2013年01月16日

日本オオカミは生きている


古来より「山の神」として崇められてきた日本オオカミは、絶滅していない可能性が高いと思われます。

そもそも論として、日本オオカミとはどのような動物なのでしょうか。研究熱心な日本人が教えてくれます。感謝です。
ウィキペディアより
<引用開始>
生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。
薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2、3-10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろをついて来る(監視する)習性があったとされ、いわゆる「送りオオカミ」の由来となり、また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。
<中略>
1905年以降にも各地でニホンオオカミの姿を見た、遠吠えを聞いたといった事例が多数あり、現在でも生存している可能性が高いとして調査を行っている個人や団体も存在する。
紀伊半島山間部では、1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数あり(ただし、それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものであった[14])、ニホンオオカミが生存しているのではないかとの噂が絶えない。現在でも、紀伊半島山間部ではニホンオオカミの目撃証言を募るポスターがしばしば目にされる。
秩父山系でも、1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたことがあり[15]、ニホンオオカミ生存の噂は絶えない。
また、九州中部の山地でも2000年に秩父と同様の事例があり[16][17]、生存しているのではないかという話もある。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F

森林での生態系のトップに位置するオオカミが明治政府命により駆除され、鹿やイノシシ、日本猿は繁殖し続け、今日に至っています。

自然の循環を考えてみましょう。つまり動物の「種」のたすきリレーのことです。映画「もののけ姫」で分かるように、森に生きる動物は互いに協調し合って「種」の保存を続けてきました。そこから日本オオカミという森林での自然の循環を仕切ってきた「種」を引き算するとどうなるでしょう。結果は多くの動物の「種」のたすきリレーが誤作動するだけなのです。

動物たちは迷います、何万年もの「正義の味方」を失うのですから。そして誤作動して人間の暮らす場所に出没するしかなくなるのです。

人間に、自然の循環を断絶(動物の「種」のたすきつなぎをターミネート(断種))する権利などありません。

「種」の保存に関する科学技術が進歩しています。100年後には、日本オオカミの遠吠えを楽しむ会などが生まれると私は信じ、死んでいきたいと思います。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月15日

子どもたちが歌えない日本の歌


日本人の音楽脳(イメージ脳)はだいたい12歳くらいまでに形成されますが、そのためには以下のような美しい歌が必要ですが・・・実は、今は小学校では教えていないのです。教えられないということは、歌えないということを意味します。歌えないということは、音楽でのコミュニケーションができなくなるということを意味します。

ちいさい秋みつけた
夏の思い出
雪の降るまちを
めだかの学校
以上、中田喜直の作曲です。


子どもの頃の愛唱歌
国立国会図書館利用者サービス部サービス企画課
http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000002515173.html

以下の歌も小学校では教えていません。

あの町この町 あひるの行列 あめふり あわて床屋 あんたがたどこさ 雨 赤い靴 赤とんぼ 一寸法師 犬 池の鯉 うさぎ うさぎとかめ 浦島太郎 牛若丸 おうま おおブレネリ おお牧場は緑 おもちやのマーチ お正月 思い出 かごめかごめ かなりや かわいいかくれんぼ 案山子 きよしこのよる きんたろう 汽車 靴が鳴る こいのぼり(いらかの…) 子鹿のバンビ さわると秋がさびしがる ジングルベル 幸せなら手をたたこう ずいずいずっころばし スキー 雀の学校 線路は続くよどこまでも 背くらべ たきび 大こくさま チューリップ ちょうちょう 月 月の砂漠 鉄道唱歌 どんぐりころころ とんび 通りゃんせ 夏は来ぬ/赤とんぼ 人形 はなさかじじい花嫁人形 箱根八里 ピクニック 故郷の空 冬の夜 港 緑のそよ風 村の鍛冶屋 村祭 ももたろう(ももからうまれた…) 森のくまさん 森の小人 桃太郎(ももたろさん…) 野ばら ゆうやけこやけ 雪 雪山讃歌 夜汽車146

