2012年09月30日

読売的エゴイズム容認主義者の机上の空論


804 :被爆者3世 ◆8wovNSzFUo :2012/09/30(日) 00:42:04.17 ID:Fj5BBIGq
「盗作しましたか?」と聞いてきた記者に対して、何故泣き寝入りしなければならないのか、意味が分かりません。
してないなら「してない」と、それとも認識が甘かったでも何でも答えればいいではないですか?
資料が必要なら週明けに取材受けるとでも、記者会見開くとでも対応すればいいじゃないですか?
回収が不服なら、サンクでも読売でも訴えればいいじゃありませんか。

何で、何もできないんですか?

「資料が必要なら週明けに取材受けるとでも、記者会見開くとでも対応すればいいじゃないですか? 」

月曜日の朝刊で「盗作」と報道されたのですよ。朝刊の最終入稿時間は知りませんが、印刷、輸送を考えると日曜日の夜11時頃ではないでしょうか。

当方が泣き寝入りするしかない状況を、読売新聞社の卑怯者たちは事前に構築していたことが、まだ分からないのですか。

後方から不意打ちされた当方は、「あひるさんありがとう」の存在などに対する「カード」を一枚も用意できていなかったのです。巨大新聞社に対抗できる訳ないじゃないですか。
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最近のできの悪い新聞記者は2ちゃんねるでネタを探している。

「知」の衰退からいかに脱出するか? 大前研一氏著 光文社より

97ページ
<引用開始>
最近のできの悪い新聞記者は2ちゃんねるでネタを探している。ここに何か企業の不祥事につながる発言を見つけると、そこの企業に少しだけ取材して、ドンと記事にする。
<引用終了>

大前研一氏の講演料は1時間5万ドルと言われています。

大前研一氏の講演会
http://ameblo.jp/happy-retire/entry-10208758181.html

2ちゃんねらーにだまされた読売新聞の門間順平記者のことを批判しているように感じるのは私だけでしょうが、この本を読むと2ちゃんねらーの正体が少しだけ分かります。
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畑の中の小屋で過ごした昨年の台風15号


思い出してしまった。昨年の台風襲来を。

IPT 対人関係療法でなおす、トラウマ、PTSD 水島広子 創元社

<引用開始>
乖離病状
乖離というのは、さまざまなレベルで意識の連続性、続合性が絶たれる状態をいいます。「自分を外から見ている感じ」「現実味がない」「ぼうっとしている」というようなものから、「よく覚えていない」「まったく記憶にない」といもの、そして、いわゆる「多重人格」まで、さまざまな形があります。
乖離症状」は、もともとは、自己防衛的な意味のあるもので、あまりにも苦しい状況に耐えられず、しかも、物理的に逃げ出すこともできない時に「精神的にその場から逃げる」という目的をもった、症状です。
苦しい状況から逃げられないでも、それ以上留まったら、頭がおかしくなってしまう、というような状況では、よくできた防御だと思います。
<引用終了>

昨年の8月東村山市内のソーシャルホームで「いじめ」に会い、精神科医が指摘した「(心の)疲労がたまるとうつがひどくなる」が、現実となり、二度救急車で病院に運ばれる事態となった。

ソーシャルホームで私を「いじめ」た人の名前、軽蔑すべき寮長の名前がどうしても思い出せないのだ。同様に、台風の日のこともあまり覚えていない。

「死んでもいい」位に思っていたのだろうか。天井に大きな穴が開いた小屋に段ボールを敷いて寝た。その位しか覚えていない。

さて、私ごととは関係ないが、興味深い内容が示された書籍を思い出した。

筑紫哲也ラストメッセージ 若き友人たちへ 集英社新書
<引用開始>
地域活性化と大都市40
 早稲田の専門職大学院の面白さというのは非常に知型バックグラウンドの人たちがいることです。
 そのなかで、地方自治体からやってきた人、あるいは自分の興味がそこにある人。そういう人が一定数います。
 私がジャーナリズム論というかテレビ論でよく言う話ですが、東京ではほとんど知識も関心もないもたれない話が、東京を一歩出てしまうと、ある人たちにとっての最大の関心ごとになる、ということがしばしばあります。しかも、関心の向きがまったく逆だという場合が多い。
 一つ例を挙げますが、「地域活性化」という言葉を知っている人はどれくらいいますか?
この言葉はいいのですが、東京に住む人たちは、これ以上地域が活性化することなんて、ほとんど誰も望んでいないんですね。これ以上電車が混んで、住宅が密集して、線路のそばにマンションが立つような環境を望んでいない。
 大都市以外の日本中には、今やシャッター街といわれる商店街が増えて、地域がどんどんダメになってしまっている。地域のリーダーたちで、集会などで挨拶するときに、地域活性化という言葉を使わない人はまずいません。それくらい、中央と地方が分裂しているということです。
 例えば台風が来ます。毎日この被害をテレビは伝えます。でも伝えるアナウンサーの顔には緊張感がない。これが東京へ近づいてくると、だんだん真剣味を帯びてくる。ところが台風が東京から逸れてくれたときに思わず「台風は東北地方へ逸れました」って。東北へはこれから台風が行くんですよ。
 これはバカなアナウンサーというエピソードでよく言われる話なんですが、ある意味で人間の本質をついている。つまり、自分の身を置いているところでもつ実感とそうでないものとには、どうしても距離があるということです。
 私は東京のヘソにあたる赤坂という場所で月曜から金曜まで仕事をしている。そうすると知らず知らず、今言ったアナウンサーと同じ感覚をもってしまっているんじゃないか、という警戒心はあります。
<引用終了>

