2012年06月30日

ミスターロンリー 早く家に帰りたい

http://www.youtube.com/watch?v=RrQKHeAyeDU

城達也のジェットストリームを聞き、アメリカを目指した私です。


だまされました。

ミスターロンリーとは・・・反戦歌 早く家に帰りたい、という「ソルジャー(人殺し兵士)」の歌だったのです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1360191083?fr=chie-websearch-2&k=34vV7tyQnZaZkZqGzpWui5CPlsuRqIbT49eZnpSWlZHh1IutlpmQj5bL6ZCei6OWlZDU6c7h54ajlVfsDUb2IlLwI0z2MEzxEFfsIlHnE1b3JY5JIfVXFwKLn5bN18aWo5GelJmjpJmehaCL0N7U0teWo5CFoIvXkJ6Lp5aVkNTXi6mQloufltKQnZaan6KcoqWmn56Yrtze2trO1%2FCaoZmkmqiflKGmrtzdz%2BrO0%2BqVnaSpn6abqpujqNfY3%2BrO0oWgi%2BOQnoukp5ynmauen6aXi5%2BW3d3O2deRqIablaCL4IWui6KQ4Q%3D%3D
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方言が教えてくれる鎌倉時代の庶民生活@


埼玉県と東京都にまたがる旧元狭山村は、鎌倉幕府にとって特別な場所でした。まず位置関係を頭に入れてください。

瑞穂町地図 001.JPG


幕府が最初にやったこと、それは「宿」づくりと産業づくりの拠点づくりに違いありません。そのために鎌倉街道(後世の日光街道も東海道も鎌倉時代には「鎌倉街道」です)を鎌倉から北へ伸ばしていきました。

その、交通と製茶産業の要所が元狭山村という小さな村でした。

瑞穂町発行「瑞穂町元狭山村合併誌」より
<引用開始>
地図でみると、瑞穂町は、少しイビツな三角形を逆さに立てたような形をしている。(筆者註:赤線で囲った部分から黄色で示した元狭山村を差し引いた地域)
東は北多摩郡村山町、昭島市と境を接し、南と西を福生町、羽村市、青梅市に囲まれて、北方を底辺にして逆立ちした三角形は、その重さのために底辺の一部が陥落して、その部分が頂点付近に押し出されたという格好である。そして、その上に、これはまた底辺の突出した、ひとまわり小型の三角形が、すっぽりとはまりこんで乗っている。それが元狭山村である。
この底辺と底辺の接触点が描く曲線が、二つの町村の境界線であると同時に、東京都と埼玉県の境界でもあるが、元狭山村の、底辺を除いた他の二辺は武蔵町に囲まれているので、もし境界線を意識に置かなければ、それはちょうど、瑞穂町が武蔵町に打ち込んだクサビのように見える。
実は、と開き直るまでもないが、このクサビがクサビでなくなったのは、(両町村が、この境界で東京都埼玉県に分かれたのは)もちろん明治に入ってからである。それ以前、つまり江戸時代には、この二つの町村は“天領”(幕府直轄地)という一つの地域社会の中で、一緒に生活していた間柄なのである。当時周辺一帯は川越藩の領地であったから、元狭山村は、川越領に打ち込まれた、天領のクサビでもあった。
身分制度の厳然と確立した封建社会では、同じ農民であっても、一般諸大名の領地に住む者と天領のそれとでは、はたのみる目も農民自身の気質にも大きな違いがあった。天領地の農民は、“天領の民”としての誇りを失わなかったし、またどことなくそれらしい応揚さもあった。公方様直々の御領地であるということが、どれだけ誇り高きものであったかは、いまさら直参旗本大久保彦左衛門や白柄組に例を引くまでもなく、容易に想像できることである。従って彼らは、諸大名治下の農民とは別の、一種独特の地域社会をつくり、その社会環境の中で生活していたのである。
昭和の今日、百年もそれ以上も昔のことを持ちだすことは、アナクロニズムという批判を受けるかもしれないが、それは当たらない。農民の心の中には、百年前の考え方や慣習が、まだ生きている。農村の悲劇の多くは、これを無視しようとしたり、変革しようとしたりすることからもおこるのである。
瑞穂町と元狭山村は、反射炉で有名な伊豆韮山の代官江川家代々の支配に属し、ともに天領として、いわば兄弟同様に、一つ家で育った幼馴染であったのである。時代の流れは、この幼馴染を別れ別れにしてしまったが、それから一世紀を経た昭和29年、また一緒に暮らそうではないかという気持ちを、双方で持つようになった。そのきっかけをつくったのが、町村合併促進法であった。

<引用終了>


子どものころ聞いたことば 話したことば 関谷 和著
<引用開始>
瑞穂町との合併
昭和33年に瑞穂町との合併があった。これは埼玉県から都への越境合併と云うことで政治問題化して二本木のほぼ4分の3が埼玉に残る分村合併となってしまい、後々まで問題が残った。母校元狭山小は瑞穂合併地区にあり、そのまま瑞穂三小となった。当時中学校は宮寺村との組合立の狭山中学校で、それは残県地区の狭山台にあった。瑞穂合併地区の小学生はそのまま瑞穂三小へ、狭山中に在学中の中学生は瑞穂中へ転校した。そして、残県地区の親たちもそのまま瑞穂三小へ、中学生も瑞穂中へ転校させるという手段をとった。これは「分村合併」という自治省の最終採決への抗議の意味もあった。この年度、狭山中から瑞穂町への転校はおよそ150名で、その内埼玉残留地区の子女は40名であった。これら全ての転校生を瑞穂町は歓迎し、都もこれを承認した。都教委は「都立高校受験要項」に「瑞穂中條項」と云うのを加え、その40名にも埼玉県在住にもかかわらず、都立試験への受験資格を認めた。この条項はつい先年まで存続されていた。
元狭山と瑞穂町は歴史的にも地理的にもつながりが強かった。八高線箱根ヶ崎駅が村の中心部から一番近かったので、通勤通学のためにこの駅を利用する人は多かった。また、買い物、医療、郵便等瑞穂町で用を済ませることが多いという実態は戦後とくに強くなっていった。昭和18年にも合併を求める動きが起こったが、昭和28年の「町村合併法」でその機運は一気に加速される。元狭山村民の多くがそれを望み瑞穂町も大歓迎だったので、いとも簡単に実現すると思われたこの合併もさまざまな政治的問題がからみもつれにもつれてくる。当時埼玉県南部地区には都編入を望むかなりの市町村があった。元狭山村の越境合併はそれらの地区に多大の影響を与える恐れがあった。また埼玉県にはすでに豊岡町中心に他数ヶ村を加えた“武蔵町”という構想もあり、元狭山村4000人の行方はその成否にかなりの影響を与えるなどの理由があった。また元狭山を含む地区の県会議員の定数の問題もからむという話もあった。
<引用終了>

元狭山村は明治22年4月1日に発足しました。初代村長は筆者の曽祖父です。以前に記した【中村家】のシステムはこの時までは維持できていたのです。

関谷氏の本によれば、昭和10年代、元狭山村のお盆は13日から、箱根ヶ崎より先は16日からと元狭山村が特別の地であったことを知らせてくれます。

そして、この元狭山村で話されていたことばは、今から800年前の鎌倉時代からつづく公家ことばと伊豆韮山県(北条政子の出身地と思われる)のことば、同じお茶の産地駿河のことば、さらに、甲州街道を経由して入って来た甲斐の国の武士ことばが入り交じっているのです。

印象的なのは、父はアゲハチョウを「カマクラ」と呼んでいたことです。ことばでは表現できない程の優美さからなのでしょうか。

「ざまーみろ」も「座間を見なさい」です。

「ごちそうさま」に対して「おかるうございました」という返事ことばは、この地域では当たり前のように使われていますが、なんと気品が高いことばでしょう。どうぞ、あがらっしぇーなどのことばも同じです。

「あじをひく」とは、腐った食べ物からねばねばした糸状のものが出ることをいいました。納豆のあじ(味?)から来ているものと考えられますが、元狭山村の二本木には公家や武家のための臨済宗禅寺が二つあります。江戸時代までは、そこに集い、禅と茶と納豆などで気品ある禅信仰をしていたことは容易に想像できます。

方言ではないかもしれませんが、子どものころ「最初の勝ちは嘘っ勝ち」と言っていたことはっきりと覚えています。源頼朝軍は鎌倉幕府ができる前に石橋山の戦いに大敗し、後の源平の戦い(壇ノ浦の戦い)にしょうりしたことから、「最初の勝ちは嘘っ勝ち」という言葉が広まった、と筆者は解釈しています。

私たち日本人は、自分の周りから全体を見るミクロの視点になりがちです。近々記しますが、東京の西多摩地区や埼玉県入間市などは、韮山県つまり箱根や小田原を中心とした地域、現在の神奈川県に江戸時代まで属していたのです。
明治以降の廃藩置県や市町村法などから歴史を見ても何も見えてきません。自分が住んでいる地が過去にどんな歴史的役割を果たしてきたのかを考えるマクロの視点で物事を考える必要があるのです。
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バックキャスティング手法による脱原発ロードマップづくり


今朝の朝刊には「脱原発」官邸埋める、と写真入りで大きく報道されています。311以前は、小さな政治デモでも、警察により制御されてきましたが、やっと日本もここまで来たかと感慨深いものがあります。

それだけに、今後、私たち日本人はどこへ行くのか、という根源的なテーマを論じ合わなければ、単なる「ブーム」で終わってしまい、安保闘争のようになにも実利の無い、民益のない感情的な闘いでしかなくなります。

ピーター・ドラッカーは「明日を支配するもの」という著書にわざわざ「付章 日本の官僚制を理解するならば」を記し、日本人に警鐘を鳴らしています。

「官僚という指導層は、一般に考えられているよりもはるかにしぶとい。不祥事や無能が暴露された後も、長く力を持ち続ける」
「今日の日本には官僚の後を継ぐもの(指導層)がいない。」
「日本は、これまで問題の先延ばし戦略で成功してきた。この40年間に、解決不能とされていた社会的問題を、問題の解決ではなく、問題の解消によって解決した」

311で露呈された官僚の無能さ、自分たちは逃げげてしまうという官僚のずる賢さの国家体質上にこれから20年後、30年後の将来を築くことは、極めてナンセンスであり、これまでの過ちを繰り返すことになるに違いないのです。

ドリーム党の政策の中核をなすものは、まさにこの官僚指導問題の解決ですが、解決策は簡単です。30年かけて官僚をゼロ(ゼロに近いという意味であり、一人もいなくなるというものではありません)にすればいいのです。現在の公務員の身分保障さえすれば、30年かけた「自然消滅」には反対できないでしょう。

官僚機構は立法府や行政府(内閣)の執行機関として位置付けられていますが、国を動かす決定権を持つのは、内閣であり国会であるのです。その内閣や国会議員を選ぶのは国民です。国民が官僚に限らず、地方公務員や地方議会議員を限りなく少なくする、という決意をすれば、この国の行政にかかる費用は何十兆円も削減できます。

繰り返しますが、ドリーム党は「公務員を限りなくゼロ」にします。そして、新たな指導層として子育てを終えたり、定年退職をした女性を指導層としたりしていうべきと考えます。脱原発のオピニオンリーダーの落合恵子氏やオウム事件で活躍した江川詔子氏、浜矩子教授などは適役であると考えます。

いつか書きますが、戦後の金銭経済の成長は、育児など女性の影の力があったから成し得たものであり、「専業主婦はなまけもの」というアメリカ思想を強制注入された男たちの棒若ぶりが、今日の「青い顔の女性」を生み出しているのです。

前書が長くなりましたが、国づくりは理念が先行しなくては、官僚の筋書き通りになってしまいます。子どもたちの未来を考えた場合、それだけは絶対に避けなくてはいけないと、私たちは心しなくてはならないのです。

1、マクロの発想の必要性
日本人の悪い癖は、自分の暮らす周辺(ミクロ)から全体(マクロ)見る、自分の属する組織から全体を見る、等身大から全体を見るというミクロの視点です。中国のことわざの「森の中にいる者は森が見えない」と同じです。そうではなくて、西洋人のように、マクロの空間からミクロの空間に分割していくという大局観をもった手法でないと、新しい国づくりなどできません。

脱原発問題も同じです。私も脱原発論者ですが、脱原発社会、脱化石燃料社会という全体を的確にとらえるためには、20年、30年後のあるべき姿を明確に描像(描いたり、文字にしたりして頭の中にある無形の知を有形の知にする作業)しなくてはなりません。放射線が怖いからというようなミクロの視点では、官僚に見透かされるだけです。

私の趣味は地図を見ながら考えることです。日本地図を広げ「ここからここに地下音速ジェットリニア新幹線を走らせたら日本ははるかに豊かになる」とか、南太平洋の地図を見ながら、「沖の鳥島にメガフロートを集めた人工島をつくれば、熱帯地方(北緯20度25分の沖の鳥島は、北緯21度28分のハワイ、ホノルルより南に位置します)を手に入れることができる」「地図を逆さにしてみれば(アメリカを背にすれば)、日本の南には延々とエネルギーを生み出す国々が存在する」などと、マクロの発想で想いをめぐらしています。

私は、菅直人元総理同様にバイオマス推進論者です。日本の緑をエネルギーに転換すれば、化石燃料に頼らない社会が構築されます。山に畑に大量の雇用が発生します。

 自然エネルギーの固定価格買い取り制度が七月から動きだす。小出力の電源ではあるが純国産だ。火力発電の燃料高で生じる所得の海外流出を抑え、日本経済に元気を取り戻す役割も担わせたい。
<引用終了>

東京新聞の社説通りの「所得の海外流出を抑え、日本経済に元気を取り戻す」という夢のような話も実現できるのです。

マクロの視点で30年後の姿をことばで表してみます。

◆国土の4分の3を占める日本の山林は荒廃から立ち直り、バイオマスエネルギーや石油製品に変わるセルロース※、薬の元となる原料などを大量に生産し、海外に輸出するまでになっている。
※セルロース こちらのサイトが分かりやすい(ありがたい)
http://www.naoru.com/seruro-su.htm

◆生ゴミという生活用語が死語になっている。生ゴミや剪定ゴミなどのバイオ(生物)は乾燥させれば資源(バイオマス)になる。11兆円ともいわれる廃棄食糧品はそのほとんどがバイオマスとして完成された循環社会のなかで役立つ存在になっている。

◆全国54ヶ所の地方管理空港は地下に地産地消の発電施設(バイオマス発電、燃料電池発電など)を持ち、空港隣接の「仮称、ウエルカム観光おもてなしテーマパーク」では、発電時に発生した排熱を利用して、冷暖房や給湯などに利用する熱エネルギーを供給する仕組み(コージェネレーション)により、旅行客を楽しませる施設運営が行われている。もちろん運行しているのは国産ジェット旅客機MRJである。
MRJ
http://ja.wikipedia.org/wiki/MRJ