現在では、6年間で約200曲の歌を教えていますが、私が知っている歌はわずかです。

教育芸術社
http://www.kyogei.co.jp/publication/textbook/elementary_school.html

アリラン ファイナルファンタジーW愛のテーマ おちゃらか ほい スキーの歌(スキーとは別歌) 走れメロス あいあい アイネ クライネ ナハトムジーク あいのあいさつ あおげばとうとし アジアの国々の音楽 あしたがあるさ あたらしい えがお あの雲のように あの青い空のように アンデスの祭り 秋にさよなら 赤とんぼ 朝日をあびて 明日に向かって いつでもあの海は いるかは ざんぶらこ いろんな木の実 威風堂々 第1番 一日一歩の未来 生命のいぶき うさぎ うたえ バンバン うみ うれしい ひなまつり 歌に 願いを 歌のにじ 歌よ ありがとう 歌よ ひびけ 海 海風きって 失われた歌 馬にのって 美しきロスマリン エーデルワイス えがお かがやいて えがおで きょうも 越天楽今様 オーラ リー おかしの ゆめ おかしのすきな まほう使い おしょうがつ おちば おちゃらか ほい おどる こねこ おどろう楽しいポーレチケ おぼろ月夜 おむすび ころりん 音のカーニバル 思い出のメロディー 大空がむかえる朝 大空よ あなたのもとに かえるの がっしょう かえるの ルンバ かえるのふえ かくれんぼ かさじぞう かたつむり かっこう かぼちゃ かり かり わたれ 風のカーニバル 風を切って きゅう友 きょうりゅうとチャチャチャ きょう土の音楽 花がさ音頭(山形県),神田ばやし(東京都) きらきらぼし キリマンジャロ 銀河鉄道の歌 グッデー グッバイ 口ぶえふきと 小犬 けんけん ぱ こいぬの マーチ こいのぼり ゴー ゴー ゴー こきりこぶし こぐまの 二月 こげよ マイケル この星に生まれて こめ むぎ あそびうた コンドルは飛んで行く 荒城の月 子どもの世界 子もり歌 小ぎつね 小犬の ビンゴ 小犬のワルツ 小鳥のために 木のはの ゆうびん さくら さくら さようなら さよなら さよなら友よ シエリート リンド シャボン玉 じゃんけんぽん しろくまの ジェンカ シンコペーテッド クロック 静かにねむれ スキーの歌 せいくらべ せいじゃの こうしん せかいじゅうの子どもたちが 世界がひとつになるまで 世界の国々の音楽 ぞうさんの さんぽ それは地球 そろそろ はるですよ 空と風のきっぷ 空に雲に たなばたさま たぬきの たいこ ちびっこカウボーイ 茶摘み 小さな花 茶色の小びん つばさをください つばさをだいて
つるぎのまい つるのおん返し 津軽じょんから節 から てと てで あいさつ てを たたきましょう どこかで春が トッカータとフーガ ニ短調 から トルコ こうしんきょく ドレミで歌おう ドレミの うた どんぐりさんの おうち とんくるりん ぱんくるりん とんび とんぼの めがね 友だち 友だち シンド バッド ないた 赤おに 七つの子 にじを歌って ねむたい こねこ バード ウォッチング ばす ばす はしる ハックルベリー フィン パフ はる なつ あき ふゆ はるが きた パレード ホッホー バロック ホーダウン 春の海 春の小川 走れメロス 白鳥 箱根八里 浜千鳥 浜辺の歌 林の朝 Believe ピチカート ポルカ ひのまる ひらいた ひらいた ピラミッドの うた 広い空の下で ふじ山 ぷっかり くじら ふるさと ふるさとの春 ぶん ぶん ぶん 冬げしき 冬の歌 二人でおどりましょう ほたるの光 星の世界 星空はいつも まきばの朝 まつり花 街は光の中に 待ちぼうけ みかんの花さくおか みっきい まうす マーチ みつばちの ぼうけん 南風にのって 虫の こえ メヌエット もみじ ももくり三年 かき八年 森の 音がくかい 木星 やさしい風に 山ねこバンガロー 山の ポルカ ゆかいな木きん ゆかいに歩けば ゆりかごの歌 勇気ひとつを友にして 夕ぐれ 夕やけこやけ 夕日 陽気な船長 ラバース コンチェルト ロンドンばし わたり鳥と少年 われは海の子