私はテレビを見ませんが、以前に暴風雨の中で絶叫しているレポーターを見たことがあります。東京ディズニーランドのキャストより、演技が下手だと笑ったことがあります。
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手塚治虫とウォルト・ディズニーの深い信頼関係


2012年6月2日 朝日新聞特集記事より

<引用開始>
手塚さんは、別の自伝「ぼくはマンガ家」で、敗戦直後、米兵に殴られたことを明かしている。泣き寝入りするしかなかった。青春時代に直面した差別だった。そして記した・厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず、しぜん、ぼくの漫画のテーマにそのパロディがやたらと現れた;
<引用終了>

手塚さんは1928年生まれです。終戦直後というとまだ10代のころのことです。この文章を読んで理解できる人が、この日本にどれだけいるでしょうか。

「泣き寝入りするしかなかった」
「厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず・・・」

私も同じです。今でも、読売の卑怯な奇襲に泣き寝入りするしかなかった当時の「思い出」が頑強に私から離れてくれません。

手塚さんはきっとトラウマになっていたのでしょう。本人の自覚はなかったかもしれませんが。そして、医学博士という称号を持ちながらも、マンガ家の道を選択しました。このときの体験が忘れられず、反暴力、反差別を命題にした人生を送ろうと決心したに違いありません。

反対に、「やさしさ」「無垢な心」「動物たちの世界」など、どう猛な男たちの世界とは違う作品をたくさん残してくれています。ウォルト・ディズニーの哲学と全く同じと言って良いと思います。

「ディズニーの国」という月刊誌の1963年10月号に手塚治虫自身が子供たち向けの短い文章を寄稿しています。34歳のときのことです。

「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! 馬場康夫著 講談社より

<引用開始>
「ディズニーさんとぼく」

こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやこほどとしがちがいます。

でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。

ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。

ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。

はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。

このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないものです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。

ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>

この本にはこのように書かれています。

<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。

そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。

<中略>

エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑まずにはいられない。
<引用終了>
 
東京ディズニーランドがオープンする前夜のことです。
私はショー開始前に、ワールドバザールを歩く手塚治虫氏の姿を忘れられません。

ひょうひょうと歩いているのですが、何かスーっと姿が消えていきそうな「現生の人」ではないようなオーラを感じました。

ここまで書いてきて思い出したことがあります。

ディズニー7つの法則―奇跡の成功を生み出した「感動」の企業理念 トム コネラン著 日経BP社

この本の最初にこのように記されていたと記憶しています。

この本はディズニーから書いて欲しいと頼まれたものでも、書くなと言われたものでもない。

要は、「勝手に書いた」という意味ですが、この「事実」を付け加えるだけで、読者は安心して読むことが可能になります。

ディズニーは大人です。最後のパレードにも、同じような一文を載せておけばよかったと後悔しています。
実際に最後のパレードを読んだ読者からの「ディズニーランドに行ってみたくなった」「もう一度働きたくなった」などという手紙がたくさん届けられたのですから。
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ひき逃げの疑い 逮捕の2人釈放

今朝(9月29日)の朝日新聞埼玉版に掲載された小さな記事

ひき逃げの疑い 逮捕の2人釈放
所沢の事件、処分保留

所沢市の県道で8日未明、銀行員の男性(当時25)がはねられた後、約2.5キロ引きずられて死亡したひき逃げ事件で、さいたま地検は28日、自動車運転過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕された、いずれも運転手の東京都立川市の男(35)と同東久留米市の男(57)の2人を処分保留で釈放し、発表した。地検は「引き続き捜査を進める」としている。
<終了>

処分保留
http://kotobank.jp/word/%E5%87%A6%E5%88%86%E4%BF%9D%E7%95%99

逮捕したのは警察であるが、ひき逃げの証拠が不十分であったということか。容疑者はひき逃げを認めたのか、認めなかったのか。

埼玉県警による「でっち上げ冤罪事件」の匂いがぷんぷんする。

考えてみて欲しい。この二人は逮捕されたのである。手錠をかけられ、腰ひもを回され、実況検分に臨まされたのである。まさに、「市中引き回し」である。

悔しかったであろう。悲しかったであろう。

「起訴される可能性は残されている。だが、実務上、処分保留で釈放後に起訴されるケースはあまりない。」と上記コトバンクは記している。

この二人は今後、誤認逮捕であるなら、どのような法廷活動を行っていくのか。おそらく、そんなことはしないと私は考える。なぜならば、誰も名誉の回復に対し力になってくれないからだ。

新聞各紙は、警察や検察の発表をそのまま文章にする。記者会見ではないから質問もできない。

恐ろしい時代になったものである。
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2012年09月29日

小泉チルドレンのその後を知りたくないか


小泉純一郎の病的性格
<引用開始>
書棚から見つけた昔読んだ本に面白い話を見つけた。
病的性格を幾つかに分類していて、その中に情性欠如型と言われる病的性格があるという。
『この一群の中で問題になるのは、シュナイダーが情性欠如型と名づけた人々であろう。
人を思いやる惻隠の情、同情心、恥を知る感情、名誉を重んじる廉恥心、臍をかむ思い、あるいは心が痛むなど、様々な度合いの差はあるが、ともあれ自分の行動に人倫的な反省をする心、後悔の心、いわば良心と言ったものの見られない人々を捉えて一類型を立てているのである。

人倫的なもの、道徳律を頭では知っていてもそれを我が心の内に情感する事が出来ない、陰険で、冷酷で、残忍ともいえる行動を平然として行う人々である。
<引用終了>
http://www7.plala.or.jp/tarunoheya/page041.html


658 :シベリア:2012/09/29(土) 01:18:58.08 ID:fxBOz3qd
ナカムラはんが、ゴミ係りのエピソードを書かないは
ゴミ係りになって屈辱だったんでしょ?
アトラクション周りでの仕事も満足にどきないから
ゴミ係りになったんでしょ?