◆原子力発電所や海に面した火力発電所はすべて天然ガスによるガスコンバインドサイクルへの転換が行われている。

◆かつてシャッター通りと呼ばれた地方の中心市街地は、自然エネルギーと日本文化、森林文化の集積した魅力的空間に変貌し、老若男女が集う憩いの場所としてにぎわっている。

◆かつて限界集落と呼ばれた山間の集落は、森林文化を守る木こり衆による「エコロジー・テーマパーク」として独特の文化を築き上げ、世界中から観光客が訪れている。

こんな感じです。イメージがわいてきましたでしょうか。

2、バックキャスティングの手法を取り入れる。
台風に例えます。「北緯20度を超え大型の台風は進路を日本本土に向けています。」予報が当たる、つまり必ず台風はやってくるという前提で一つずつ、確実に準備を進めていく、これがバックキャスティングです。

30年後は確実にやってくる。国民の総意で決めた「30年後の姿」からバックして「今やること」「5年後にやること」などを準備するという極めてリーズナブルな目的達成手法ですが、確実にやってくる個人の「入学試験」などと違って、集団は現在の損得を考え、このバックキャスティングの手法を取り入れたがりません。その良い例が、1000年に一度確実にやってくる大津波に備えなかった東京電力と日本の官僚組織です。

30年先を予測することは、30年先をつくるということと同じです。原発反対の集会が盛り上がっています。その一人ひとりの気持ちという無形知を、有形知にし「私たちはこういう未来をつくります。見てください」と政治家に対し決意表明することが、脱原発を進めるスタートと考えなくてはなりません。

ターシャ・テューダーは「美しい花を咲かせる方法は、近道を決して探さないこと」という言葉を残しました。

あるべき未来の姿である設計図を国民全員が共有し、30年後に続く道に設計図に示されたプロット(大道具)を並べていくのです。幸福を生み出す「装置」や「仕組み」を、時間をかけてこの国に組み込ませていくのです。
そして、誰もがこの30年後づくりに参加するのです。こうすることにより、夢は必ず実現できます。

最後にもう一度繰り返します。自分の身の回りから全体を見るのではなく、マクロの空間からミクロの空間に分別していかなくてはなりません。時間軸から見て30年後という未来から現在を位置付けるのも同じ発想です。

ドリーム党は大阪維新の会の橋下市長のような、ミクロの発想、インサイドアウトの発想を否定します。
世界地図を見ながら、地球市民として日本の役割は何かを考える政党を目指します。

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2012年06月29日

悪徳サンクチュアリ出版とのメールのやり取り


『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』が出版された頃、妻がこう言っていました。

親がディズニーランド嫌いの子供でも、いずれ青年になりディズニーランドにいくようになる。そして必ずこの本と出会うことになる。

読売新聞の門間順平記者やサンクチュアリ出版の鶴巻謙介社長は、妻のこのことばをどう考えるのでしょうか。

2009/03/18 (水) 12:00発信
編集長様
お世話になっております。

編集長様からのメールにお答えする前に一件お願いがございます。

○○様よりFM東京生放送への出演依頼をいただいております。

先日も申し上げましたように、著者は前面に出ない方がいいと思いますので誠に申し訳ありませんが辞退させていただきます。
(生放送20分など私には耐えられません、「失態」をさらすことになります。)

私がこの本で伝えたいことを一言でいいますと「働かせ方によるアウトプットの違い」です。

勤労感謝の日の精神は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」というものです。勤労を尊んでいるディズニーランドと勤労を商品化している日本社会の差が、この本と派遣切りという現象になって表顕している、私はそのことを全国民に気付いて欲しいと願っています。

もちろん、ラジオ等のメディアでこのようなことを話題にすることはありませんが、この本の販促のために「甘口」の話をすることもありません。
先日もお伝えしましたが、実績が示しているように、この本は著者が前面にでなくても着実に売れていくことは間違いありません。

それより、月刊誌などのインタビューや対談などを通じ、この本の「奥の深さ」をじっくりと伝えていくことの方がこの本の価値はより向上すると私は考えています。

添付の資料をぜひご高覧頂き、私の方針をご理解くださいますようお願いいたします。(6月8日に起きた秋葉原事件一周年頃にこのレポートを世に出したいと考えています。)

さて、重版の件ですが本当にうれしい限りです。この本はクラシック音楽のように、永遠に売れ続けていくことになるでしょう。

妻がこう言っていました。

親がディズニーランド嫌いの子供でも、いずれ青年になりディズニーランドにいくようになる。そして必ずこの本と出会うことになる。

私もそう思います。ディズニーランドがある以上、この本は書店に並び続けるものと確信しています。

つぎに、この本の反応への対応ですが、以下のような姿勢で臨んでいただきたいと思います。

基本方針
読者や個人からの反応には誠意を持って臨むが、関係者には通常のビジネスライクの姿勢で臨む。
この本はオリエンタルランドについて書いたものではないのでディズニー関係に対してはアメリカのThe Walt Disney Companyを「相手」とする。

先日、○○様から感想を転送していただいた時も、いろいろなケースの反応があるだろうと考えました。ディズニーランドでは、このような反応に対してパターン別の「ひな形」をつくってありました。つまり、引出しを開ければ回答が用意されていたということです。

できましたら御社においても「ひな形」をつくり、反応すべてに対応していただきたいと考えます。

もちろん、「ひな形」づくりには協力したします。

2009/03/27 (金) 13:57発信
編集長様
お世話になっております。

フジテレビの件ですが、そのような取材であれば応じさせていただきます。
ただ、事前に何が聞きたいのかを知らせていただくようお願いいたします。

さて、「攻撃」への対応ですが、別紙にまとめてみました。
ご高覧いただき、御社内で共有していただければ幸いです。

別紙資料
サンクチュアリ出版様へ

基本的には「善意には善意で応える」「悪意には毅然たる態度で臨む」ことがベストであると考えます。

世の中にはディズニーランド成功へのやっかみから、ディズニーを批判する者が五万といます。
そのような輩からの、攻撃の唯一の糸口が「エピソードの版権問題」です。

私は、ディズニー出身者として、またこの本の著者として、ディズニーランドに体験談をお送りくださった本人に対しては、誠意を持って感謝の念を伝えていく所存です。

反対に、この本によって何らかの損害が生じたと訴えられる方がいらっしゃった場合にも、誠意を持って賠償を行っていく所存です。

目先の「小さな出来事」にとらわれず、私たちが社会に大きく貢献している事実を見つめていきたいと私は考えます。
(鶴巻社長はすでに実売数7万冊を超えたようだとおっしゃっていましたが、これだけでも400万円以上の消費税を生み出しているのです。)

さて、ひな形の一例を考えてみました。

悪意とも悪意でもないとも受け取れるメールに対して

○○様
この度は弊社へお問い合わせいただき誠にありがとうございます。
また、貴重なご意見を賜りましたことに深く感謝いたします。

お問い合わせの件に関しましては、「最後のパレード」の最終ページ?に記しましたように、それぞれのエピソードは、東京ディズニーランド関連資料、東京ディズニーランド元関係者の談話、東京ディズニーランドのファンサイトの情報などを基に再現したものです。

弊社は、貴重な体験談をディズニーランドに送ってくださったご本人様に対して、感謝の念を表したい気持ちで一杯です。
もし、○○様がご本人様をご存知でしたらぜひお知らせください。弊社が誠意を持って対応させていただきます。

おかげさまで「最後のパレード」は、大好評をいただいており、弊社には「素敵な本をありがとう」「人生の宝物にします」という内容の感想のほかに、「我が家も同じような体験をしました」というエピソードなども数多く寄せられています。

また、株式会社オリエンタルランドの元副社長、上澤昇氏からは次のような書評をいただいております。

「   」

著者の中村克氏も今後、雑誌や新聞などを通じ、この本が誕生した経緯についても語っていきたい、と述べられています。

「最後のパレード」出版の趣旨をご賢察の上、何卒ご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

末筆ながら○○様のご健勝を心より祈念いたします。
<終了>

それでも、ネタ元はどこかという問い合わせには

○○様
多くの関係者の談話やサイトに掲載されているエピソードの多くは重複しています。
弊社は個々のエピソードの取材先を明らかにする予定はありません。

諸事情をご賢察の上、ご理解下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
<終了>

中村 克
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ドリーム党の政策「帰宅難民問題」について


帰宅難民問題について明確な方針が出てきません。私ならこうします。

発想を変える。大地震で停電すると電車が動かなくなるという発想から、停電しても電車が動く仕組みをつくるというように発想を変えましょう。

方法は、いくつかあります。

1、全車両に一台「ディーゼル牽引車」を設置する。
2、車のようなハイブリッド車両にする。脱化石燃料を推進するのであればバイオエタノールを改質物質とした燃料電池※とバイオディーゼルを用いた燃焼機関のハイブリッドが効果的。その理由は、あくまでも非常用であるが、ピーク時を除けば通常時も電気を使わない運行も可能になり、大幅な節電効果が期待される。

※燃料電池
水の電気分解の逆。それが燃料電池の原理
●燃料電池は、「電池」と呼ばれていますが、“発電装置”と言った方がふさわしいものです。乾電池と違うのは、使い捨てではないという点です。水素(H2)と酸素(O2)があれば電気を作り続けます。
日本ガス協会のホームページが分かりやすいです。
http://www.gas.or.jp/fuelcell/tour/index.html

3、リニア車両にする。
20年以上前にオープンした東京ディズニーランドの人気アトラクション、ビックサンダー・マウンテンの列車は、リニアモーターカーであることを知っている人はどれだけいるでしょうか。

もちろん、ビークルには「モーター」はついていません。

ウィキペディアより
リニアモーター
基本的な原理は回転型のモーターと同一で、誘導型では磁界中に置かれた導体に電流を流したときに生じるローレンツ力(電磁場中で運動する荷電粒子が受ける力)を利用しており、同期型では磁極同士の吸引・反発力を利用している。
もっとも原始的な構造は、回転型のモーターを直線に切り開いた形を想像すると理解しやすい。回転磁界を起こす代わりに直進させる磁界変化を起こしている。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

原理は簡単、電磁石同士の反発力や吸引力を動力源として、ビークルを動かしているのです。

ビックサンダー・マウンテンの入り口を入り、建物に入る前のスロープ上から、軌道上に設置されたレンガ色の電磁石が設置されたゾーンが見受けられます。ここは、リターダー(減速装置)ゾーンといい、電磁石の力で列車のスピードをコントロールしています。列車が出発するときは、ブースターと呼ばれる推進装置が、列車を押し出す仕組みになっています。

列車の客車4台の下には「フィン」と呼ばれる、大きな菜切り包丁のようなものがついています。このフィンが電磁石間のスリットを通りぬける際に磁力で動き出したり、減速したりします。このリニアシステムとは別にビックサンダー・マウンテンでは、安全上、ステーションや軌道上にセーフティブレーキが設置されており、コンピュータと人間のコラボレーションにより、フェールセーフ(安全の保障)が保たれています。

このシステムを今後数十年かけて、日本の全土の電車システムに取り入れていけば、日本のインフラ力は格段に向上します。
日本人の進化力は世界一です。リニアは世界を圧倒する力を持っています。いつになるか分かりませんが、世界に輸出する日が来るのは間違いありません。

その理由です。
フィンは動力を受け取るだけのものではありません。メインのコンピュータはフィンを通じて列車の運転情報を読み取ります。列車のスピードや列車の状態まで分かるのです。(たとえば、客車と客車が離れてしまったら、フィンの間隔に変化が生じます。コンピュータは即座に列車を停止させる命令を下すのです)

つまり、尼崎JR脱線事故後に語られるATC(自動列車制御装置)以上の高度の制御が可能になるのです。ジェットコースターと異なり、電車システムの制御は簡単です。駅に設置すれば、絶対にオーバーランなど生じません。レールの無い場所を走る車にも衝突防止装置がつく時代です。レールの上を走る電車の運転が子どもでもできるようになることは間違いなく、途上国における自動運転や高度の訓練を必要としない電車システムが容易に可能になるのです。

さらに、このシステムは基本的に地産地消の電気エネルギー活用が基本となっています。これまで非常用のサブ電源として扱われてきた「自家発電」が、通常運転のメイン電源になっていくのです。

民主党「脱原発を考える会」は、2012年6月27日、「脱原発ロードマップ第一次提言」を発表したと報道されましたが、私には50点の評価でした。20年後、30年後はどうなっているべきかを創像し、「見える化」させることが先です。

日本にはバックキャスティング思考が根付いていません。

<現行の東京都廃棄物処理計画>
平成18年度に策定した東京都廃棄物処理計画は、廃棄物審議会におけるバックキャスティングに係る論議を踏まえて、次のような構成になっている。
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/attachement/3r_expert_meeting_12.pdf

帰宅困難者問題も、エネルギー問題も、脱原発問題も、このバックキャスティングの手法を取り入れないと決して「筋書き」通りにはなりません。「筋書き」通りにこの国を脱原発であり、脱化石燃料社会にするためには、しっかりとした「筋書き」が必要であり、「筋書き」上で展開する「装置」や「システム」の構築が必要不可欠です。

そのあたりを、明日このブログに記したいと思います。
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人だましビジネスのサンクチュアリ出版

新聞という公器に対して平気で嘘をつく、まさに悪徳ビジネスと言わざるを得ません。

サンクチュアリ出版は2009年5月19日の読売新聞で次のように説明しています。

<引用開始>
出版の1年ほど前に、中村氏が「ディズニーランドであった話」として、プリントアウトした200以上のエピソードを持ち込み、同社編集者がネット上から集めたディズニーランドに関するエピソードも合わせ、中村氏が33の話を選んだという。
<引用終了>

真っ赤なウソです。事実は以下の通り、メール受信の記録もあります。

レジスタードマーク10月28日 企画進行に関する確認メールが届く。内容は「パイロット版の作成を12月から1月にしたい」について、当方は「1月でOKと伝達」

レジスタードマーク12月4日 メールにて企画書が届く。

レジスタードマーク12月11日、サンクチュアリ出版から「あひるさんありがとう」を含む掲載予定の42話のエピソード集(47ページ)のメールが届く。このエピソード集を受け、著者のコメントやまえがき等を順次送付する。

