかった。


だまされ、購読料を支払っている読売新聞の読者が哀れでならないのである。
<転用終了>

2012年06月27日
読売新聞の読者だましのテクニック
http://dream333.seesaa.net/article/277613734.html

読売新聞は、何が何でも、私を悪者とイメージさせる誘導レトリック記事を書く。ウソがウソを呼ぶとはまさにこのことである。

さて、前述の「ひき逃げ犯」は、私の知人である。

彼の話を聞くと身震いがするほど恐ろしい。

1 交差点 → 茶畑に囲まれた農道と交わる市道 半径100m以内に民家は一軒のみ
2 女性のバイクは250cc以上の大型オートバイ
3 すれ違えない程細い道であり、市道と農道が交差する「交差点」で停車していた。路面上の大きな穴でバランスを崩したオートバイは左カーブで、左側(停車中のA氏の車の反対側)に倒れた。
4 女性はすぐに立ち上がった。
5 A氏は車から降り「大丈夫ですか」と声をかけた。
6 報道では、目撃者がおり、女性がナンバーを覚えていたにもかかわらず、逮捕は延べ4日後であった。その間、警察は二度A氏宅を訪れ、バンパーについた小さな傷の写真を撮ったりしている。A氏は目撃者はいなかったと話す。
7 A氏が認めているのは、「その場を立ち去ったこと」である。A氏によると、女性は「言いがかりをつけてきた」のである。A氏は、その後の予定があり、いいがかりの相手にするのを止めてその場を立ち去ったのである。

その後のことはよく分からないが、A氏の体験から学ぶ教訓は、「その場を離れたらすべて相手の言う通りに物事は進む」ということである。A氏はそのことを予測できなかった。

警察の話にもどす。A氏は勾留から逃れたいために、誘導レトリックに従わざるを得なかった。彼を「落とした」警察の一言は「桜が咲くころまで出られないかもしれないから、車のバッテリーを外しておいてあげたからな」であった。

彼に、当時の事を聞いても覚えていないことが多い。無実での逮捕でトラウマに陥ったのであろう。彼は「電車の中では、誰もが私を見つめている感覚に陥った」と証言している。

足利事件でも、当初、菅谷さんは、自分を「発狂」させないための防御策として、自分がやったというストーリーを「脳内」につくり上げた。

今回の冤罪事件でも、当事者は大なり小なり精神的ショックを受け、本来の自分とは違う言行を行ってしまったと思われる。

私は、今や逮捕など恐れない。神が見ていてくれるからだ。人間により裁かれることはないと信じているからだ。

それでも、ほとんどの人間は弱い。特に権力に服従することが「是」と考える人間は多い。

今回の事件も重い。これを機に・・・などという訳にはいかないが、少なくとも、取り調べの可視化は進めなくてはならない。

この問題に関して、自民党は、公明党は、橋下維新の会はどのように捉え、改善して行くのであろうか。次の衆議院選、参議院選の論点の一つにして欲しい。
posted by S・C・ NAKAMURA at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月20日

読売2ちゃんねらーが「中村家」に対してした事

908 :シベリア:2012/10/20(土) 17:25:09.67 ID:76C0KtJ/
仕事終わり 明日はお休み

次は誰もスレたてしてくれないだろね

サヨナラ ナカムラは




これまで三年半、読売のために、私たち家族の幸せぶち壊しに奔走し続けた読売2ちゃんねらー。その投稿数、10万投稿を超える記録がここにある。この記録は決して消えることはない。



読売2ちゃんねらーの脳裏に私たち家族が幸せだった日の記録を焼きつけて欲しい。そして、「悔い改めよ」

七五三.JPG




posted by S・C・ NAKAMURA at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

橋下維新の会は近い将来壊滅するだろう

日本維新の会:橋下代表、全国遊説スタート
<引用開始>
市内の繁華街で橋下氏は数百人の聴衆を前に、「政権交代に多くの国民が期待したが、人が代わっても国は変わらない。徳川幕府を代えたのは西郷(隆盛)先生だ。古くなった体制は変えないといけない」と改革姿勢を強調。さらに「維新は高齢者や地域に負担も求める。既成政党はいいことしか言わない。議員が(地位に)しがみついている今の政治とは、とことんけんかする」と既成政党との対決姿勢を示した。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20121020k0000e010227000c.html