699 :朝まで名無しさん:2012/09/29(土) 11:42:40.98 ID:VvvkbuDQ
>>695
コソ泥の 無駄な遠吠え 価値もなし
糞人格で やせ我慢かな

713 : ◆hLQCbcDDKDLt :2012/09/29(土) 15:24:56.83 ID:iTQ90JWf
まさるちゃんは今頃 >>708 氏にお肉おごってもらってるのかな。いいな。
でも、食べ終わった後に「私は病気なのです……」って言われて、股間をまさぐられて……w

>>708 さんごめんなさい。悪質な冗談です。
714 :朝まで名無しさん:2012/09/29(土) 16:01:19.15 ID:B3fZ/DLi
>>713
まさるちゃんを発見できなかったょ!!

カルビ食いながら、地獄のGSSVの自慢話が聞きたかったのになぁ〜!!
あっ、ちなみに、ノンケですから、チンチンに興味ありません。


740 :土屋俊一 ◆tGHGZuvXZs :2012/09/29(土) 18:43:49.36 ID:Mrfly8Ev
幼女:ままーあのおじちゃん

母:しーッ、見るんじゃありません

読売2ちゃんねらーは、小泉が生み出したチルドレンたちである。そう思わない人間は日本人ではないと考える人々がほとんどであろう。

2012年08月19日
「小泉政治で日本人はさらに愚民化する」私の予測は当たった
http://dream333.seesaa.net/article/287338059.html
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我が母校で行われた訓練について

澄み切った青い空、「お出かけ日和」でしたが、数十年ぶりの母校の校庭に立つことはできませんでした。

「無責任」という誹りをうけそうですが、その理由を簡単に記します。

私は、脳の機能障害により自分をコントロールできなくなったことがあります。昨年の今ごろのことでした。

中学生の頃、友人から「強迫観念」という言葉を聞きました。友人によると、例えば朝礼の最中に「自分がワーと大声を出したら・・・」と考えると立っていられない程の葛藤を覚えると。

訓練の最中に、私の持病が悪化し、セルフコントロールが効かなくなって倒れたら・・・訓練用に用意された救急車で搬送されるのか。

こんなことを何時間も考えていました。

母校の校庭には、読売新聞の記者がいるかもしれません。私を傷つけ続けている読売2ちゃんねらーがカメラを手にすきを伺っているかもしれません。今でも、外で車のドアの閉まる音を聞くと「また読売が襲ってきた」と、脳が勝手に判断し、私をドキッとさせます。

明日の朝刊はすべてチェックします。昨年は朝日新聞だけが報じました。今年はどうでしょうか。その結果は後日、このブログに記します。

2012年09月22日
我が母校で行われる殺人訓練A
http://dream333.seesaa.net/article/293665568.html

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読売に 教えてあげよう 取材とは



簡単に言えば真実に近づくために「情報informationやデータを集めること」である。アメリカのXファイル(The X-Files)シリーズでモルダー刑事が「インフォメーションをくれ」と何回も繰り返していたことが印象的であった。Xファイルは、「真実に近づく」がメインテーマである。それ以上でも、それ以下でもないと私はこのシリーズを観てそう思った。

別の見方をしてみたい。アマチュアの方が「犬小屋を手作りしたい」と考えたとする。さてどうするか。
木工の知識がある人なら、ホームセンターに行って展示されている犬小屋を見ただけで簡単な設計図が書けるであろう。
全く初めての「手作り」に挑戦する人は、本屋に行き設計図付きの書籍を購入することから始めるだろう。

そして、ホームセンターなどで木材などの「部品」の値段を調べたり、必要とする手持ち工具の値段を調べたりするだろう。

ご理解いただけると思う。犬小屋という「成果物」を組み立てるために必要な素材や情報を集めることが、取材活動なのである。

翻って、読売新聞社の門間順平記者たちは、日曜日の夜に社長宅を訪れ「盗んだのか」とだけ聞いてきた。
暴力団でも行わない蛮行である。それでも読売新聞社や読売2ちゃんねらーは、これを「取材」と呼ぶ。

ある主婦から夫の浮気調査を依頼された私立探偵が、いきなり夫に「浮気したのか」と尋問するのと同じである。よくそれでカネを取れるなと嘆く。

読売新聞よ、私は一生、私人としての読売関係者からの取材は受けない。私は、記者会見場で読売記者がいたら「出ていけ!」と叫ぶことだろう。

最後に、こちらの円熟した取材のプロのノウハウが記されたサイトを紹介しておく。

取材.netより
<引用開始>
「取材」とは対象者や対象物についてのデータを収集する作業を言います。10年間以上を新聞や業界紙で記者として取材を行ってきた経験をお話ししたいと思います。
http://取材.net/
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京急脱線事故へのコメント


<引用開始>
安全判断、鉄道事業者任せ
脱線事故の復旧作業が終わり、現場付近を徐行運転で通過する京浜急行=27日午前9時ごろ、神奈川県横須賀市
 神奈川県横須賀市追浜町の京浜急行電鉄で崩れた土砂に特急電車が突っ込み脱線した事故で、大雨に伴う運転規制などを定める際の指標となる安全基準の判定が鉄道事業者任せになっていることが27日、国土交通省への取材で分かった。
<引用終了>

このような記事が書かれると思っていた。私は、この事故に関しては「後出しじゃんけん」姿勢である。訳が分からぬマスコミが「京急は、会見で頭を下げろ」というバッシングが行われる可能性を直感したからである。