レジスタードマークこの間、著者は掲載が適当ではないエピソードを排除、内容に関してもディズニーランドの実際運営との整合性を図る添削作業を行う。

レジスタードマーク1月17日にイラスト入りの「完成品」に近いPDF文書が送付される。

この間、サンクチュアリ出版側は「できるだけネットでの公開者に連絡を取り、承諾を頂く」と発言。著者は「よろしくお願いします。」と返答。
<終了>

読売新聞の讒言報道により、ざっくり開いた心の傷に塩を塗りつけるサンクチュアリ出版、読者はサンクチュアリ出版の正体を知るべきです。

なお、私が紀藤正樹先生に弁護をお願いしたのは、友人が以下の紀藤先生の著作権に関する記事を見つけてくれたからにほかなりません。

僕の考える著作権 

 僕は、著作権と言うものの権利性を強くとらえることは、インターネットの世界ではよくないのではないと考えています。

◎憲法第21条

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


 憲法は、表現の自由を権利として認めています。

 

◎憲法第29条

 財産権は、これを侵してはならない。


 著作権も財産権のひとつとして、憲法で保障されていることは当然ですが、表現の自由は、人が生まれながらにしてもつ根源的な権利として、財産権よりも優越的地位を有するというのが、憲法学者の通説的理解です。

 そして著作権は、財産権のひとつですから、資本家の要求と大衆の要求が鋭く対立する面を持つ問題といえます。

 著作権をあまり厳格にとらえ過ぎると、表現手段の多くを資本家が握っている現状では、著作権が表現の囲み込み手段のひとつとなってしまう可能性があります。表現をするたびに著作権者に使用料金を払わなければならないというのでは、かえって、文化の自由な発展を阻害してしまいます。

 したがって、あまり著作権を厳格に適用することは、もともとインターネットが持っていた「素人が自由に表現を発信できる」という利点を、すべて奪ってしまうことにつながりかねません。

 個人が無償で表現を発信することは、表現の自由の本来的な方法ですから、他の表現を引用することは許されてしかるべきだというのが私の意見です。

 

◎著作権法第32条(引用)

 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。

 
 現在でも著作権法は、報道、批評、研究などに絡む引用を認めています。

 ところが、映像の世界のように、実際には著作権は非常に厳格に運用されている業界が少なくありません。一部分の映像を使っただけで著作権侵害になることを心配し、引用範囲について非常に細かいチェックが入ります。そのためニュース報道においても、使いたい映像が著作権のために使えないということがたびたび生じています。

 著作物に対する印税など、プロが相応の利益を得るという考え方が、もちろん正しいのですが、そのことは金を持っている側の資本の論理だということもできます。いわば「持てる者の論理」です。これに対し、インターネットは「持てない者」でも、社会に対し情報を自由に発信することができます。だからこそ、インターネットは権力に対する風穴となるのであり、従来のメディアとは決定的に異なる点でもあります。

 それなのに、ホームページにちょっと新聞記事を載せただけで新聞社からクレームがくるというような現状は、あまりにも窮屈といえます。要は、引用に正当な理由があるかどうかであり、それを判断する基準として、引用によってお金を取るか取らないかということ、つまり営業行為としてやっているかどうかという点を、重視すべきです。営利行為でなければ、引用の範囲は広げていいはずです。

 そういう意味では、一般の市民が身銭を切って開設しているホームページの引用に、いちいち目くじらを立てなくてもよいのではないか、というのが私の意見です。著作権は、一種の知的財産権の囲み込み運動のようなものです。資本の囲い込み運動に対しては、過去には労働者の側から闘おうという運動が起こりました。

 ところがいまは、著作権の囲み込み運動に対して、市民のほうで闘うべきだという議論がほとんど聞かれません。むしろ、サイバースペース上では、著作権を考えるあまり、どこまで引用できるかについて、利用者のほうで萎縮しつつあるのが現状ではないでしょうか。しかし、表現の自由こそ、人間の本質的権利です。著作権という人間のつくった権利によって、表現の自由がせばめられていくのは本末転倒です。

 少なくとも著作権については、もっと市民の側が資本家と戦う姿勢を見せるべきだと思います。

 (なお最後の点は、提言7つのルールの7番目参照)
http://homepage1.nifty.com/kito/copy.right.html
posted by S・C・ NAKAMURA at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小出裕章という原発論者妄信の愚


小出氏の講演を聞いた。退屈で仕方なかった。入場料がもったいないと感じた。しょせんは素人だから仕方ないという結論に至った。

車に例えるとこういうことである。小出氏はエネルギーを生み出す「燃焼室」の研究家である。エンジンを車を動かす「メインシステム」と考えよう。そして、エンジンを冷やすラジエーターを「サブシステム」と考えてみよう。そうすることにより、福島第一原子力発電所の事故原因がはっきりと理解できるようになる。

ご存知のように、水素爆発に至った事故原因は、ステーションブラックアウトと呼ばれる全電源喪失によりポンプを回せず、原子炉を冷やせなかったことに起因する。車に例えるとサブシステムであるラジエターが機能せずにエンジンが冷やせずにヒートアップ、メインシステムであるエンジンの焼きつき現象に至ったというものでる。

小出氏はメインシステムであるエンジンの燃焼システム(原子力により燃焼エネルギーをとりだすシステム)の研究者であるが、車はエンジンだけで成り立っているものではない。福島第一原子力発電所事故のように、サブシステムである冷却装置、原発を動かすアクセル、安全に止めるブレーキなど「総合装置」として原発は「安全運転」されているのである。

石原伸晃自民党幹事長が「集団ヒステリー」と言ったことが話題になったが、小出氏の講演会は、まさに「集団ヒステリー」状態。小出氏が「東電の社長室に汚染土を届けろ」というと、集団は拍手喝さい。なにか、戦前の大本営前で悦に浸っている愚民の集団であるかのごときだ。

私たち一人ひとりには、小出氏を支持する権利も、支持しない権利もある。読売新聞のように「弱肉強食」型の社会づくりを支持する権利もあれば、読売が目指す社会の反対の、質素で素朴な生活をする権利もある。要は個人の価値観による選択なのである。

私は、小出氏の講演内容を否定する。以下にその理由となる一冊の本の引用文を紹介する。

「低量放射線は怖くない 中村仁信著 遊タイム出版」 より引用
<引用開始>
著者(中村):ホルミシスとは放射線や紫外線がまったくないと生物に不都合が生じるというレベルでなく、微量であれば身体によい影響があるというお話です。
 実際にあった興味深い事例からお話しましょう、1983年に建てられた、台北市および周辺の180の鉄筋アパートのビルの鉄筋にコバルト60が混入され、住民約一万人が被ばくした事件がありました。1992年にこの事実が判明し、当時、日本でもTVニュースで流れていたのを覚えています。

A:日本だったら、住民を避難させビルは取り壊しますね。間違いなく。

中村:ええ。大騒ぎだったでしょうね。なにしろ、最初の年は1100人が500ミリシーベルト以上も被ばくしたというのですから。

B:コバルト60の半減期はどのくらいですか。

中村:5.27年です。

A:住民は避難せずに住み続けたのですか。

中村:そのようです。では、その人たちはどうなったか。台湾の疫学者が事件後の20年間の結果を論文にしています。図をご覧ください。台湾人のがん死亡率は年々上昇しているところは、日本と同じですね。ところが、被ばくした住民約一万人のガン死亡率は激減しているでしょう。

A・B:へー、ほんとうですね。信じられない。

中村:私も最初見たときは信じられませんでした。住民の被ばく線量は、年々減っていくわけですが、年平均20ミリシーベルト(初年度平均49ミリシーベルト)、平均累積線量は400ミリシーベルトでした。

B:にわかに信じがたいですが、放射線のおかげでガンになりにくくなったのですか。

中村:このデータを見る限り、そう考えざるをえません。また、住民の子供に発生した先天性心臓奇形の数も、一般人の子供の15分の1に減ったと書いてあります。

B:つまり、紫外線であれ放射線であれ、少量であれば生物が持つ機能を刺激するということですね。たしかに薬なんてまさにそうですよね。処方された正しい量を飲むと症状が改善し、大量に飲むと生命の危機におちいるという感じですね。

中村:そうです、大量では有害でも、微量では生体に刺激を与えて有益な影響をもたらす。これがホルミシスです。
<引用終了>

放射線ホルミシスに関しては、こちらを
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B9
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2012年06月28日

何をやっているのだ!子宮頸がんワクチン接種後に失神問題を切る

子宮頸がんワクチン接種後に失神、567件報告
 子宮頸がんの予防ワクチン接種後、失神した例が、過去2年余りの間に国内で567件報告されていることが27日、厚生労働省のまとめで分かった。

 注射に伴う痛みや恐怖心が原因とみられる。同省は失神によってけがする場合もあるとして、接種後30分間はなるべく立ち上がらないなど注意を呼びかけている。

 子宮頸がん予防ワクチンの接種は、中1から高1の女子を対象に2009年12月から始まった。今年3月までに、推定284万人(計約686万回分)が接種し、「気が遠くなる」など症状がでたのが812件。うち約7割が失神だった。

 同省は、症状は注射の痛みや恐怖によって神経が防御反応を起こす「迷走神経反射」で、ワクチンそのものとは無関係とみている
(2012年6月28日07時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120627-OYT1T01109.htm


これは、ミトコンドリア(勝手に発電、勝手に充電細胞、電気が脳に反応し、意識の連続性障害、夢見症状をおこす)が集まる肩にワクチンを接種する方法が失神を招いていると考えられる。

私も失神した経験があるが、未熟な女子中高生のミトコンドリアが集中している場所(肩こりや腰痛が起こりやすい場所にミトコンドリアは住む)にワクチンを接種した場合、多量のミトコンドリアにが刺激を受け発電、蓄電し、それが一挙に放電されれば「電気ショック」により失神する。当たり前のことである。メカニズムは、車両事故で問題になった「てんかん」と同じである。

失神を防ぐにはどうしたらいいか。簡単である。アースすればいいのである。アース線を触れば(あるいは鉄製の水道の蛇口に触る)放電される。てんかん患者も、持ち運び式「充電器(放電器)」で常にアース状態にしておけば、大量放電により失神することはないのである。

ミトコンドリア 発電
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB&hl=ja&gbv=2&gs_l=hp.1.6.0i4l10.2339.3048.0.6908.4.4.0.0.0.1.280.781.0j2j2.4.0...0.0.svxP1dUi1T0&oq=%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当の歴史と、川越市、入間市、埼玉県のウソ@


狭山茶は江戸時代には「河越茶」とよばれていたという。
鈴木会長らは、「800年前の発祥は川越。今後は川越茶のブランドも広めたい」

このような報道に対して26日に以下のブログ記事をアップしました。
http://dream333.seesaa.net/article/277337371.html?1340859420

シリーズでお茶の歴史を「解読」していきます。

父の生家は、入間市二本木にあります。この地域や隣接する宮寺地区には「中村園」というお茶の製造業者がたくさんありますが、その中核をなすのが二本木の「中村園」です。

話は、鎌倉時代の「茶」についてに飛びます。以前に書きましたように茶祖栄西が中国の「宋」から、その種を仕入れ、栂尾の高山寺の深瀬三本木に蒔いたのが、日本茶の始まりです。いや、日本茶というより「禅茶」と表現したほうがいいでしょう。

高野山のホームページから
<引用開始>
古くから明恵上人は茶祖、栂尾山は茶の発祥地といわれている。鎌倉初期、栄西禅師が宋に渡り養生の仙薬、延命の妙術としてこれを広めようと茶種を持って帰国しこれを明恵上人に贈られた。上人は、栂尾の深瀬三本木にこれを植え、宇治(跡影園 あしかげえん)その他の地にも広く移し植えられた。鎌倉時代、室町時代を通じて栂尾は茶の本園、その茶は本茶といわれ、天皇への献茶も毎年行われた。
<引用終了>
http://www.kosanji.com/

源頼朝は、1192年の鎌倉幕府開設以前から、京都から東海道沿いを「東の国」に向かって東進し、要所となる場所である現在の大津市、名古屋市、静岡市に「町」をつくりました。それが、「中村町」です。そして、たとえば尾張名古屋であれば「織田家」の侍を駿河であれば「徳川家」の侍にしっかりと「中村町」を守るように指示したのでしょう。

そして、鎌倉時代、幕府は現在の鎌倉市に、頼朝の妻政子を輩出した北条家は小田原に陣を構えました。

ここで「相模中村家」につてウィキペディアの内容を紹介します。
<引用開始>
中村氏は、桓武平氏良文流である平忠頼の子頼尊に始まると言う。頼尊は出家した後、山辺禅師と号した。頼尊の息子が武蔵押領使常遠であり、その息子である笠間押領使常宗が鎌倉景政に討たれた事が『桓武平氏諸流系図』に記載されている。
そして、常宗の子である宗平の代になって初めて中村の名字を名乗ったとされる。

平宗平は相模国余綾郡中村荘(現・小田原市中村原付近)に因んで中村荘司と称した。中村氏の実質的な始まりだが、一族も発展することとなる。
嫡子の重平は父から中村の名字を継承した。次男の実平は土肥氏を称し、その息子の遠平は小早川氏を称した。三男の宗遠は土屋氏を、四男の友平は二宮氏を、五男の頼平は堺氏をそれぞれ称した。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%B0%8F_(%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%9B%BD)
相模の【中村家】とは、鎌倉時代の国家運営、都市運営の基礎をつくった在庁官人です。
在庁官人
<引用開始>
そうした在地の有力者は在庁官人上層部として、国衙において他の在地の有力者の利害を調整しつつ、受領や目代と在地の利害も調整しつつ、自己の権益をより確実なものとしようとしていきます。彼らは在庁別名と、郡司職を「職(しき)」として世襲して検田・収納を行い、官物未進を口実に、買得し、更に国衙の税所(ざいしょ)、田所(たどころ:田畑に関する事務を扱う)などの重要な所職を世襲したりします。
<引用終了>
http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_33_3.html

「中村町」を、ヤフーで地図検索すると全国に76ヶ所検索されます。これは、何を示すか。少し考えれば分かります。「徳川家」「織田家」などのような「お家」ではないのです。京都付近で「中村氏」が誕生し、ある「システム」「機能」をもって、【中村家】に進化し、京都から、小田原から全国に【中村家】が送り込まれたのです。

ある「システム」とは、上記の在庁官人の役割ですが、尾張名古屋や駿河などの要所と違い、全国に送り込まれた【中村家】は、村づくり、町づくりの集団です。

以前にこのように記しました。
宮崎駿監督は映画「もののけ姫」のパンフレットのなかで以下のように語っています。
「最近の歴史学、民俗学、考古学によって一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。」
「武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽くしの絵にあるように、より大らかに自由であった。」
「タタラ者と呼ばれた製鉄集団の、技術者、労務者、鍛冶、砂鉄採り、炭焼き。馬宿あるいは牛飼いの運送人達。彼らは武装もし、工場制手工業ともいえる独自の組織をつくりあげている。」
http://dream333.seesaa.net/article/276175926.html?1340850551