以下は観賞用
アイネ クライネ ナハトムジーク あいのあいさつ アジアの国々の音楽 アリラン おちゃらか ほい おどる こねこ かえるの ルンバ きゅう友 きょう土の音楽 花がさ音頭(山形県),神田ばやし(東京都) こめ むぎ あそびうた シエリート リンド しろくまの ジェンカ シンコペーテッド クロック せいじゃの こうしん たぬきの たいこ つるぎのまい トッカータとフーガ ニ短調 から トルコ こうしんきょく ドレミの うた ハックルベリー フィン バロック ホーダウン ピチカート ポルカ まつり花 みっきい まうす マーチ みつばちの ぼうけん メヌエット ロンドンばし 威風堂々 第1番 金かんがっきの音楽(茶つみ) 口ぶえふきと 小犬 荒城の月 春の海 小犬の ビンゴ 小犬のワルツ 小鳥のために 森の 音がくかい 世界の国々の音楽 赤とんぼ 待ちぼうけ 茶色の小びん 津軽じょんから節 から 二人でおどりましょう 馬にのって 白鳥 箱根八里 美しきロスマリン 浜辺の歌 木管楽器の音楽(とんび) 木星


赤とんぼやドレミの うたは観賞するだけで歌えないことを意味します。

問題の歌
ファイナルファンタジーW愛のテーマ 
結婚しよう 子どもをつくろう
http://j-lyric.net/artist/a052686/l023f1d.html

こきりこぶし
イロハの文字に心が解けて 此身をせこに任せつれ
かぞいろ知らで一人の処女が いつしかなして岩田帯
向いの山に光るもんにゃ何じゃ 星か蛍か黄金の虫か
今来る嫁の松明ならば さしあげてもやしゃれやさ男
http://www1.tst.ne.jp/calm/words/words.html

なんということでしょう。このような投稿もあります。

昔、小学校で歌った曲で、歌詞が頭から離れないのに名前が思い出せないものがあります。どなたかこの曲の名前をご存知でしょうか?
(一部歌詞)
クラスの皆で力をあわせた〜
困ったときに先生がいる〜
辛い時には友達がいる〜
どんなに悲しい時でも
笑って 笑って いよう〜
see you 
友達がいっぱい できるのは〜
君の笑顔が素敵だから〜
大きくなって 大人になって
またどこかで会おう see you
またどこかで会おう see you
http://okwave.jp/qa/q5676774.html

see youという曲名だそうですが・・・頭が痛くなってきました。

民主党を通して、なぜ、小学校でこのような音楽教育をしているのか、通常国会で安倍総理に質してもらいたいと思います。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

新年会続きでまた体調が悪化してしまいました

誘ってくれる友人はありがたいものです。貧困の私に革ジャンをくれたり、飲ませてくれたりする友人がいることを誇りに思います。

過去ログを再掲しますのでよろしかったらご覧ください。

2012年9月8日
立教大学は建学の精神を捨て去ったと理解していいのか

7月9日にこのブログに立教大学の建学の精神と香山リカという表題の記事を書いた。内容は、香山リカ教授は立教大学の教壇に立つべきではないというものです。

小泉純一郎の病的性格
<引用開始>
書棚から見つけた昔読んだ本に面白い話を見つけた。
病的性格を幾つかに分類していて、その中に情性欠如型と言われる病的性格があるという。
『この一群の中で問題になるのは、シュナイダーが情性欠如型と名づけた人々であろう。
人を思いやる惻隠の情、同情心、恥を知る感情、名誉を重んじる廉恥心、臍をかむ思い、あるいは心が痛むなど、様々な度合いの差はあるが、ともあれ自分の行動に人倫的な反省をする心、後悔の心、いわば良心と言ったものの見られない人々を捉えて一類型を立てているのである。

人倫的なもの、道徳律を頭では知っていてもそれを我が心の内に情感する事が出来ない、陰険で、冷酷で、残忍ともいえる行動を平然として行う人々である。
<引用終了>
http://www7.plala.or.jp/tarunoheya/page041.html

香山リカ氏は、まさに読売新聞の記者同様、陰険で、冷酷で、残忍ともいえる行動を平然と行いました。

以下、9日の記事全文

建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。
<引用終了>
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/spirit/foundation/

香山リカ教授
http://cp.rikkyo.ac.jp/prof/prof_kayama.html

これから、私がここに記すことは真実です。

2009年の秋の日、私は東村山駅東口の府中街道に面した牛丼店で昼食をとりました。そして、いつものように府中街道を図書館の方向に歩いていたところ、突然神の啓示がありました。