<引用開始>
「記者がJR西日本幹部に暴言」 読売新聞が謝罪
2005年05月13日10時57分
 JR宝塚線(福知山線)の脱線事故を取材していた読売新聞大阪本社社会部の記者がJR西日本の記者会見でJR幹部らに暴言をあびせたとして、読売新聞は13日の朝刊に谷高志・大阪本社社会部長名の謝罪記事を掲載した。「読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くお詫(わ)びします」としている。
<引用終了>
http://www2.asahi.com/special/050425/OSK200505130011.html

私は、日本には強制注入する安全管理のソフトウエアがあると述べてきた。

読売2ちゃんねらーは、自らが記した過去記事の一部を転用しても「セルフ盗作」と私を揶揄する。読売2ちゃんねらーが正しいと思う国民はどれだけいるだろうか。

<セルフ盗作開始(笑)>
尼崎JR脱線事故は、このようなレベルの低い思想により発生したと考えている。

◆すべての人や物に及ぼし得る危険を、技術的実現性や経済性を踏まえ、可能な限り小さくすることを目標とする。
◆鉄道事業者が安全を確保すべき対象は、利用者等の通常予見される行動形態を前提とする

つまり、国土交通省は、安全性と経済性を同列で考えているのである。地方の弱小鉄道会社への影響も考えているのであろうが、旧来型の護送船団方式に通じるものがあるように思えてならない。

平成10年11月13日 運輸技術審議会記録より抜粋
http://www.tasksafety.org/toushin.htm
<セルフ盗作終了(笑)>

2012年09月07日
原発ゼロ社会実現のために今すぐやらなくてはいけないこと

http://dream333.seesaa.net/article/290783158.html

現場を取材していないので、推察でしか物が言えないが、土砂崩れを起こした場所の「管理者」が京急ではなかったとも考えられる。
私の記憶では、以前にも地方の鉄道車両がトンネルを出たところで土砂崩れに遭遇した事故があったように思う。

土砂崩れによる事故が全て鉄道会社の責任となると、上記の「技術的実現性や経済性を踏まえ」という大前提が崩れる。鉄道会社は、路線に影響を与える山地などの安全上の維持管理を求められることになるからである。それでは、経営は完全に行きづまる。

台風が近づいている。一人も死なないで欲しい。

イエス・キリストを通じて神に祈る。

アーメン

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2012年09月28日

神よ





神よ.JPG



死後、神により裁かれる、読売読者が哀れでならない。
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トラウマ「心の後遺症」を治す

ディビッド・マス 大野裕監訳 村上寿美子訳 講談社

紹介文
PTSD(心的外傷後ストレス障害:Post-Traumatic Stress Disorder)
瀕死の重傷を負うような出来事や身体の安全に迫る危険を、患者が体験、目撃、直面したことにより、強い心理的苦痛、無力感、戦慄などに悩まされる症状を持つことをいう。

<引用開始>
「この本を私の妻と、妻と同じように救いの手を得ることなく、長い間PTSDに耐えてきたすべての人々に捧げる」
<引用終了>

<引用開始>
補償を請求するために

補償について最初にいっておきたいことは、補償は二つのひじょうに重要な機能をはたしていることだ。第一に、金に困っている人に経済的援助が提供されることである。そのおかげで、金の心配による余分なストレスが幾分緩和される。第二には、被害者と家族に耐えがたい苦しみがあったことが、正当かつ公的に認定されることだ。
<引用終了>

今日は久しぶりに自転車に乗った。台風が近づき、遠くのスーパーまで買い物に行く必要があったからである。

現実に 我とたたかう 我があり いつまで続く この苦しみは

会いたいな 天の お父(とう)に 会いたいな

こころ描(え)の 父の姿は 美男なり

読売は 暴力団より 怖いぜよ


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読売盲信者の言いたい放題 日本は法治国家なの?

394 :朝まで名無しさん:2012/09/28(金) 00:44:21.58 ID:2oYVa87V
>>390
だから俺の質問に答えろよ、犯罪者

なんで逃げるんだよ、コソ泥

いい歳こいて恥ずかしくないのか、盗作野郎

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1348671333/301-400
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新しい民間の安全管理組織の構築を考えている


私は、以前から「日本には強制注入すべき安全管理のソフトウエアがある」と主張してきた。

東日本大震災、原発事故から一年半、思った通り官主導の安全管理組織が立ちあがった。私は、これらには一切興味を持たない。関わりも持ちたくない。

日本には、民間の財団が多数ある。豊富な資金もある。これらを活用し、安全管理に特化した新たな組織がつくれないか、時間をかけて検討したい。

核となるのは、やはりディズニー出身者である。私は、私より優秀なディズニーランドの社員や元社員を多数知っている。彼らは、そろそろ定年(オリエンタルランドの定年は知らない、一般的に60歳と考える)を迎え、ネクストステージの自分を考えている頃である。

日本の「安全性」を格段に高める能力を有しているので、理念とビジョンを明確に示せば、幕末の志士たちのような活躍をするに違いない。

東京ディズニーランドが開園して来年で30周年である。正確な数字は分からないが、会食した上澤昇オリエンタルランド元副社長は、数年前元キャスト、つまりディズニーの教育を受けた者は、30万人を超えていると話されていた。

話を一時転じる。東日本大震災後、私はこの国には縦割りの組織しかないことを嘆いたが、それにより、あることに気付くことができた。

それは、日本には「横糸」のような組織があるじゃないかと。
例えば、ロータリークラブやライオンズクラブ。地域の消防団、4Hクラブなどのボランティアに近い組織。
JA(農業協同組合)や生活協同組合などの組合組織。