鎌倉時代にこの通りの村づくり、町づくりを仰せつかったのが、【中村家】+後の戦国時代に戦うことになった「織田家」や「徳川家」を築き上げた侍であり、技術者あり、開拓者である「チーム中村」なのです。ときどき、中村姓は多いのに有名人が少ないとか、歴史に名が出てこないとか(架空の人物の「中村もんど」はいますが)ホームページ上で見かけますが、【中村家】はもともと「平家」です。源頼朝に「絶対におごるべからず」と指導されていたことは、容易に推察されます。「在庁官人」などというより、時の政権の「影武者的公務員」として活動してきたことは、二本木の中村家の歴史をみれば、実に明快に理解できます。

さて、鎌倉に幕府を置いた源頼朝は、【中村家】に「野」を与えました。それが現在の小田原市の中村原です。これまでの歴史家は、「中村原」などという地名から姓が生まれたといいますが、あべこべです。少し考えれば分かります。地名は誰が決定するのかを考えればよいのです。鎌倉幕府が管理する土地、つまり、古地図に掲載された地名は幕府が「ここを府中と呼ぶ」としたから「府中」になったのです。高句麗人が多く住んだ「狛江」などの例は別にしても、【中村家】に与えられた領域が「中村町」になったり、大野家に与えられた領域が「大野原」になったりするのです。

源頼朝は本当に「1192良い国」づくりを目指したのだと思います。それは、おごる平家時代の「格差社会」ではなく、武士も、百姓も、タタラ者も差別なき、「共存共苦」社会であり、宮崎俊監督がもののけ姫で描かれた「おおらかで、自由な」社会であったことはまちがいありません。

つまり、「源氏」は男たちが「ジェントルマン」になることを望んだのです。そして、それを保障する仕組みとして「茶禅一味」の生活を武家や公家に限らず、広く日本中に広めました。武家や公家には「臨済宗」寺院を、以外の「平民」には曹洞宗寺院を日本各地に築き、八幡神社(鶴岡八幡宮)の祭りごとと共に、世に「平安」をもたらす政策を実行に移したのです。

しかし、です。源頼朝亡き後の頼家や実朝は「京都」の栄華が恋しく、東の国づくりに積極的ではなかったようです。
そこで、頼朝の死後出家した北条政子が「方丈さま」となり、武蔵の国を歩き、「1192良い国」づくりに貢献したと考えられます。

狭山の地では、お坊さんの事を「方丈さま」と呼びます。また写真のように明らかに「方丈さま」が女性の「北条さま」と一体であるかのごとく、歴史物として残されています。

方丈さま.JPG



小田原の中村原では、二宮家などと協力し、野を開拓したり、街道を整備したりしました。あの二宮尊徳がなぜあれだけの書籍を読むことができたのか、中村家から二宮家が誕生したことを考えればすぐに分かることです。

繰り返し確認しておきますが、相模の【中村家】は、公家4家の直系ではありますが、「名家」ではありません。あくまでも技術者として組織というシステムを円滑に動かすための、「システム管理者」です。

二本木の【中村家】には、幕府から2つの大きな使命(まさに天命)が下りました。その一つは鎌倉街道の狭山神社を中心とした狭山地域に「宿」(鎌倉時代の「宿」は、平民の自由な移動は許されていましたが、江戸時代に栄えた「宿場町」とは異なる「馬のリレー点」「幕府からの郵便物などが届く「駅馬」に近かったと思います。」をつくれというものでした。戦前の二本木には「上宿」「中宿」「下宿」という地名が残っていました。

もう一つの使命は「禅宗用の茶をつくれ」というものです。ご存知の通り、禅寺での修行は「茶」「梅」「納豆」「豆腐」「饅頭」が欠かせません。以後、鎌倉幕府は各地に建てられた禅寺で用いる「茶」を狭山の地で、「梅」を青梅市梅郷の地などの現在のうめの産地で作らせたのです。

栂尾の高山寺の深瀬三本木に蒔いた種が茶の木となり、茶園となり、茶葉の収穫が見込まれるようになったため、狭山の二本木と名付けられた地を在庁官人である【中村家】が中心になり、栽培しなさい、生産された「茶」を曹洞宗の本山「総持寺」に横浜の浜町(現在の鶴見区の鶴見川河口の川崎側)や、曹洞宗の寺が21もある川越喜多の地の「商人(仲買人)」などを通じて、流通させなさい、というものだったと容易に推察されます。

入間市にある天保年間につくられた「茶碑」をみれば、江戸時代までは、全国で栽培・製造された「茶」や「梅」、秩父地方などで栽培させた「絹」などを全国に流通させる仕組みが出来上がっていたことがよく分かります。

この後の歴史はさらに面白くなります。

最後にもう一度いいます。川越市、入間市、埼玉県はウソを子どもたちに教えるな、と。


狭山茶の沿革.JPG



埼玉県広報誌「彩の国だより」より 2012年6月1日発行
コク、旨み 狭山茶
甘く濃厚な狭山茶。
その味は、年に2回しか葉を摘み取らず、味わいのもととなる成分を多く含んだ茶葉と、「狭山火入れ」といわれるじっくり時間をかけた火入れをおこなう独特の仕上げ方法により生み出されています。

さらに、埼玉県はこのようにも「広報」している。
昨年の原発事故で埼玉が誇る全国ブランドの狭山茶が大きなダメージを受けました。

埼玉県は、あたかも「全国ブランド」の狭山茶を埼玉県の特産品であるかのように埼玉県民、あるいは全国民にイメージづけようとしていますが、これは、狭山茶の歴史を無視した、隣国中国が得意な「ブランドの公的私物化」以外なにものでもありません。
狭山茶の歴史に無知なのか、知っていて欺いているのかは分かりません(筆者は知っていると確信しています)が、このような「早い者勝ち」「弱肉強食」的発想が、今日の精神的貧困社会を招いているのです。
埼玉県に対して強く抗議し、要望します。
それは「本当のことを知り、本当のことを全国民に伝えなさい」ということです。
お茶のこころは、「謙虚なこころ」「天の恵みに対する感謝のこころ」、そして「茶禅一味のこころ」だと私は理解しています。
早急に、全面訂正し、宣伝に加わった蜷川幸雄氏などの関係者や全国民に謝罪することを要望します。
posted by S・C・ NAKAMURA at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

多磨全生園内に開設される保育所報道にだまされてはいけない

<多磨全生園>ハンセン病療養所に保育所…来月1日に開所
 国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)の施設内に来月1日、認可保育所「花さき保育園」が開所する。熊本県合志市の「菊池恵楓(けいふう)園」でも保育所は運営されているが、国の設置基準をクリアした認可保育所は初めて。かつて子孫を残せないよう断種や堕胎を患者に強要した療養所に、子供たちの元気な声が響く日が来る。
http://mainichi.jp/select/news/20120627k0000e040177000c.html


2011年2月25日 東京都知事選挙出馬記者会見当日の配布資料から抜粋
◇「人権の塔」構想の推進
東京都が主体となって推し進める。合わせて多磨全生園入所者がふるさとの地を「望郷」するために築いた望郷の丘(ぐるぐる山)の意味を永遠に後世に伝えるために、周辺の八国を見渡せる高さ「八国山ほど」の望郷の塔を全生園敷地内に構築し、人権侵害の地全生園を「世界人権遺産」として位置付けていく。
現全生園入所者や全国のハンセン病回復者の方々の意思を尊重し、子供たちが集う「にぎやかなエリア」として発展させていきたい。併設して、いじめや差別をなくすための啓蒙的役割も担っていく施設もつくっていきたい。
<終了>

筆者は、多磨全生園の現在の自治会長である佐川修氏から「物凄い話」を聞くことになりました。その話を要約すると以下の通りです。

◇佐川少年は、67年前の昭和20年3月10日の東京大空襲でやけどを負ったが助かった。
◇佐川少年は山積みされた死体を焼く作業を手伝った。
◇やけどを治療するため、医者に行ったところ、ハンセン病と診察され、草津の栗生楽泉園に入所した。
◇栗生楽泉園の監禁施設でも、死者(凍死者、病死者)の死体を焼くことになったが、佐川少年には「見慣れた光景」であったため、なんとも感じなかった。
◇その後、他の入所者同様に隔離され続け、1996年の「らい予防法」の廃止後も多磨全生園に住み続け、今日に至っている。

多磨全生園入居者自治会が発行している「正しく学ぼう!!ハンセン病Q&A」を読むと、厚生労働省が「私たちは悪くなかった。元患者が死に絶えれば、何もなかったことにできる」という空恐ろしい計画が読み取れます。

以下は、その内容の一部であす。

Q 何が間違っていたの?
A 国が行った強制隔離政策です。

放浪するらい患者(浮浪患者)の存在が、欧米人の目に触れることを国辱(国の恥)と考え、1907(明治40年)、法律「癩予防二関スル件」の制定によってその一掃を図りました。この法律の下では、実際に強制隔離されたのは患者全体の一割にも満たない浮浪患者だけでした。1931(昭和6)年制定の「癩予防法」では、「民族浄化無癩日本」を旗印に、すべての患者を根こそぎ、療養所に収容し、強制隔離して新たな患者を「終生隔離(一生、療養所に隔離すること)、患者撲滅政策(社会から患者をなくすこと)を展開していきました。各県の衛生担当者と警察は患者を探し出し、療養所に送り込みました(無らい県運動)。こうしてハンセン病患者は、危険人物というレッテルを貼られ、家族を含めて地域からはひどい差別にあいました。
1953(昭和28)年には、既にハンセン病の治療法も確立しつつあったことを国側は知りながら、強制隔離政策を永続・固定化する「らい予防法」を、患者の猛反対を押し切って制定しました。これらの法律には、退所(療養所を出る)の規定がないこともあり、病気が治ったとしても、社会(故郷)に戻れる人は、ほとんどいませんでした。
これにより、多くの患者は色々な人権侵害を受けてきました。
療養所長には懲戒検束権(大正5年に定められ、療養所長に、7日以内常養食、《いつも食べている食事の量》を2分の1まで減食、30日以内の監禁《閉じ込める》などの懲戒又は検束の権限が与えられていました)が与えられ、患者はそれにより、反抗的な態度をとる等、まったく些細なことで監房(悪いことをした人を入れる部屋)に入れられるなど、24時間体制で監視され、その中で労働などの作業を強制されました。中にはそれによって亡くなった人もいました。
逃亡防止(逃げないようにする)のための特別病棟(重監房)の設置や園内通用券(療養所では、入所者が逃亡を防止するため、お金の代わりにその療養所の中でしか使うことの出来ない金券)の発行も行われていました。特別病室(重監房)とは、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園(群馬県)設置されたハンセン病患者のための監禁施設です。1938(昭和13)年から1947年の9年間にわたって運用されてきました。
特別病室には全国から患者が送られ、冬はマイナス16〜17度という環境の下、電灯も暖房もない暗い部屋で、一日梅干し一個と飯、布団2枚という状況で、医師による医療行為も行われなかったため、多数の人たちが亡くなって行きました。「特別病室収容簿抜き書き」によると、その9年間の内に、全国から93名のハンセン病患者が収監され、このうち、監房内で死亡した者(獄死者)が14名、監禁中に衰弱して出所後に死亡した者(出所後死亡者)が8名に達しました。また、監禁日数は長期に及び、全収監者の平均で131日。500日以上という例もありました。
このように施設の性格は「病室」ではなく「監禁・懲罰」目的に作られた施設であることは明確でした。
また、園内で結婚する場合は、療養所内において断種(子どもができなくなる手術)や、堕胎(お腹の子どもを殺してしまうこと)を行うことが条件とされました。(断種手術は1992年(平成4年)迄行われていました)
ハンセン病の原因である“らい菌”の感染力は弱く、かつ、仮に感染しても発病することは極めてまれな病気です。
しかし、ハンセン病は、恐ろしい伝染病であるという誤解から、ハンセン病にかかった人々は、このように長い間、人権を侵害されてきたのです。
<終了>

筆者は、佐川さんや、全療協で働く知人に対して尋ねました。「1983年に開業した東京ディズニーランドを訪問する計画や、ミッキー、ミニーたちの慰問は一度もなかったのですか」と。

答えは「一度も考えませんでした」

東京ディズニーランドは、オープン以来一貫して「障害をお持ちのゲストも健常者も、まったく同じゲストであり、料金割引などの差別対応をすることはない」というポリシーを維持し続けてきました。最初の数年は「なぜ、割引をしない」と主張するグループと、「どんな障がい者にも、暖かく接する東京ディズニーランドが好き」というグループに分かれましたが、次第に「東京ディズニーランドは、別世界」という評判により、日本中で現在でも行われている「障がい者への差別」は東京ディズニーランドでは通用しない、という風潮になっていったのです。

筆者は、多磨全生園のある東村山市に1986年から住んでいました。ハンセン病問題の深刻さを知ったのは、筆者が同様に、人権侵害を被った後の2009年秋のことです。筆者は、自身の無知と無関心さを痛く恥じました。

もし、1986年にハンセン病の問題に気付いていれば、筆者は間違いなく多磨全生園を訪れ、東京ディズニーランドへの来園を促したでしょう。実情を知った東京ディズニーランドは、つまり筆者たちパーク運営の責任者たちは、出来ることを惜しみなくして差し上げたことでしょう。

東京ディズニーランドには、「難病の子の夢を叶える」などと宣伝しながら、売名慈善団体が特別対応を求めて連絡してきますが、特別対応はおこないません。しかしながら、ハンセン病患者の集団という「世間から白い目でみられている」特別な団体に関しては、「これがディズニーだ」というほどに親切に対応します。

悔しくてなりません。当時の厚生省の謀略、人目にさらさない政策を逆手にとり、「東京ディズニーランドはハンセン病患者を喜んで受け入れている」というメッセージを日本中に発信できていれば、東京ディズニーランド開業とともに、ハンセン病患者差別問題はなくなっていたはずです。

知りませんでした。知っていれば世界中のディズニーの仲間たちとともに、ハンセン病差別問題と戦いました。そして、勝利を得ることができたものと確信します。
そうすれば、1992年まで続いた断種手術など、まさに「アウシュビッツ」以上の虐待は行われなくなっていたはずです。