私の妻はかねがね「シーズーのような小型犬は大嫌い」と語っていた。吠えるのではなく「キャンキャン」なく小ささが嫌だったようである。

橋下代表の姿を見ていると、まさに小型犬が「キャンキャン」ないているようにしか私には見えない。国政に打って出て「何をどうしたいのか」が全く見えてこないのである。

2009年民主党マニフェストより
<引用開始>
暮らしのための政治を。
ひとつひとつの生命を大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが、私の目指す友愛社会です。
税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党の政権交代です。
命を大事にすることも、ムダづかいをなくすことも、当たり前のことかもしれません。
しかし、その「当たり前」が、壊れてしまっているのです。
母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子どもたちがいる。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。
全国で毎日、自らの命を絶つ方が100人以上もいる。
この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金を注ぎ込む。
一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。
政治とは、政策や予算の優先順位を決めることです。私は、コンクリートではなく、人間を大事にする政治にしたい。
官僚任せではなく、国民の皆さんの目線で考えていきたい。
縦に結びつく利権社会ではなく、横につながり合う「きずな」の社会をつくりたい。
すべての人が、互いに役に立ち、居場所を見出すことのできる社会をつくりたいのです。
民主党は、「国民の生活が第一。」と考えます。その新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います。
生活の安定が希望を生み、意欲的になった心が、この国全体を押し上げていきます。
国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ、すべての人が生きがいと働きがいを持てる国を、あなたと民主党でつくり上げようではありませんか。
<引用終了>

橋下維新の会と何が違うのか。一言でいうと「パラダイム(物の見方考え方)が異なる」のである。

私は講演会でこのように語って来た。

■組織の目標と個人の方向性が一体化したときに、すごい力を発揮します。 
ディズニー・テーマパークの理念・使命は「ハピネスの提供」つまり、幸せづくりです。キャスト一人ひとりの目標と方向性も「ハピネスの提供」です。

つまり、大海原での「日本丸」が進むベクトル(向きと大きさの矢印)が、政権と国民で共有されたときに、「日本丸」は朽ちることのない大きなエネルギーを得ると言うことである。

橋下維新の会の「船中八策」を読んでも、共有すべきパラダイムとベクトルが全く見えてこないのである。

もう少し思考を進めたい。

「中学 数学 因数分解」
<引用開始>
因数分解とは展開の逆をすることです。
展開    (ア) a( x + y) = ax + ay             
因数分解  (イ) ax + ay = a(x + y)  
<引用終了>
http://math.005net.com/yoten/inbun1.htm

因数分解されたaとは何かということである。2009年の民主党マニフェストでは、展開されたaxやayを因数分解した際のaは「友愛」というパラダイム、ベクトルであったことは言うまでもない。

橋下維新の会の根幹をなすaとは何なのか。さっぱり判らないのである。展開図で示された船中八策のなかには道州制の導入など、民主党が掲げている政策もあるが、納得しかねるものも多い。

「教職員組合の適正化」は具体的ではない
「首相公選制」「参院廃止を視野に入れた抜本改革」とは、日本の議会制民主主義を大きく変革することになるが、その基幹となるとなる理論が見受けられない。

ご理解いただけただろうか。展開される各論に対し、一番大切なaが見えないのである。これでは人は動機づかない。瞬間的には風が吹くだろうが、長続きするわけがないのは識者の共通認識になろうとしている。

遊説で、橋下市長は「西郷隆盛先生」と述べている。鹿児島県民、江戸時代の薩摩藩の血をひく人々への「リップサービス」としか私には思えない。

当時の薩摩藩は琉球を支配していた。旧薩摩の地に立つのなら「私の力で沖縄問題を必ず解決します」ぐらい、なぜ言えないのだろうか。

上野の「西郷さん」の像は、着物姿である。なぜか、ここには記さないが、幕末から明治の「歴史の真実」や、薩摩藩や西郷隆盛の思想の根源を橋下市長は、個人的に理解しているのか。甚だ疑問である。

2012年08月31日
橋下維新の会は烏合の衆でしかない 2012年07月30日
http://dream333.seesaa.net/article/289272700.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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