被災後の救援活動(物資の輸送や炊き込みなど)を行政の依頼により執り行うのである。
イメージ的には、地域の首長を頭とした文鎮型の組織である。もちろん、ロータリークラブなど個々の組織の独立性は完全に保たれ、組織運営は今と何も変わらない。干渉されることはない。

例えば、ロータリアン宅に貯蔵された非常食を、ロータリアンが被災地に届けるという仕組みを構築しておけば、地域の「安心感」は格段に高まるものと考える。

もう一度言う。日本には自衛消防団など誇るべき組織が確実に機能しているのである。

さて、こちらはアマチュアサイドである。プロサイドの安全管理に話を戻す。

ディズニー出身者が核となると記した。日本には世界に誇る企業力を持つ会社が少なくない。

(株)京三製作所
http://www.kyosan.co.jp/
東海道新幹線の運行システムを担ってきた。東京ディズニーランドでも活躍していただいた。

(株)ダイセル
http://www.daicel.com/
物作りと関連するシステム作りのプロ中のプロである。

ウエザーニュース
http://weathernews.com/#/contents/dream/
この企業があれば、日本に気象庁などいらない。

まだまだ卓越した技術力を持つ企業はあるだろう。

こういった会社からの出向者も含め、「日本を安全にしてみせる」という志士たちを一カ所に集め、役人には絶対できないことへの挑戦というモチベーションを与え、切磋琢磨しあえば、冒頭に記した民間の安全管理組織は確実にできるものと確信する。もちろん、霞が関の役人は、全く知らない「強制注入すべき安全管理のソフトウエア」も提供する。

この組織が動き出せば、例えばシンドラーエレベーター事故の原因など、数時間で「発表」できるであろう。なぜならば、「質問力」が違い、警察などにだまされることがないからである。

原子力発電所問題でも、既存のマスメディアとは数段レベルが違う「レポート」を生み出すことができる。

三井アウトレットパーク入間で昨年行われた「殺人訓練」のような低レベルの訓練(カネと時間の浪費でしかない、実効性の伴わない訓練)も無くなるに違いない。

この組織は、先に記した日本の「横糸」的組織のファシリテーター(議論や活動を目的に沿った一定のゴールに向かわせるよう手助けをする人)な役目を担うことになるだろう。活動の成果物に満足感を得られるようになるに違いない。そうなったらしめたもの、日本は、もう一度良い意味で「一つになる」のである。
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竹中平蔵氏の致命的欠陥



竹中平蔵氏が再登場することを恐れます。

「頑張っている人も頑張っていない人も一緒になるというのは、ものすごく不平等だと私は思う」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135047141

ネット上では、この一文が含まれるサイトは検索できるが、グーグルやヤフーで検索しても、竹中氏の発言に結びつくものは検索されない。皇室関係がそうらしいが、都合の悪い記事は検索できないように(元)権力者いより仕組まれているのでしょうか。

以下、過去ログから。

長いので、結論を先に記します。

竹中氏は現場を知らない。現場で行われている正しい人事考課を知らない。ゆえに、頑張った人と頑張らなかった人の区別がつかない。それが、竹中氏の欠陥である。

2009年11月18日
竹中平蔵氏の理論は破綻していた

「頑張っている人も頑張っていない人も一緒になるというのは、ものすごく不平等だと私は思う」
竹中氏は競争至上主義を掲げ、このような考え方で小泉元首相と共に今日の日本社会をつくってきました。その結果は、皆さんご存じの通りです。

「オニギリが食べたい」と言い残して餓死した人もいました。昨年末の年越し派遣村の様相はまさに「悲惨」としか言いようがありませんでした。日本の貧困率は先進国では最悪のクラスです。

すべての責任は竹中氏にあると私は考えます。その論拠をこの記事に記します。

結論から書きます。竹中氏の理論に欠落しているのは、頑張っている人と頑張っていない人を分ける「評価基準の明確化論」です。つまり、優劣を何によって分けるのかが全く不明確であるということです。

科学の科は分けるという意味です。竹中氏の理論は「頑張ったか」「頑張らなかったか」を評価するという非科学的な理論に、誰もがだまされてきたのです。

人間の脳は「反射脳」「情動脳」「理性脳」に分かれますが、科学的に訓練された理性脳の活用なしに、「感情」を司る脳だけで人を評価することは、非常に危険です。なぜならば、理性的ではない感情的な脳で人を判断してしまうからです。極論を言えば、竹中氏の「頑張ったか」「頑張らなかったか」を分けるものは、個人の好き嫌いであると言えるのです。
私は、ディズニーランド時代には毎年のように人事考課トレーニングを受けてきました。その理由は最後に書きますが、ディズニーランドは、日本の企業に比べ何十倍も「評価」については気を使って来ました。当然ですが、アルバイト一人ひとりに至るまで、一定期間ごとの「通信簿」をつけ、結果をフィードバックしていました。(今は知りませんが、スーパーバイザー制度が廃止されたということは、人事考課の分野でも仕事の品質は劣化しているものと考えられます。)

トレーニングされた理性脳で判断した評価は客観的です。一方、本能や感情を司る脳で判断した評価は主観的にならざるをえません。この点が竹中氏の理論の破綻に結びつくのです。

その理由です。儒教や朱子学の影響が強い日本社会は、常に個人的「上から目線」でものを見る傾向にあります。評価とは、他人を公人的「横から目線」で見るということです。しかしながら、日本人はこの「横から目線」で見ることに抵抗を示します。なぜならば、横から見て、他人の成績を高く評価してしまえば、自分が追い抜かれると考えるからです。

盆暮れの「付け届け」も、もらっていた方が、差し上げる方へと逆転する現象が生じることを恐れる人は多いものです。誰もが部下に対し「あなたは、私の上司にふさわしい人です。素晴らしい評価をしましたので、どうぞ私を追い抜いて行ってください。」などとは思わないでしょう。