確か2003年頃でした。熊本県の黒髪温泉を訪れた元ハンセン病患者一行が、宿泊を断られた事件がありました。結局、ホテルは閉館することになりましたが、テレビで元患者たちが激しく抗議する姿をみた市民から、「ハンセン病患者は何様だと思っている。国からカネをもらっていきているのだから大きな顔をするな、宿泊拒否は当然だ」というような誹謗中傷の手紙が、元ハンセン病患者のもとに多数届きました。その手紙集は、多磨全生園の国立ハンセン病資料館内の図書室に、隠すように置かれていますが、恐らくそれを目にする人は、一年に数十人だと勘案されます。

その国立ハンセン病資料館は、1996年に菅直人厚生大臣が訪問した時の資料館ではなくなり、まさに「日本にはハンセン病に関する失政は存在しなかった」という展示内容に変わってしまっています。詳しくは、ハンセン病市民学会の年報の特集記事「リニューアル資料館を考える(シンポジウム記録)」に厚生労働省の「悪だくみ」が書かれています。

<引用開始>
国のお金をつかって国の過ちを認めて資料館をつくることは、日本の国においては画期的な出来事あって、ハンセン病だからというよりは、この国が過去の反省をするということに、私は注目していました。どんな資料館になるか楽しみにしていました。去年、新館に足を運んでみて、驚きました。何を言いたいのか分からない
資料館になってしまって、悪夢を見ているような腹立たしい気持ちになりました。何がいけないのか。なんでこんな気持ちにならなければいけないのか。私なりに整理してみました。
まず最初に「古くから差別されてきたハンセン病とはこんな病気です」とものすごく大きな字で、最初のパネルにでてきます。これは番組でいうと、タイトルみたいなもので、人に印象を与えるパネルです。
<終了>藪本雅子 元日本テレビアナウンサー談

さすがに「伝える側の技術」である記号論を習得しているパネラーらしく、かなり良い所に着眼しています。
筆者は何十回もこの資料館を訪れています。そして、類推して「誰が何の目的でリニューアルしたのか」という命題の結論を得ました。

結論は、
「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為をつい最近まで行ってきました。どうか、私たちの犯した犯罪を罰して下さい。私たちは過去を悔い改め、薬害エイズ事件後に生まれ変わった厚生労働省として、新しい厚生労働行政を行っていくことを約束し、実行に移します。」

これをひっくり返しに読むと、「誰が何のためにリニューアルしたのか」が分かります。

「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為をつい最近まで行ってきませんでした。どうか、私たちの犯していない犯罪を罰しないで下さい。私たちは過去を悔い改めません。薬害エイズ事件後に生まれ変わらなかった厚生労働省として、明治以来の連続性を維持する厚生労働行政を行っていくことを約束し、実行に移します。」

「厚生労働省は当事者ではない、第三者であり間違ったことをしない」という「神話」つまり作り話を推理しながら、館内の展示物を見て回ると楽しくて仕方ありません。なぜなら、元ハンセン病患者の方々のために、厚生労働省をやっつけることができる、と思えてくるからです。

展示物はすべて「記号」です。記号とは、脳の情報処理を強制コントロールする「アイコン」のようなものです。見える形になったコンピュータ上で単純化された「アイコン」には、それをクリック、つまり選択して受け入れると、必ず同じに作動する仕掛けがかくされています。「アイコン」がなかった、ビフォア・ウインドウズ時代には、コンピュータにいちいち「呪文」を打ち込まなくてはなりませんでした。(複雑でしたが、他者にはできないという達成感があって面白い時代でした)

このように、「記号」には、隠された「呪文」という、命令が自動的に含まれます。藪本氏が指摘した「人に印象をあたえるパネル」というのは、パネルという「記号」を受け取ったものは、「記号」を発信した人間、つまりパネルを作った人間の言いなりになりなさい、と脳に対して命令してくるのです。
日本人は、「厚生労働省がつくったパネルだから」「有名人の発言だから」と、目や耳から受け取る「記号」を、何も疑うこともなく、そのまま丸飲みするようにつくり上げられています。まさに「神話」の世界に生きているのです。

ハンセン病資料館は、厚生労働省に都合がいい「記号」で溢れかえり、都合が悪い「展示物」は、「すべて削除」と言っても過言ではありません。

特にひどいのは、「外国人キリスト教徒の貢献隠し」ですが、長くなりますので後日に記します。

佐川さんや入居者の方々には、子どもたちの元気な声が聞こえるという錯覚を与える報道ぶりにはあきれます。多磨全生園内を歩いても、人の姿は見かけられません。来月開園する保育園も南東の角地にあり、自動車による騒音が一番ひどい所です。

そもそもです。多磨全生園内にはもともと保育園がありました。入口を入り、すぐ右に曲がってすぐのところです。認証保育園ではありませんが、もちろん入居者との交流もありません。

この度できた保育所は東村山市の社会福祉法人が経営しているそうですが、長い目で見ていかないと「厚生労働省」の思い通りになり、入居者との交流などすぐに打ち切られる可能性もあります。まさに「シメシメ」の世界です。

ハンセン病の問題に関しても「クリスチャンの私でなくてはできないこと」があります。決して追求の手を緩めません。
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2012年06月27日

読売新聞の読者だましのテクニック

読売新聞2009年5月19日 記事31面 
「最後のパレード」出版社が謝罪広告
著作権 大半が不明確

ベストセラー「最後のパレード 東京ディズニーランドで本当にあった心温まる話」の盗用疑惑で、発行元の出版社「サンクチュアリ・パブリッシング」(東京都新宿区)は社団法人「『小さな親切』運動本部」の発行物の著作権を侵害している可能性が高いとして、同本部などに謝罪する広告を16日の全国紙に出した。しかし同書に収録された33のエピソードのうち、著作権上、問題がある話がいくつあるかは不明で、著者の中村 克氏からも説明や謝罪はない。「感動」を売り物にした本を巡り、なぜ今回のような事態が起きたのか。

今年3月発売以来、2か月足らずで約23万部を売り上げた「最後のパレード」について、同社は15日、エピソードの一つが、同本部の発行物に掲載された「あひるさん、ありがとう」の著作権を侵害している可能性が高いとして、同本部との間で、自主回収の実施と謝罪広告を出すことで合意。読売新聞と毎日新聞の16日朝刊に掲載された。ただ、書店などに卸した未販売の16万部の回収には6月までかかり、購入者からの返金要求も相次いでいるという

同社によると、東京ディズニーランドを運営する「オリエンタルランド(OLC)」での勤務経験をもとに講演活動などをしていた中村氏に対し、同社側が出版を依頼。その後、出版の1年ほど前に、中村氏が「ディズニーランドであった話」として、プリントアウトした200以上のエピソードを持ち込み、同社編集者がネット上から集めたディズニーランドに関するエピソードも合わせ、中村氏が33の話を選んだという。同社はこの時、「(33の話は)自分が見聞きしたことだから著作権上の問題は大丈夫」と話した、と説明している。

社内調査では、このうち「あひるさん、ありがとう」以外に、6話がOLCの社内教育文書と酷似していたとしている。しかし残りは原典が不明としており、著作権の帰属先はあいまいなままだ。
「著者の原稿を客観的な目で確かめるという編集者の認識が不足しており、著作権者への配慮も欠けていた」。同社の鶴巻謙介社長はそう弁明した。今後も社内調査を続けるとしているが、担当した編集者の責任や出版の経緯を第三者が検証することには消極的だ。

さらに、「あひるさん、ありがとう」は別な遊園地での出来事をもとにしており、「ディズニーランドで本当にあった」とした同書の副題にも問題がある。
一方、OLCは4月上旬、著作権侵害を指摘する配達証明を中村市に送っているが、現時点でも回答がないという。「小さな親切」運動本部も「中村氏に謝罪を求める気持ちに変わりない」とする。中村氏は読売新聞の取材にも応じていない。
著作権に詳しい小泉直樹・慶応大法科大学院教授(知的財産法)は出版社には刊行にあたって、著作権を侵していないか調べる義務がある。しかし今回はそれを怠ったまま出版し、ベストセラーになってしまった。多額の利益をあげた出版社として、問題がどこにあったか調査を尽くし、説明する責任があるはずだ」と話している。


オリエンタルランドからの手紙 読売讒言(ざんげん 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しきさまに告げ口をすること)報道前の4月11日の受け取り

オリエンタルランドからの手紙.JPG


最後の部分
 つきましては今後、ディズニー社の財産を使用しての営業行為または広告宣伝、ならびに貴殿が在職中に知り得た秘密情報を使用しての出版活動、営業活動につきましては、厳に謹んで頂きたく、誠実な対応がいただけない場合には、法的措置を講じることも検討させて頂く所存です。

OLCとしては、当たり前のことであり、私が兼ねてから主張していた「イエローカード」です。一発退場の「レッドカード」にすると、ディズニー出身者は誰も講演活動や出版活動などできなくなります。

返事を求められていないのに、読売新聞は、

一方、OLCは4月上旬、著作権侵害を指摘する配達証明を中村氏に送っているが、現時点でも回答がないという。「小さな親切」運動本部も「中村氏に謝罪を求める気持ちに変わりない」とする。中村氏は読売新聞の取材にも応じていない。と書く。

もちろん、読売新聞社からの取材依頼などなかった。

だまされ、購読料を支払っている読売新聞の読者が哀れでならないのである。

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

書店をだましたサンクチュアリ出版

弁護士の紀藤正樹先生から聞いた話です。サンクチュアリ出版の鶴巻社長は、「最後のパレード」の著者の私に対し「著作権問題のすべての責任は中村が取れ」という、一方的な通知書を送付してきた2009年の6月中旬以前に、全国書店を「行脚」し、書店に対し、「サンクチュアリ出版は何も悪いことはしていません。著者がすべての責任を取るといっています」というような責任逃れをして回ったそうです。

たぶん、弁護士法などどうでもいいと考えている悪徳弁護士からの入れ知恵なのでしょう。

弁護士法
第1章 弁護士の使命及び職務
(弁護士の使命)
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

サンクチュアリ出版の弁護士
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 小林利明
http://www.noandt.com/

紀藤正樹弁護士はさすがです。7月のことだったと記憶していますが、鶴巻社長との交渉の中で「サンクチュアリ出版にも事件の責任はある」という言質(「ち」は人質や抵当の意》のちの証拠となる言葉。ことばじち。「交渉相手の―を取る」「不用意に―を与える」 大辞泉)をしっかりとってくださっています。

つまり、サンクチュアリ出版は全国の書店をだましていたのです。偽計業務妨害罪(虚偽の風説を流布し、または偽計を用いて人の業務を妨害する罪)で逮捕されるべきものと考えます。

紀藤先生には、用意ができたら訴訟に踏み切ることも伝えてあります。残された問題は、訴訟費用だけです。負けることはないでしょう。

以下に、紀藤先生にも見ていただいた「最後のパレード」事件に関する公式見解を提示させていただきます。


公式見解

「最後のパレード」事件に関する公式見解(お知らせ)

2009年10月1日

2009年4月20日以降の「最後のパレード」に関する報道後、書籍の回収という結果に至り、読者の皆様および関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしまいたことを心よりお詫び申し上げます。

「最後のパレード」の著者である私は、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの編集者と共に、書籍「最後のパレード」の出版に携わってきました。結果的に現行法の著作権法をクリアしていない「欠陥商品」を世に送り出してしまいましたことを重ねて謝罪いたします。誠に申し訳ありませんでした。

「欠陥商品」であることに気付かずに出版に至ってしまった最大の原因は、著者である私も、商業出版社である株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの編集者も、現行法の著作権法を熟知していなかったことと私は認識しています。

読売新聞により「盗作の疑い」と報道されましたが、著者も出版社の編集者も、読売新聞に掲載されたオリジナルの著作物の存在を知っており、罪となる事実を認識した上で「盗んだ」ことはありません。すべてのエピソード(体験談)は書籍に明記したように、「東京ディズニーランド関連資料、東京ディズニーランド元関係者の方々の談話、東京ディズニーランドのファンサイトの情報などを基に再現したもの」です。

しかしながら、たとえファンサイトに掲載されているエピソードを基に再現したものであっても、現行法では「海賊版の制作」であることには変わりありません。

著者である私は、ディズニーランドにおける体験談のファンサイト等への善意での公開は、「語り継がれるべき戦争体験談」「読み聞かせるべき被爆体験談」の公開と同じように、時間、空間を超えて人々が共有するべき「貴重な情報」「著作権の生じないデータ(記録)」の公開と同じであり、公開者に権利が生じない「公共的情報」ととらえていました。

私が勤務していた頃のディズニーランドも、ゲスト体験談の公開には積極的であり、株式会社オリエンタルランドの元役員も、講演等において「最後のパレード」に掲載された「天国のお子様ランチ」のエピソードをたびたび紹介していたことも事実です。元役員や多くの仲間たちと共にディズニーランドを創生してきた私には、「公共的情報」を公開する権利と義務があるものと信じて疑わなかったことも失敗の原因です。

もう一つの失敗です。私の著作権に関する認識の甘さがありました。私は性善説的に、著作権の侵害(権利を侵して、損害を与える[大辞泉])を親告されても、事後に誠意を持って対応することにより問題は解決されると考えていました。この認識は株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの鶴巻謙介社長も共有しており、鶴巻氏は、4月22日の産経新聞掲載のインタビュー記事で同認識であると話されています。

このように、著作権に関する間違った認識が「欠陥商品」を生みだし、回収に発展するという結果に至らしめました。

著者である私は、報道から約2ヶ月後の6月中旬に、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングより、「著者が欠陥部分を7日以内に修復しないと出版契約を解除する」という内容の催促状を受け取りました。

この間、「最後のパレード」の回収決定も、関係者への謝罪広告の掲載も著者である私との協議を経ずに行われており、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの著者である私への対応に不可解感を抱いていたのは事実ですが、この一方的な催促状には正直、義憤の念を禁じ得ませんでした。

数日後に、弁護士と面談し「何が起こっているのか」がはじめて理解できました。

この書籍「最後のパレード」の「発案」「企画」「設計」は、出版社主導で執り行われましたが、初期段階から現行法の著作権法のクリアができないという「欠陥」を抱えていたのです。大手出版社であれば稟議書が通らなかった可能性が高い商業出版に加担してしまったと私は反省しています。

それでも著者である私は、「最後のパレード」の読者のこの本に対する気持ちを思い測ると、公衆の面前で株式会社サンクチュアリ・パブリッシングとの「敵対した泥沼の争い」を繰り広げることだけは避けようと考え、「最後のパレード」の改訂版の出版も視野に入れ、友愛精神を基に、弁護士に円満解決に向けての対応を依頼しました。

私が、書籍の回収後に残された問題の解決を一任した弁護士は高名な先生です。先生は私に「良い仕事をすることにより名誉を回復しなさい」と仰ってくださいました。私は先生のこの言葉を重く受け止め、今後、地球温暖化防止などの分野で良い仕事をし、社会に貢献していくと共に、失墜した名誉を回復していきたいと考えております。

しかしながら、今日まで株式会社サンクチュアリ・パブリッシング側は、当方に誠意を持った対応をしてきませんでした。当初はユニセフへの寄付金の返還要求にも応じていただけませんでした。

こうしている間に大きな事件が発生しました。有名女優の麻薬問題です。この事件は、一見「最後のパレード」事件とは関連性がないようですが、当事者の私には事件報道の背景にあるものは同じであると確信できます。

別荘への放火が事実であるならば、思想的にはテロ行為と同じです。一昨日(9月29日)には、福岡で15歳の少年二人が、小学3年の男児を海に突き落としたとして殺人未遂と傷害の容疑で逮捕されました。容疑者は「懲らしめてやろうと思った」と動機を語っています。

ここで、皆様に公表しておかなくてはならないことを記します。私はキリスト教徒として新生致しました。イエス・キリストを救いの主として受け入れ、新しい人生において、新しい考え方、新しい人生観、新しい人生の目的を見いだしました。キリストの道こそ最善の道であり、イエス・キリストと共に歩む神への道を前向きに、そして力強く進んでいくことを決意し、9月6日にバプテスマ(洗礼)を受けました。

今後は、「最後のパレード」事件に関する事柄だけでなく、すべてのことに対し、全世界のクリスチャンが共有する教義と価値観に則して発言していくことを誓いたいと思います。

少年が選択した「懲らしめる」行為とは、人をジャッジし(裁き)制裁を加えるということです。聖書は、「裁いてはなりません。裁かれないためです。(マタイの福音書 7章1節)」と教えています。人は人を裁いたとおりに裁かれるのです。
陪審員制度における「推定無罪」の考え方も、このキリストの教えから来ています。

世界中のクリスチャンは、読売新聞の「メディア・リンチ」や、日本で日常的に繰り返されている犯罪容疑者への「懲らしめる」行為やテロと同様な私的制裁行為は、「反キリスト教的な邪悪で野蛮な行為」として忌み嫌っているに違いありません。

読売新聞は5月19日の「最後のパレード」盗作疑惑報道の続報で「中村氏が33の話を選んだ」と報道していますが、事実に反します。

問題となった「白い大きな手」のエピソードを含む40余のエピソードを選び、編集のテーブルに上げたのはサンクチュアリ出版の編集者です。出版社が嘘をついているのか、それとも新聞社が嘘を書いているかのどちらかなのです。エピソードを選択したのは私ではありません。私は聖書に手を置いてこのように証言させていただきます。

この「白い大きな手」の体験談掲載により著作権が侵害されたと表明した、社団法人「小さな親切」運動本部は、著者の私に対し、再三謝罪を要求しています。この件について説明したいと思います。

先に記した「戦争体験談」を例に取ります。
1、社団法人「小さな親切」運動本部は、戦時中の「親切を受け心温まった体験談」を募集した。
2、賞を取った「戦争体験談(オリジナル)」を読売新聞が掲載した。
3、読売新聞に掲載された体験談を読んだ誰かが(著作権を侵害し)複製し、サイト上に公開した。
4、さらに誰かが、複製された体験談を基に、オリジナル体験談に酷似した第二の体験談に再複製しサイト上に公開した。(エピソードとしてブラッシュアップさせた)
5、「心温まる体験談」を集めていたサンクチュアリ出版の編集者が、公開された第二の複製体験談を見つけ「心温まる体験談集」の掲載候補として編集のテーブルに上げた。

この経過が事実です。株式会社サンクチュアリ・パブリッシングは社団法人「小さな親切」運動本部に対し、この件で謝罪しています。しかしながら私は、書籍全体の著者である私と、社団法人「小さな親切」運動本部が著作権を主張する個別の体験談との間に接点はなく、著者が社団法人「小さな親切」運動本部に謝罪したくても謝罪する理由が見つからずに困惑しているというのが偽らざる気持ちです。

マハトマ・ガンディーは「真実と愛は必ず勝利する」という言葉を残しています。この言葉を信じる私には、読売新聞とも接点がなく、読売新聞による「最後のパレード」の盗作疑惑報道後も、心に一点の曇りもありませんでした。社団法人「小さな親切」運動本部関係者には、神を汚す読売新聞ではなく、神に従う私を信じていただきたい、そう願ってやみません。

「最後のパレード」読者の皆様や関係者の皆様にお伝えしたいこと、お伝えしなくてはならないことを、この場にまだまだ記したいとは思いますが、とてもここには記しきれませんので、別な著作物をもって説明責任を果たしていきたいと思います。

「最後のパレード」の著者である私は、この事件をさらに省察し、過ちを二度と繰り返さないよう、より一層の注意をもって著作業務に邁進していく所存です。この度の過ちをお許しいただき、今後も宜しくご指導いただきますよう伏してお願い申し上げます。 

最後にお願いがございます。弁護士の先生には、著者と出版社である株式会社サンクチュアリ・パブリッシング間の調整業務をお願いしております。マスコミによるメディア・リンチの問題や、著作権法の解釈など、「最後のパレード」事件全体に関わる諸問題ついては関与されておりませんので、先生にご迷惑がかかる行為は厳に謹んで頂きますようお願いいたします。

「最後のパレード」著者
中村 克

当公式声明のポイント
右矢印1 著者として欠陥商品である書籍を出版し、読者や関係者の皆様にご迷惑をかけたたことを心より謝罪致します。
右矢印1 私は神に誓って「盗作者」ではないことを表明いたします。
右矢印1 今後、良い仕事をすることにより名誉を回復していく所存です。
右矢印1 今後も「最後のパレード」の改訂版出版に向けて、株式会社サンクチュアリ・パブリッシング側とは「敵意」ではなく「友愛精神」を持って残された問題の解決に当たっていきたいと考えます。

posted by S・C・ NAKAMURA at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原発事故で自殺した事件の弁護士に送った手紙


原発事故の避難生活でうつ病になり焼身自殺、遺族が東電を提訴
<引用開始>
福島県川俣町の渡辺幹夫さん(62)の自宅は、東京電力福島第一原発事故による計画的避難区域の中にある。39年間連れ添った妻のはま子(当時58歳)さんは、一時帰宅中だった昨年7月、ここで焼身自殺した。

はま子さんはガソリンをかぶり、自ら火を放った。避難生活のストレスでうつ病を発症していたという。「原発事故がなかったら、こんなひどい目に遭わずにすんだ」と幹夫さんは言う。「これは東電の責任だ」
<引用終了>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120621-00000014-cnn-int

○○市の中村○といいます。渡辺さん同様にPTSDに伴う、うつの症状で苦しんでいます。

はま子さんのケースは、私が経験したPTSDの症状によく似ています。それは、PTSDの原因をつくった場所に戻ったことによるフラッシュバック症状です。阪神淡路大震災後に長田地区の人は、精神的ショックを受けたその地に戻ることがなかなかできなかったという事実を何かの本か、新聞記事で読んだことがあります。

私の体験は以下の通りです。

昨年の7月20日に多摩済生病院の精神科で「傷病」と診察され、東村山市の勧めで東村山ソーシャルホーム(生活困窮者向け宿泊所)に入りました。

ホームページでの施設の紹介
アルコール、ギャンブル、薬物に関連する依存症でお悩みのご本人、ご家族の方がたの相談を無料で受け付けております。
「仲間と共に歩む会」は、日本で初めてアルコール依存症者のための共同作業所「仲間の家」を東村山市に開設し、 以来アルコール依存症で苦しい思いをする本人・ご家族と、活動を通じて助け合っていこうと活動を続けています。
<引用終了>
NPO法人 仲間と共に歩む会
http://www10.ocn.ne.jp/~ayumukai/

5人部屋ですが、ただの貧困者や、アルコール+精神障害の人たちと、私のような精神障害者だけの人間が混在しているにもかかわらず、「部屋長」という見張り役が、全ての人がアルコールで問題を抱えているかのごとく、利用者の生活態度をチェックしています。

私は、「ゴミ箱が5センチ動いている」「トースターにパンくずが残っている」「コーヒークリームがこぼれている」などの「説教」を受けました。特にショックを受けたのは、毎日の食事です。ホームといっても3Kのマンションが十数部屋あるだけのもので、事務室がある一階の部屋で順番に食事をとるのですが、座布団もない畳の上に座らされ、ほんの数分で冷たい弁当を食べさせられるのです。私が、夕刊を見ようとすると「食事の後にしろ」とせかします。まるで家畜を扱っているかのような施設側の対応でした。

私を診察した精神科医は、私の「福島で仕事がしたい」という発言に「やめなさい、疲労によりうつがひどくなります。専門的な仕事をしながら2年位かけて治しなさい」というアドバイスをしてくださいました。

ソーシャルホームでの生活は苦痛でしたが、2週間に1度(制限はないのですが)の外泊が私の何よりの「息抜き」でした。私は、○○市に母が所有する畑に私が建てた小屋に外泊しました。そのときのことです。キャンプにきたような、あまりの解放感からか少量のアルコールで「バッドトリップ」してしまい、強い自殺願望に見舞われ、自分が怖くなり救急車を呼びました。生まれて初めて失禁も経験しました。

救急車の隊員と話して落ち着きました。その夜、自転車で東村山に戻ることにしました。ここからが核心です。東村山に近づくにつれ鼓動が激しくなり、ホームまで数百メートルのところで苦しくなり、東村山警察署から救急車を呼んでもらいました。酸素吸入が行われ、市内の久米川病院に着く頃には隊員の方から「顔色がよくなってきましたね」と言われるほどに落ち着いてきたため、病院からは精神安定剤を処方してもらうだけで済みました。

ドクターが言った通りになりました。精神的疲労は知らず知らずのうちに私を重病にしていたのです。私はクリスチャンですが、ドクターは「これまでフラッシュバックがでなかったのは信仰のため」と明言されていました。

はま子さんも、おそらく同じだったのでしょう。家に帰ったことでフラッシュバックが起こり、苦しくなり、その苦しさから逃れるために衝動的に自殺を選んでしまったのだと推察します。

自分と同じようなトラブルを経験したことがない人から助言を受けてはならない。Never take the advice of someone who has not had your kind of trouble.  Sidney J. Harris  

PTSDの苦しみは、まさに筆舌に尽くし難い苦しみです。はま子さんが自殺に至った原因をつくったとされる「東京電力単独悪者説」に関しては、私は違った見方をしていますが、はま子さんのケースはまさにアフターケアができていない東京電力の経営姿勢が問題であり、当然損害賠償の対象になると考えます。

はま子さんの死を無駄にしてはなりません。なぜならば、避難している人が戻ったときに、はま子さん同様のフラッシュバックに襲われる人が出てしまうかもしれないからです。今、精神を病んでいる人に警鐘を鳴らしておかなくてはならないからです。

この証言を私は聖書に手を置いて行う用意がありますので、必要でしたらお申し出ください。





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日本人が元気になる本「モラトリアム国家日本の危機」

日本人が元気になる本「モラトリアム国家日本の危機」2012年06月27日


1998年に精神科医の権威であった小此木啓吾元慶応大学教授が書かれた本です。

私は以前に以下のようにブログに記しました。

日本語がつくる脳
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html

この記事には湯川秀樹博士の卓見が紹介されています。

つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。

 そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
<終了>
日本人脳と湯川秀樹博士の卓見
http://dream333.seesaa.net/article/277163183.html

引用ばかりと叱られそうですが、現在「青い顔」をしている日本人を元気にさせることが目的ですのでお許しください。

<引用開始>
戦後50年たった現代でも英国の代表的な国立の精神分析研究所でドイツ人の留学生は半年もたないという。戦時中のロンドン空襲の恨みつらみを毎日のように聞かされて、いたたまれなくなるのだ。
英国の最も親日家と言われる長老の精神分析家と宮城のお堀端を歩いていた。「あの第一生命の建物がマッカッサーの司令部だった」と言うと、日頃温厚な彼にこう言われた。
「かねてから聞きたいと思っていたことがある。どうして君たちはあんなに米国の人たちと仲良くできるのかね。私なんかいまだにドイツ人の顔を見るのもいやだよ。君たちは不思議な人たちだなあ」

現代史家トーランドの示唆するもの
ここで、私たちは、英国人のこの執念深さに少しあやかってもう一度、現代史について、日本国民らしい自分本位の物の見方を回復する必要があるのではなかろうか。
こう主張する際に言及したいのは、米国の現代史家ジョン・トーランドの仕事である。
私の義兄ジョン・トーランドは、ピュリッツァー賞を受賞した現代史家であるが、もっぱら世間で悪玉視されている人物の伝記を詳細に調査し、できるかぎり客観的、中立的な立場で明らかにすることを、自分の使命と心得ている。
彼には、次のような信念がある。
「人間には100%の悪玉も100%の善玉もいない。にもかかわらず、人々はその人物が何か一つ犯罪を犯したり、悪事を行ったり、過ちを犯したりすると、その人物すべてが悪玉であったかのようなイメージを抱く。しかし、これは科学的な事実の認識に反することである。たとえ90%、その人物に犯罪的な事実があっても、もしかしたら10%はよいことをしているかもしれない。100%悪玉視することによって、その10%の善行を否認してしまえば、それは現実認識の誤りを引き起こすことになる。自分はこのような認識の人類的誤りをただすことをもって使命としたい」

<中略>

やがてジョンは、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃について事前に情報をキャッチしながら、その情報を現地の司令官に伝えなかった事実を克明に証明した本「インファミー(汚辱)」を刊行した。ルーズベルト大統領は、むしろ真珠湾攻撃をひそかに期待していたというのだ。
見事に米国国民はルーズベルト大統領によって「リメンバー・パールハーバー」の世界へと引き込まれ、米国国民がすべての正義の味方になって日本と戦う機運が作り出されたが、実はルーズベルトの真の狙いは、対独選への参戦にあったのだ。
ちなみに、真珠湾攻撃の報を聞いたヒトラーは、憮然として一言も言葉を発しないで、自室ひとらに閉じこもってしまった、とジョン・トーランドは書いている。ヒトラーにすれば、なんとか米国の参戦を食い止めたかったのである。

いまこそ、精神的な主体性の回復を
ここで、ただ単純に日本は侵略戦争を行った、真珠湾攻撃が悪かった、だから太平洋戦争は全部日本が悪い、という論旨から、われわれは一度解放されなければならない。
日米対等の、それぞれが自分の論理を持った国と国として対峙することが可能な時代はいつくるのだろうか。米国側に同一化した自己認識のあり方から、自分本位の自己認識を持つことができるような視点の転換を図ることが、いま、私たち精神的な主体性を回復する課題である。
<引用終了>