つまり、本当に「頑張った人」でも、上長の手の平の上での評価でしかないということです。

さらに、竹中氏に決定的に不足している点は、「現場を知らない」という点です。教育現場や勤労の現場で働く人の価値観を全く理解していません。残念ながら日本の現場では、前述したように「好き嫌い」という個人的な価値観が様々な「基準」になっています。根底にあるのは「これよりあれ」「この人よりあの人」という「相対評価」思想です。

一方、理性脳で個人を評価する欧米人の根底にある思想は「絶対評価」です。つまり、絶対であるものに則していたか則していなかったかを判断するのが「絶対評価」であり、キリスト教国家であれば、聖書の教えが「絶対」になります。ディズニーランドでしたら、「ディズニー哲学に基づいたSCSE」が「絶対」であり、常にこの判断基準に基づいた言行や評価を行います。

これまでの日本は、「絶対」がありませんでした。何でも「カラスの勝手でしょ」で済まされてきました。つまり、絶対評価ができる人が日本に育っていなかったのです。このことに「無知」な上から目線の為政者が「頑張った者が・・・」と語っても、日本社会という現場において、個人の評価システムが正しく機能するはずがなかったのです。竹中氏の理論の破綻をご理解いただけたと思います。

ディズニークリスマス・キャロルが警鐘を鳴らす「無知」とは実に恐ろしいものです。

私は、これからの日本の「絶対」は、誰もが受け入れることができる「友愛」であると確信しています。友愛はまさに横のつながりを「横から目線」で見ようとする思想です。福沢諭吉先生の「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」とは、人は横の関係でつながっているという意味であり、日本社会に友愛の浸透を目指した福沢諭吉先生は、上から目線ではなく横から目線で見なさい、そう教えたかったに違いありません。

最後に、ディズニー7つの法則(日経BP社)という名著から、いくつかの警句を紹介します。 人事考課トレーニングを受けてきた理由です。(ディズニーは竹中氏と異なり評価の大切さを理解しているのです。)

<引用開始>
叱る回数が褒める回数の三倍もあれば、従業員の士気は上がりません
まるで何の反応もなかったとき、どんな気持ちがするか、よくわかっていないのです。何をやっても無視されていれば、何もやる気がしなくなってきます
“評価なし”のおそろしさを肝に命じておいてください
<引用終了>

秋葉原連続殺傷事件も「評価なし」が犯人を犯行に及ばせたものと私は判断しています。裁判員制度もそうですが、「評価」「判断」を間違えると実に恐ろしいことになることを竹中平蔵氏に伝えたい気持ちでいっぱいです。
posted by S・C・ NAKAMURA at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

豊穣の神ミン

ミン(Min)は、エジプト神話の神。

豊穣の神であり、ファルス(陰茎)を勃起した姿で描かれる。手には殻竿を持ち、頭には羽飾りを二つつける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3

豊穣の意味も分からぬ、下衆な読売記者には理解もできない世界であろう。

読売の読者が哀れでならない。
posted by S・C・ NAKAMURA at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

資本主義機械


あらゆる外部を内部へと引き込みそのシステムの中で差異なき差異の増殖をし続ける資本主義機械。気がついてみればそのシステムの中にがんじがらめになっているオレがいる。資本主義機械の王として振る舞う貨幣。価値の体系を全体から吊り下げるこの絶対者は決して磨耗することはない。幸福が欲しければ金を稼げ――一体この強迫観念はどこからやってくるのだ?

 稼いだ金は一時商品に変わるが、オレが使った貨幣はどのみちどこか別の場所で遊泳し続けている。そして、その余剰はオレと同じ病気にかかっているどこぞのバカの労働と結びつき再び商品の流れに合流されてくる。外部は常に内部に接続され出口のない閉回路の中でオレとおまえの欲望は貨幣として増刷されていく。そんなオレとどこぞのバカがいる限りこの貨幣の絶対王制は揺るぐことがない。

 ショーウィンドウに並ぶ商品の数々。つきつめられればこれといって欲しいのものはない。しかし、オレの中の資本主義機械はつねに勃起状態だ。薬づけならぬ消費づけの日々。金は使いたくないが、金を使うこと以外に何もやることがない何とも情けのないオレ。コンビニで食料を買い込み、電気代は今日も銀行口座から自動的に引き落とされる。一体生きているのはオレか?それとも金か?

 消費の代償に退屈きわまりない労働が待っていようとも、オレは金を使うこと以外にやることがないから働かざるを得ない。ひたすらコキまくる哀れな独身機械よ。このルーティンワークからこぼれ落ちれば、さびた部品となって朽ち果てるしかない。監視する者などどこにもいないのに、自らが監視者となって無益な幻想をオレに押し付ける。

どこぞのバカに追い付き追い越せ。あいつらよりも金を使え。それだけがオレの自尊心を満足させるのだ。ところで、あいつらって誰だ。そんなやつがどこにいる?いやしないじゃないか………。そうは分かっていても、今日もまた労働と消費の反復を続けるオレ。判で押したような毎日。スタートもゴールも見えないこの乾ききったトラックの上でやがて朽ち果てて死ぬことは火を見るよりも明らかだ。いや、すでにオマエは死んでいる。今頃気づいたか愚かなやつめ………。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019556&tid=beaec0tbdc0lobafb3u&sid=552019556&mid=153873
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読売2ちゃんねらーへの挑戦状


75 :大阪人 ◆SAKImyIocc :2012/09/27(木) 18:04:42.20 ID:0pr+vMyF
似非クリスチャンには卵を割るどころか、卵を合法的に手に入れる能力すらない。
しかたないので他人のオムレツをこっそりと盗み取ったが、誰かに喰われちまった。

94 :朝まで名無しさん:2012/09/27(木) 19:22:50.05 ID:pJNxik1F
ってか、まさるちゃん
乞食が何を言っても、聞いてくれるほど世間は甘くないぞよ!!

オマエは乞食なんだからサ
もうちょっと立場をわきまえなさい!!

大切な事だからもう一度言います!!
まさるちゃんは乞食です
まさるちゃんは乞食です
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1348671333/l50



あ〜あ・・・

日本維新の会のブレーンである、私が尊敬する堺屋太一氏のこの言葉の意味が理解できますか?

「現象から原因を探るのが知性で、さらに原理を導き出すのは理性の働きです。原理をもって次を予測することを、平たく言えば「勘」になる。先見性とは正しい観察と鋭敏な勘を備えているということです。」

ホモ・ルーデンス
ウィキペディアより
オランダの歴史家ホイジンガ(ハイツィンハ)は著書『ホモ・ルーデンス』で、子どもの遊びだけでなく、企業活動、議論、戦争、人の活動のあらゆる局面に遊びのようなルールと開始と終わりのあるゲーム的性格が見られると指摘しており、「人は遊ぶ存在である」という所説が評判を呼んだ。フリードリッヒ・シラーも、「人は遊びの中で完全に人である」という有名な言葉を著書『人間の美的教育について』において残している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3

読売盲信者の2ちゃんねらーの皆さん、目を真っ赤にして人をやっつけることに「勃起」している自分を改め、もっと人間的な知的ゲームを楽しみませんか。

posted by S・C・ NAKAMURA at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オムレツを作るには卵を割らなくてはならない


オムレツを作るには卵を割らなくてはならない(フランスのことわざ)
エリツィン氏はソ連という固い卵を割る役目を授かり、それを果たして、旅立っていった。
2007年4月25日 朝日新聞天声人語より

橋下(日本)維新の会の役目はこれだけである。

彼らには卵を割る能力はあるかもしれないが、オムレツを作る能力はまったく見受けられない。

さて、ニュースによると竹中平蔵元総務大臣が絡んでいるという。

<日本維新の会>公募候補者の選考委員長に竹中平蔵氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120927-00000048-mai-pol

明日は、竹中氏を批判する記事をアップする。

表題
竹中平蔵氏の致命的欠陥

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍晋三自民党総裁誕生を祝す


私は、石破茂氏が総裁になることをひそかに期待していた。理由は簡単、彼はクリスチャンと報じられているからである。クリスチャンならアメリカ政府もぞんざいに扱えないからだ。

さて、安倍晋三自民党総裁の誕生を一応は祝す。

彼の発言から
ウォルト・ディズニーは4回失敗し、5回目のチャレンジで成功した。

著書「美しい国へ」より

<引用開始>
格差社会
努力が正当に報われるためには、競争がフェアにおこなわれなければならない。構造改革がめざしてきたのはそういう社会である。

勝った者が新たな既得権益を手にしたり、負けたものが再挑戦を許されないような社会になるのは、絶対に防がなければならない。

再チャレンジ可能な社会へ
わたしたちが進めている改革は、頑張った人、汗を流した人、一生懸命知恵を出した人が報われる社会をつくることである。そのためには公平公正、フェアな競争がおこなわれるように担保しなければならない。

そういう「再チャレンジ可能な社会」には人生の各段階で多様な選択肢が容易されていなければならない。再チャレンジを可能にする柔軟で多様な社会の仕組みを構築する必要がある。

日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をすべきかを語り合おうではないか。

未来は普遍のものではなく、みんなの努力によって創りだされていくのだということはわかっていても、一歩前に出ることを躊躇う若者は多い。とすれば、彼らに勇気をあたえ、何をすべきかを示す責任があるのは、ほかならぬ政治家ではないだろうか。
<引用開始>

安倍元首相は、「戦後レジームからの脱却」という言葉を多用した。

レジームとは「体制(各部分が統一的に組織されて一つの全体を形づくっている状態。 大辞泉)」のことである。

平たく言えば「戦後レジームからの脱却」とは、ヤルタ、ポツダム後の「日本という組織の維持管理体制からの脱却」のことであると言って良い。

占領下で他国により決められたことが、現在も続いているおり、その体制から脱却すべきであるというのが安倍元首相の主張である。

私は、この主張に賛同する。

しかし、である。やり方が問題である。

氏は著書に以下のようにも記している。

<引用開始>
外交というものは、まずメッセージが先になくてはならない。交渉はその先の問題である。出すべきメッセージを出さなければ、そもそも交渉にならない。制裁するかと思わせることによって、困った相手は、はじめてテーブルにつくのである。
<引用終了>

李韓国大統領の言行や、尖閣問題で中国も韓国も、いまだに成熟していない国民を有することを痛いほどに思い知らされた。

この「制裁をするかと思わせる」という戦術は、この時代には相応しくない。

孫正義氏が口を酸っぱくして言うように、まず、理念が必要である。次にビジョン(理念を見える化したもの)であるが、安倍元首相の言葉からは、地球市民としての理念もビジョンも見えてこない。

孫正義氏に「小さい、小さい」と言われてしまうと容易に推察される。

私が考える「戦後レジームからの脱却」は、日本人の心の中にある。もちろん心とは、右脳と左脳がつくりだす「自分」である。
日本人の戦争責任から生まれる「自虐性」と、いわゆる白人への「劣等感」はつくられたものである。極端に言えば、今でもアメリカ人により「維持管理」されていると言うことができる。