私は、今年の8月6日の原爆記念日から815終戦記念日までの間、世界中の人々がアメリカの日本人大量虐殺行為である、東京大空襲や各地への空襲、原爆投下について再考してもらえるよう、できることを惜しみなくしていきたいと考えます。日本中があっと驚く戦略があります。読売新聞社以外の新聞社にも情報を提供するつもりです。

それまでに、このブログに大量の情報を蓄えておきたいと考えます。

さて、ますます凶暴化するアメリカ人について一言。

アメリカ人牧師の愚行2.JPG



この写真は、アメリカ人牧師によって「柿の実」がならなくなってしまった柿の木の写真です。野蛮な彼らにチェーンソーという武器をあたえると、それまで子どもたちが秋の収穫を楽しみにしていた柿の木を「めった切り」にしてしまうのです。

そして、彼らは言うのです。「イスラエルのために祈りましょう」と。

「イスラエルのために祈りましょう」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gbv=2&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ

私は決してイスラエルのために祈りません。その理由は、こちらをご覧ください。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86&hl=ja&gbv=2&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86

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2012年06月26日

「政治とカネ問題」はもう終わりにしなくてはならない

高村薫(作家)「これまで政治資金の実態は見えにくく、有権者はそこで何が行われているのか知りたいという気持ちを抱いてきた。」

この指摘がすべての出発点であるが、小沢一郎は「実態」を絶対に明かすことはない。それは、「実態を見せられないもの」ではなく、「見せない方が国民の利益につながるもの」でなくてはならないということを、小沢一郎は心得ているからである。
その「見せる必要のない政治とカネの実態」とは何か。それは明治以来の役人主導政治の中で、唯一、政治家主導を可能にさせるシステムである。そのシステムを一言で表せば「陳情」となる。

以下は、筆者が体験した「政治とカネ」の「実態」である。

現職時代の土屋義彦埼玉県知事(故人)と県の幹部一人、筆者と筆者のおじは、知事公邸近くの料亭で昼食を共にした。おじは土屋知事に対し、メキシコ市の大平正芳公園の改修費用500万円を「陳情」したのである。
土屋知事は、ウイスキーのウーロン茶割り(に見えた)を飲みほし、「分かった」と答えた。


土屋知事.JPG

このことは何を意味するのか。昭和30年代初頭からメキシコに住み、メキシコ政府の一員としても活躍してきたおじは、日本の外務省が、このような「案件」には、決して手を付けないことを体得しているのである。
役人支配の日本では、政治家は、団体や企業からの寄付金(お布施、ノブレス・オブリージュ、賢者の献金に相当)がなければ、政治活動に支障をきたす制度が、役人主導で構築されていたのである。
現在は、政党助成金制度があるが、以前は、田中角栄、土屋義彦といった「大物政治家」と言われる政治家にカネが集まるのは、当然のことだったのだ。

小沢一郎の問題視された多額の「原資」も同様に、陳情対応などの政治活動用のカネであろう。あるいは後進の政治家を育てるためのカネだろう。
土屋知事のように必要資金を企業に求めた政治家は多い。だから、小沢一郎は企業からの「清いカネ」の出所や使い道を隠す。人間として当然のことである。
類推すれば、土屋知事に「500万円の出所」を明かせ、と言ってみても、決して明かさなかったろうと筆者は確信する。(筆者も、これまでにこの件を他言したことはない。)
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小沢一郎変質の理由


新渡戸稲造「博愛や慈愛が身近なところから始まるように、インターナショナル・マインドはナショナル・マインド(武士道)の延長である」
これは「武士道」の中の一節で、細川元首相が国連演説で引用したとして話題になったものです。

神との同盟契約を結んでいるクリスチャンから見ると、まるであべこべなのです。

多くの日本人の思考的特徴は「自分の目から自分以外のものを見る」つまり、ミクロの発想である「インサイドアウト」の発想です。西洋のクリスチャン(アメリカンクリスチャンは含まれません)は、反対にマクロの発想である(アウトサイドイン)の発想が求められます。

航空機に例えるとこの発想方法の違いが分かります。航空機が出発するときには、パイロットは操縦席から外を見ながら、つまりインサイドアウトの発想で航空機を操縦します。安定飛行に入り管制を離れてからは、今度は反対にアウトサイドインの発想で航空機を操縦します。操縦席から外を見ても何も見えません。GPSによりアウトサイドイン、つまり外から自機の位置を見ながら、正しい目的地に向かっているかを見ているのです。

この発想ができないと、「自分勝手な人間」として西洋人には相手にされません。新渡戸稲造や細川元総理の発想は、自国のマインドの延長が世界のマインドになるとしていますが、常に「絶対の正義」である神の目というアウトサイドから、自国の価値観や個人の価値観を発想しないと国際人として認められないのです。

小沢一郎元幹事長の問題も、和子夫人の手紙の問題も同じです。自分の目から「今、彼らはどこにいてどういう状態にあるのか」を面白おかしく探っても、何も正しい答えには到達しません。アウトサイドインの発想でとらえなくてはいけないのです。

神の目からお二人の今を見ると、まさに「迷っている」としかいいようがありません。つまり、アウトサイドインの発想ではるか上空からお二人の位置と進んでいる方向を見ると、とても人生の目的地に向かっているとは思えません。私にはとても危険な方向に向かっていると思えます。

菅直人元首相が「小沢グループは目を覚ませ」と語っていますが、まさにその通りであり、変質してしまった小沢一郎元幹事長についていっても大いなる未来は開けません。

しかし、です。私は小沢一郎元幹事長や和子夫人を責める気にはなれません。その理由は簡単です。病気なのです。マスコミや世間からの集団的私的制裁(集団リンチ)に会いPTSD(DNA通りの生命力維持機能が働かなくなるほどの打撃を受けたときにできる心の傷、それに伴う脳の機能障害)に陥っていると考えられます。

こんな言葉もあります。

自分と同じようなトラブルを経験したことがない人から助言を受けてはならない。Never take the advice of someone who has not had your kind of trouble.  Sidney J. Harris  

私のように、死ぬほどの苦しみを受けてきた人間にしか分からないことかもしれません。週刊文春に掲載された手紙が和子夫人の自筆かどうかなど、興味本位で報道されていますが、アウトサイドインの発想では、「和子夫人も夫同様に苦しんでいる、苦しみを分かって欲しいと訴えた(私が以前に苦しみをネットで訴えたように)ものが、11枚に渡る手紙なのです。

私は読んでいませんが、和子夫人は「迷える私を見つけて助けて欲しい」そう願っているに違いないと思います。

以下に、私たち家族を襲ったマスコミと世論の集団リンチの結果を記します。私は今でも6月29日に87歳になる母にも会えません。親戚の家に行くことも許されません。怖がられるのです。まるで、黒人が怖い、朝鮮人が怖い、という差別の真っただ中にいるのです。

当然ですが、妻や家族とも会えません。(共通の知人を通して手紙を渡しています)

冤罪は本当に怖い、そう実感している毎日です。

妻への手紙
<前部略>
最後に、お詫びを申し上げます。
3年前の今ごろ、私はPTSDという病気になりました。読売新聞に後ろから突然切りつけられ、深手を負いました。その傷に、日本ユニセフ、サンクチュアリ出版、香山リカなどの多くの人たちが「傷口に塩をぬる」行為で、私を苦しめ殺そうとしました。

私はその時、自分が病気であることに気付きませんでした。6月中旬、紀藤先生と会い、「だまされている」ことに初めて気づいた時、○○(妻)さんも同時にPTSDになったのですが、そうとは知らず、私は○○さんを助けるどころか、「自分だけ助けてくれ」という言行を行っていたのです。

ジャスミンの花のような○○さんが「てめー」と言ったり、「25年間犠牲になって来たのよ」という発言をしたりしたことが、PTSDの特徴的な症状であったことを知ったのは、昨年の9月のことです。

昨年の9月、私は東村山消防署横の公園で、昼食に缶ビールを片手に(夜は飲酒禁止でした)オニギリを食べていたところ、初老の男の人(○○と言います)が、同様に缶ビールを持って寄ってきて、「話をしていいですか」と話しかけてきました。私は、同じ境遇の人(孤族)と直感し、人恋しさもあって話し込みました。

男は、「私もビールが大好きなんです。アパートが近くです。ビールを家で飲みませんか、と誘われ、私は男の住むアパート(元の「愛ちゃんの家」のそば)に行き、ビールをごちそうになりました。

350mlの缶ビールを2本ほど飲んだところで、男は突然、私の股間を触るという「実力行使」に出てきました。男の言い分は「私は病気なのです。私を助けてください。私の願いを聞いてください」というものでした。

私は、即座に逃げ出しました。

アパートの写真を撮ったところまでは、記憶があります。昼の出来事です。その後の記憶がまったくありません。気がついたのは、久米川病院のベッドの上でした。時間は事件後3時間近く経っていました。
私は、ビール数本で酔っ払うほどお酒には弱くありません。ご存知の通りです。救急車で運ばれたそうですが、起こされた記憶もありません。どこで倒れていたのかも記憶にありません。

○○さんなら「あっと」思ってくれるでしょう。そうです。若き日に添乗員として下呂温泉を訪れた際、「き○○」というホモセクシャルな人物に襲われ、下着姿で逃げ出した恐怖の体験がフラッシュバックしてしまったのです。

その後、私は東村山市から○○市に逃げ出し、自分の病気PTSDについて調べました。そして、こんな症状もあることに驚きました。

乖離病状
乖離というのは、さまざまなレベルで意識の連続性、続合性が絶たれる状態をいいます。「自分を外から見ている感じ」「現実味がない」「ぼうっとしている」というようなものから、「よく覚えていない」「まったく記憶にない」といもの、そして、いわゆる「多重人格」まで、さまざまな形があります。
「乖離症状」は、もともとは、自己防衛的な意味のあるもので、あまりにも苦しい状況に耐えられず、しかも、物理的に逃げ出すこともできない時に「精神的にその場から逃げる」という目的をもった、症状です。
苦しい状況から逃げられないでも、それ以上留まったら、頭がおかしくなってしまう、というような状況では、よくできた防御だと思います。
対人関係療法でなおす、トラウマ、PTSD 水島広子著

長くなりましたが、確かに私は病気です。紀藤先生にだまされているといわれた晩「一晩眠れなかった」「生まれて初めて人をぶん殴りたいと思った」○○さんも、あるいは二人の子どもたちも、症状は重くないが間違いなくPTSDであった、と理解できました。

私は、常にインサイドアウトの自己中心的な見方をしてきました。そのことが家族全員を病気にさせてしまったのです。

心からお詫び申し上げます。


参照
「妻の手紙」
http://dream333.seesaa.net/archives/20120617-1.html

posted by S・C・ NAKAMURA at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞社会部、門間順平記者と中村の関係とは

映画「ゴースト」の妻をこよなく愛するサムと、サムを金のために人殺しまで企てるカールとの関係と同じだ。

ところで、今朝の朝日新聞埼玉版の記事には驚いた。

<引用開始>
川越市のお茶「安全」とPR 

狭山茶は江戸時代には「河越茶」とよばれていたという。
鈴木会長らは、「800年前の発祥は川越。今後は川越茶のブランドも広めたい」
<引用終了>

まさにシミュラークル(オリジナルなきコピー、事実と虚構が入り交じっている)である。

狭山茶の本家本元は旧元狭山地域にある。(現在の東京都瑞穂町と埼玉県の一部)

東京都瑞穂町箱根ヶ崎1番地にある狭山神社、狭山池、狭山神社の由緒


狭山神社.JPG



狭山神社宮の池.JPG


狭山神社由緒.JPG





狭山茶とは、鎌倉時代に茶祖栄西が京都の栂尾に中国から仕入れた種をまき、育て、管理し、駿河の国や大和の国、牟佐志の国に国家の政策として作付けしたものである。オリジナルは、鎌倉時代からの天領(幕府領)であった元狭山の地に作付けされたのである。(筆者はいくつもの動かし難い証拠を得ている)

川越市は歴史を私物化せず、子どもたちに本当のことを教えなさい。

posted by S・C・ NAKAMURA at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

「ウルトラ人体警備隊」 VS 「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」

PTSD(自分では対処できないほどのショックを受けたことによる脳の機能障害)や、放射線被ばくによるガン発症などの病気を単純化すると、こういうことです。

人間は生命体という、それぞれの個人に与えられたDNAをつくり続けることができる仕組みをもった装置です。被ばくなどの悪性ストレスにより、脳を含む体内の細胞が傷つけられ変異してしまいますが、人間にはもともと、免疫力という「ウルトラ人体警備隊」が体内で活躍していて、DNAつまり、「生まれ持った自分らしさ」「人間としてのみずみずしさ」を維持管理しています。

病気になる、それは、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」の仕業により、自分らしくない自分になってしまうということです。「ウルトラ人体警備隊」が「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」に負ければ病気になる、すべての病気にこの法則はあてはまります。

自分自身を病気にしてしまうか、してしまわないかは、自分が決めることであり、他人が決めることは決してできません。なぜなら、自分の体内で活躍する「ウルトラ人体警備隊」に対しがんばれ、と命令できる人間は、自分しかいないのですから。

エレノア・ルーズベルトは、こう言っています。
「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」

さらに朗報です。人間には医学というマニュアルがあります。例えば西洋医学では、手術によりガン細胞の集団をきりとったり、放射線をガンという傷つけられた細胞が変異した集合体に外科的に「熱射」したりして、ガン、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」をやけどにより弱体化させるという、「ウルトラ人体警備隊」支援作戦で臨んでいます。

東洋医学では、良性ホルモンを食事という「胃腸から消化吸収させる内科作業」により、「ウルトラ人体警備隊」に「戦闘力」をつけ、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」をやっつける作戦をとります。

繰り返しますが、「自分が病気になることを選択」、反対に、「自分を病気にさせないことを選択」するという意思決定をするのは自分です。

インフルエンザで亡くなる人は、免疫力が弱い、つまり「ウルトラ人体警備隊」が正常に活躍していない虚弱体質の高齢者や子どもたちがほとんどです。

古来より日本民族は、中国三千年の漢方医学という、とてつもない「人体実験」の積み重ねから得た免疫力の維持管理法を受け入れてきました。であるからこそ、江戸時代の娘さんのように、明るく朗らかで美しい笑顔があふれていたのです。

その日本人が、長い年月適応してきた免疫力維持管理機能を捨て去ったのが、明治維新の文明開化という、わずか数百年のマニュアルしか有していない西洋医学、「知ったかぶり医学」の「押し売り」でした。

もうお分かりでしょう。今日の日本民族を健康、健全にする方法を。

そうです。日本民族の本来の姿、健康健全であったころの姿に立ち返れば良いだけです。東洋医学を取り戻せば良いだけなのです。

そして、良性ホルモンを正しく消化吸収する方法さえ手に入れれば、ガンであろうが、PTSDであろうが、すべての病気は完治するのです。そのことを信じる、つまり、「それは正しいからその道を進んでいこうと決意する」「心に願う」ことが、病気にならない体にし、病気を治すのです。

posted by S・C・ NAKAMURA at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人脳と湯川秀樹博士の卓見

(株)オリエンタルランド勤務時代の1997年に「日米ビジネス・コミュニケーション・セミナー」という研修を受けました。
主催会社は(株)インテック・ジャパンというコンサルタント会社です。
http://www.intecjapan.com/

この研修資料には1981年に発刊された角田忠信著「右脳と左脳」その機能と文化の異質性 小学館創造選書の一ページが紹介されています。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B3%E8%84%B3%E3%81%A8%E5%B7%A6%E8%84%B3%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%95%B0%E8%B3%AA%E6%80%A7-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-44-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E5%BF%A0%E4%BF%A1/dp/4098200449/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1340507605&sr=8-6

この研修で日本人と米国人の自然音、言語音、楽器音の認識機能の差を学びました。当時はアメリカ人のカウンターパート(同位格者)と議論するためには役だったとは思いますが、最近のアメリカ人の傍若無人ぶりを見るにつけ、日本国民はアメリカ人を相手にしない方が幸せになると確信しるようになりました。

この会社が、今でもこの本を使っているのか分かりません。ホームページには外国人の姿が多く見受けら得ますが、「自然は征服するもの」「虫の音は雑音にしか聞こえない」「古池や 蛙飛び込む 水の音 はカエルの集団がボチャボチャと飛び込む音としか認識できない」、つまりこの本の内容を理解できない外国人から研修を受けても異文化間コミュニケーション(アメリカ人が日本人を絶対に理解できないのですから、コミュニケーションなど成り立つはずがないのです)のトレーニングにはならない、単にアメリカ方式を押し付けられるだけだと考えるに至りました。

キリスト教を理解しないで英語を話しても相手の心には届きません。私は、日本人にはまずしっかりとした日本語と日本文化で「ファーストフォーマット」としてアメリカ人にだまされない知力づくりを行うべきと考えます。英語は教えない方が良いと思っています。世界で一番幸福度の高いデンマークでは、期末テストなどの子どもを苦しめる制度はなく、個性を伸ばす教育が施されます。この本を読むと日本人は秀でて優秀な民族であることが理解できます。教育により個性をのばし、日本人が得意の「進化力」を磨きあげる教育を行えば、日本は世界一幸福な国になるに違いありません。

もちろん日本人の脳が優秀である理由は、白人社会を築いたアメリカと違い、オリジナルの「日本人」と古くからの中国や朝鮮からの渡来人が交配を重ね、より良い遺伝子を持つ「優秀な脳」に品質改良してきたためと私はこの本を読みそう確信しました。

引用文を掲載しますが、難解であるために結論から記します。それは、12歳くらいまで日本で日本の教育を受けないと、絶対に「小川のせせらぎ」や「虫の声」などの情緒音は脳に認識されないというものです。ドナルド・キーン氏がいくら古文を読んでも、日本人のように背景にある情緒はまったく理解できないのです。

この本は、湯川秀樹博士も交えたシンポジウムの内容を記した本です。
≪学習する脳の姿≫
「近来こんなおもしろい話をきいたことがない。思いあたることが多い」と湯川秀樹博士がいっておられる。ほんとうにそういう本である。脳の研究もここまで来たか、という印象がつよい。わたしは読みながら何度か興奮してページを閉じて考え込んだ。大脳半球が、言語脳と音声脳に分かれていることは、最近方々でとり上げられて、この本を読む前から知っていた。しかし、この本はその二つの半球が、それぞれ、どんな音や声を「学習」するか。という問題をかいけつしてくれるのである。
波多野完冶

<引用開始>
12歳から始められる外国語の学習は、すでに日本人型の脳の働きに定着した後ですから、欧米人と違って著しく左脳に偏った学習を要求され、たとえ、この時期に理想的な聴覚中心の言語教育を受けても、決して西欧型の脳の分業型にはなりません。
左脳に強く依存する外国語の学習は、論理的描像能力を鍛えるには極めて有効な手段として考えられますが、同時に本来の脳の働き方を犠牲にしているという負の側面があることが注目されます。

<中略>

西欧人の場合には、子音が言語脳にあることは当然ですが、子音を含むような音節単位で言語脳に入っている。もう一つ計算も言語脳で扱う。計算は日本人も西洋人も同じですが、ただし西欧人はこれだけにかぎられて、そのほかの音は言語脳に入ることはありません。ないといいましても、子音に似たような意味のない合成音をつくれば言語脳処理になります。(CV、CVCのこと?)しかし、だいたい社会音として存在する音はほとんどすべてが音楽脳優位の音になります。ひじょうにはっきりと二分している。この劣位半球、音楽脳では、西洋楽器、それから母音もそうですし、人間の声としての鳴き声とか、ハミングだとか、いびきだとか、人間のすべての声、それから物の鳴き声、昆虫の鳴き声、それから機械音、こういう分担をしています。日本人の場合にはこうなりません。知的な計算は西欧人と同じですが、言語音のなかの子音と母音とはウエイトが同じです。子音のほうが優位性が大きくて母音は少ないということはけっしてない。しかも、人間の声がみんな入ってしまって、動物の鳴き声や昆虫の鳴き声も入る。こんなふうに、自然界にある音がほとんど言語脳に入ってしまうわけです。音楽脳にある音といいますと、西洋楽器の音だとか機械音、雑音だけですから、左半球にひじょうに偏った脳の使い方をしているわけです。
 こういうパターンからいいますと、やはり西欧人の場合には、非常に論理的な知的なものが言語脳に偏っている。これはロゴスで表わされる。
 非言語脳のほうはパトス的なものを分担する。しかも自然界にあるほとんどの音がことらに入っている。すなわち感情だとか自然の音がみなこちらに入っている。そういう意味で音の分担としては、知的なロゴスとパトスを含めた自然全体とに分かれてしまう。そういうパターンになる。ところが日本の場合には、こちらの知的な物の中に感情的なパトスが入りますし、それから自然の音も入ってしまう。
 ですから、これは私のかってな考えなんですけれども、日本人の心というのは、こうした左脳のはたらきであらわされるのではないか、音楽脳のほうはむしろマテリアルというか、無意識なものであらわされるのではないか、現代人のなかにはこういう音の認知の仕方がまだ生き続けているわけです。文化と称するのは、こういう脳のはたらきのパターンから生まれたものと考えているのです。そして、昔から日本文化の特色とされているような情緒性とか自然性、むしろ非論理的といわれているようなことというのは、こういう感覚を通しての自然界の認知の仕方が原点になっているのではないか。西欧人や西欧文化は論理性ということで表現されますが、自然と対決してものごとを知的優位に処理していくという生き方は、どうも脳の自然界の認知の仕方自身に違いがあるのではないか。こういう音の処理の仕方が違うということは、われわれの自然とのかかわり方の違いを意味する。われわれは生まれてからずっと音につつまれているわけです。われわれは五感をもっていますが、この場合自然を認知するのは、なんといっても視覚と聴覚が非常にだいじである。聴覚というのは、とくにことばを覚えるのに不可欠な感覚である。先ほど申しましたように、十歳までポルトガルで育った人は母音の優位性が西欧型に変わってしまうように、脳の生理機能もじつはことばの影響をひじょうに受けるわけです。ことばの差が原点になって、母音が言語脳のほうで処理されるという日本語の特徴が生まれた。母音のそういう特徴的な音形に似た多くの自然界の音も、日本語を母国語とするかぎり言語脳のなかで処理されている。これが日本人の自然観や心情をつくっているのではないか。そういう原点は日本語の母音の特徴に求められるのではないかと、じつはそういう仮説を私は立てております。
<引用終了>

日本語がつくる脳
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html

この記事には湯川秀樹博士の卓見が紹介されています。

つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。

 そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
<終了>

韓国人も中国人も西洋脳ではありますが、アメリカ人より数段情緒的な脳を有していますから、付き合うのでしたら東洋人です。

哲学+宗教観=思想になりますが、西洋人脳では、主にギリシャ哲学とキリスト教の宗教観に分けて思考を生み出します。翻って東洋人脳は儒教や陽明学などの哲学と神仏崇拝などの宗教観を混ぜ合わせにして思考を生み出しているようです。まるで、西洋人が「食材が分かれている」コース料理を好むのと、東洋人の「食材が一緒になった」どんぶり物やなべ料理を好むのとの違いのようです。

強調しますが、アメリカ人は虫の音は雑音です。私も何回もアメリカに渡っていますが、セミや虫など見たことがありません。人間以外の生物の存在を確認できるのは、道路上に転がる無数のぺちゃんこになったアライグマの死体だけです。

アメリカ人は、アメリカという国からどれだけの自然に生きる生物を排除してきたのでしょうか。上記ホームページでは「文明生活の敵だとして、とことん退治してしまったのだろうか?」と記されていますが、戦時中の東京大空襲のように、生きる権利のある人々を皆殺しにしたように、上空からの薬剤の空中散布で、虫たちを皆殺しにしたに違いないのです。(映画「インディペンス・デイ」にそのようなシーンがあったことを思い出しました)

「結婚は世界で一番気持ちも心も感情も合わない人と一緒にくらすことだ。これは神さまが合わせたものだ。」「お互いがぶつかることがなければ、どちらかが早く死んでしまう」斎藤一人
「天声妻語」中野雄一郎著 いのちとことば社

結婚と違い、お互いに自国益を求める外交や経済において、気持ちも感情も合わない「野蛮人」たちと付き合うことは、私たち国民にとって「不幸への道」の選択以外何ものでもない、私はそう断言します。


posted by S・C・ NAKAMURA at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三井不動産は逃げ切れない


<引用開始>
浦安の液状化訴訟、三井不動産側は争う姿勢
 東日本大震災による液状化で住宅が傾くなどしたのは地盤改良工事を怠ったためとして、千葉県浦安市の集合住宅の住民32人が分譲販売した三井不動産と関連会社に、復旧費用など計約7億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が26日、東京地裁(戸田久裁判長)であった。三井不動産側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。
 同社側は答弁書で「巨大地震や、それによる深刻な液状化被害が発生する可能性は全く予想できなかった」と主張。「地盤改良工事を実施する義務は負っていなかった」としている。
<引用終了>
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/552379/

三井不動産が販売した物件は1981年に販売開始です。1976年から、オリエンタルランドと三井不動産が行ってきたディズニーランド液状化対策についてお教えします。

訴訟で住民側が勝利することを願います。

<一部転載開始>
第四章 開業前の運営準備の段階
1、 注目を浴びた地盤改良工事
 施設の建設に当たっては、社会性・企業性の検討のほか、物理的な配慮がそれ以上に重要であり、特に最大の悩みは地盤の問題、建設費の難問題であった。
 開発用地は、東京湾奥にいくつもの河川が注ぎ込む江戸川河口のデルタ地帯に位置した埋め立て地である。この地帯は、古くは、東京江東地方と同じく土層構成が軟弱な粘土層で、埋立て地では支持杭に支えられた建築物に周辺地盤の沈下ギャップが発生し易く、軟弱地盤の上に定着している建物や配管類などに不当沈下による深刻な影響が出やすい。また、新潟地震にみられたように地震発生時の液状化現象が起こり得る。年間一千万人のゲストが出入りする施設としては、不当沈下による舗装面の凹凸や段差などは論外で、如何なる安全上の障害もここでは許されない。
 一九七六年(昭和五十一年)七月にディズニー社との間で第二フェーズ作業として、マスタープラン策定に関する契約を締結して以来、ディズニー社の施設計画作業の進展に対応する形で、オリエンタルランドは建設担当役員であった常務の高田博照さんに加え、三井不動産技術担当常務の石田繫之介さんがオリエンタルランドに非常勤取締役として出向し、建設推進体制の強化を図ることとした。石田さんは、かつて三井不動産の超高層ビル第一号の三井霞が関ビルの計画・建設にかかわった実績をもち地盤問題等にも造詣が深い。そして埋め立て軟弱基盤の大規模開発に不可欠な地盤改良計画に対して、その分野における国際的な権威である東京工業大学工学部建設学科の吉見吉昭教授を本プロジェクトに紹介してくれた。
 吉見教授はさらに新進気鋭の土質コンサルタント橋場友則さんを推薦し、同教授の現地に関する傾向分析とその対策に関する指導的役割のもとに、橋場さんが地盤改良対策法とその地盤に対する建築についての提言を続け、地盤改良の成功と工事費の抑制に大きな貢献をされた。地盤改良は、開発用地二十五万坪にわたるもので、工法は、サンドドレーン工法、グラベルドレーン工法、サンドコンパクションパイル、タフネルドレーン法といった複合工法が採用され、サンドドレーンは囲碁盤の網目状に二メートルピッチ、打ち込んだ数は実に十万本に及んだ。このような複合工法で、これだけの大規模な地盤改良をやったことは、かつて日本において前例を見ないことだった。液状化についても、未だ日本ではさほど認識されていなかったし、土木建築業界でも余り実績がなく、従ってデータなどほとんどない時代だった。
 一九八〇年(昭和五十五年)の真冬の夜中に、吉見教授、橋場さんたちが現地の埋め立て地で液状化実験を行ってデータ収集をされたことがあったが、地中に振動を与えている実験中に浸透管を通して水が噴出したこともあった。複合工法による地盤改良工事の結果、建築の杭打ちも困難になるくらい堅固な地盤に改良され、土質も極めて施行性の高いものになったことが評価されて、吉見教授の発表が学会でも注目を浴びた、と伺っている。事実、東京ディズニーランドのオープンの翌年、千葉県東海岸沖を震源とした震度五に近い「茂原地震」が発生した時にも、全ての施設はクラック一つ入らず微動だにしなかった。全体の重量バランスによって建物の平衡が保たれ、施行後の傾向が、当初の工法で計画・予測されていた通りの結果が出て、施設毎に個別にとった対策がピタリと当たり、何の障害もでなかった。
<一部転載終了>
http://campus.jissen.ac.jp/seibun/archives/contents/etext/publication/disney/Kamisawa/fileDLD.htm

上澤昇著 ディズニー・テーマパークの魅力−「魔法の王国」設立・運営の30年−
(著作権者により無料ダウンロードが許可されていることを確認しています)

これでも、三井不動産は「想定できなかった」と開き直れるのでしょうか
posted by S・C・ NAKAMURA at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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