この「維持管理」リモコンを日本人の手に取り戻すことこそが「戦後レジームからの脱却」であると私は確信する。

posted by S・C・ NAKAMURA at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妻の手紙 2012年06月17日

サンクチュアリ出版
鶴巻謙介様

 早いもので読売新聞の報道から2ヵ月以上が過ぎようとしています。この間、私たち家族は地獄の日々、苦難の日々を過ごしてきました。経験した者でなくては絶対に分かってもらえない苦しみです。
 思い返せば、初めてサンクチュアリ出版を訪ね、鶴巻さんとお会いした時から、何かが狂い始めたように感じます。女性の直観は当たると言われますが、鶴巻さんに対する初対面の印象は、正直申し上げますが、あまり良くありませんでした。「この人に任せておいて(当時の抱えている問題点において)本当に大丈夫?」。主人は、サンクチュアリ出版は信じられる会社だと繰り返し話していましたが、私にはそうは感じられませんでした。
 その私の直観は当たりました。鶴巻さんからの「責任は中村 克が取れ」という内容の郵便物を受け取った数日後に、主人が紀藤正樹弁護士を訪ね、「始めから他の出版社では通らない企画」と知らされた時は、目の前が真っ暗になりました。サンクチュアリ出版の人達はなんてひどい人たちなんだろうと思いました。私は人を憎んだり、恨んだりしてはいけないことを信条として私の人生を歩んできましたが、この時ばかりは、悔しさでいっぱいでした。生まれて初めて人を殴ってやりたいと心の底から思いました。その晩は怒り心頭で一睡もできませんでした。翌朝主人に「許せない」と伝えましたが、主人は「サンクチュアリ出版も読売新聞の報道の犠牲者だから、紀藤先生を通じて円満な解決を図りたい」と言っていました。
 その後、私たち夫婦間には喧嘩が絶えなくなりました。主人も自分を追い詰めるかのように、うめき声を上げ私に罵声を浴びせるようになりました。主人はすっかり変わってしまいました。
私は我慢の限界を感じ家を出ました。私の居場所は今も主人には伝えていません。(携帯メールで連絡することはあります。)
 振り返ってみれば、初めて鶴巻さんにお会いしたとき、主人が私達にはセラピーが必要だから、鶴巻さんに雨宮処凛さんを通じて良い先生を紹介してくれるようお願いしていました。鶴巻さんは「分かった」と約束してくれたのに、どうして連絡してくれなかったのですか。あの時良い先生を雨宮さんから紹介していただけていたら私たちはこんなに精神的に苦しまなくて済んだと思うと悔しくて仕方ありません。主人は周りからの攻撃に耐えきれず「読売新聞の前で焼身自殺したい」などとブログに書いたと娘に教えてもらいました。鶴巻さんがセラピーを紹介してくれていればそんなことはなかったと思うと胸が張り裂けるほど、鶴巻さんの態度、やり方、仕打ちは悲しく、許しがたいこと感じます。
 その後も、鶴巻さんは私たちに本当のことを話してくれなかったと思っています。企画の段階で「海賊版づくり企画(中村談)」であることは、いつ分かったのですか。その時点で私たちにそのことを教えてくれていれば、主人は素直に関係者に謝罪していたと言っていました。私たちも、針のむしろの上でのはらはらドキドキの毎日を二月半も過ごさなくて済みました。
 苦しみに耐えかねた主人はキリスト教に入信したと聞きました。主人は、教会(サンクチュアリ)は「究極のセラピー」と言っています。苦しかった4月から5月のあの時、鶴巻さんがもっともっと誠意と思いやりを持って私たちに接してくれていれば、私たちはこんな悲惨なことにはならなかったと思います。私は何回も主人に「鶴巻さんを本当に信じられるの」と聞きました。主人は最後はうなだれていました。主人も私も人を疑うことができない人間でしたが、今後は「人間は信じられない」という気持ちで生きていきます。そして、私はサンクチュアリ出版の読者や出版関係の人たちに「サンクチュアリ出版はとても信じられる会社ではない」ということを伝えていくつもりです。十分なお金があればサンクチュアリ出版を訴えたい気持ちでいっぱいです。
 要望を聞いてくれるのか分かりませんが、この私の文をサンクチュアリ出版のすべての社員に読んでもらってください。そして、社員の皆さんがどう思ったのかを私に教えてください。サンクチュアリ出版を訪ねたとき、多くの女性社員が働いているのを見ました。特に私と同じ女性が何を感じたのかをぜひ教えてください。
最後のパレードの新聞広告に「他人を思いやる気持ち、激しい今を生き抜く力が湧いてくる。」と書かれていたのが忘れられません。私たち家族を思いやる気持ちが鶴巻さんに少しでもあればと思うと、私たちのこれまでの失敗は何だったのかと悔まれてなりません。


補足
妻がリンク総合法律事務所の紀藤正樹弁護士に読んでもらいたいと書いたものです。
雨宮処凛さんとの関係について説明します。サンクチュアリ出版から当該書籍の出版依頼があったとき、サンクチュアリ出版から出されている水谷修氏の「夜回り先生」の本と、雨宮処凛さんの「すごい生き方」など、数冊の本をいただきました。雨宮処凛さんの「すごい生き方」は、リストカットを繰り返した雨宮さんの「生き方」のアドバイスであり、心の病気になったら「セラピーをうけなさい」という内容のものです。
サンクチュアリ出版は、私をスケープゴートにして逃げ切りを図ることを決定する前は、著作権の問題は「事後承諾」で進めるとしていましたので、「仲間」と思い込み、雨宮処凛さんを紹介してもらうことを夫婦間で話し合ったのです。

posted by S・C・ NAKAMURA at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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