「右に曲がりなさい」

私は、金物屋の角を右に曲がり駅方面に向かいました。すると。

「本屋に入りなさい」

私は本屋に入りました。「あゆみ」という小さな書店です。神はどの本を読めとおっしゃっているのか、その答えは分かりませんでしたが、積まれていた香山リカ著の「悪いのは私じゃない症候群」を購入しました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%A6%99%E5%B1%B1-%E3%83%AA%E3%82%AB/dp/4584122393/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1341799998&sr=8-1

家に帰り、読み始めてすぐに神の啓示の内容が分かりました。本のタイトル通り、香山リカ氏は最後のパレード事件を取り上げ、あたかも私がホームページからコピペした論文を提出する低レベルの学生のように「悪いのは私じゃない症候群」の代表者のようにイメージづけています。読売ホイホイ人間の香山リカ氏は読売新聞の記事をそのまま頭にコピペし、私に取材することなく私を誹謗・中傷し侮辱しています。

キリスト教関係文書より
<引用開始>
加害者(傷つけた人)が自分の犯した悪事を認識するのを拒むとき

これは最も難しく、ケアカウンセリングにおいては最も取り扱う頻度が多いケースです。違反(侮辱)は、傷や悲しみをかきたてたり、生じさせたりします。このときの悲しみや怒りが表現されるのは正常なことです。
ひどい侵害に対して反応(または対処)しないのはおかしなことなのです。不当な仕打ちを受けた苦しみに対して怒りを感じ、加害者(傷つけた人)の行為が私たちの人生に与えた悲しみを感じることは正常で理にかなったことなのです。
一般に怒りよりも悲しみを認識するほうが容易いでないようです。怒りに対しては問題を感じる人が(とくにクリスチャンは)多いからです。しかし、痛みを否定するというのは自分自身に対する敬意を欠いていることであり、怒りを否定することは自分自身を大切にしないことなのです。
認識され、適切に表現された怒りは必要なものであり、正当で、自然なことです。怒りをどのように表現すればいいのかを知り、怒りの持つ役割を理解しなくてはなりません。
<引用終了>

著書「悪いのは私ではない症候群」で香山リカ氏は、「上司から突然にプレゼンを指示され失敗しても、失敗の責任は上司にはなく、上司のせいにするな」という意味のことを書いています。(原文:会議でうまくプレゼンできないのは、私のせいじゃない。突然、指名した上司や家庭で何かとプレッシャーをかける妻、そしてこのいつ起きるかもわからないパニック発作のせいのだ。6ページ)

クリスチャンには全く通用しない思想であり、危険です。失敗の原因を上司と部下が共有することなくして、前には進むことはできないからです。部下管理の鉄則が理解できない香山リカ氏。そして、精神病理学を専門としながら、平気で他人を侮辱する香山リカ氏。

こういう人間であるということを立教大学に教えてあげたいと思います。

侮辱罪ウィキペディアより
2006年9月11日、侮辱罪の法定刑のうちで最も重い「29日間の拘留」とする最高裁判決(上告棄却)がなされ、後に確定している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%AE%E8%BE%B1%E7%BD%AA

建学の精神について
<引用開始>
キリスト教に基づく教育とはいったいどんなものでしょうか。キリスト教は大学の持つ本来的な姿勢に対して何らそれを束縛し、規制しようとするものではなく、ましてや信仰を強制するものではありません。キリスト教本来の姿は、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場へ導こうとするものです。そこに求められるのは、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢です。<引用終了>

次に、立教大学に送った通達文書を公開します。

平成24年7月10日

立教大学総長
吉岡 知哉 様
埼玉県
中村 S
090−


貴学教授香山リカ氏の適性に関する質問の件


表題の件、下記の通り通知いたします。



1、質問内容
別紙私のブログ記事を参照の上、現在でも他人を根拠なく侮辱し続けている香山リカ氏が適任とするか、適任でないとするか、回答を求めるものです。

2、回答期限
本状到着後二週間以内の回答を要望します。
3、参考
洗礼を受けたクリスチャンとしての「証し」をご高覧ください。
以上


2ヶ月近く経っても回答はありません。

愛の反対は無関心 マザーテレサ

立教大学の学生が哀れでならない・

愛なき立教大学よ 貴学はキリスト教立教の精神を捨て去ったと理解していいのか。

文書による回答を求めていきたい。

2012年06月16日
クリスチャンとして教会で証したこと
http://dream333.seesaa.net/article/275512635.html

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月13日

石川遼のアメリカ行きに反対する


石川遼、マスターズ出場へ 5年連続、特別招待で
<引用開始>
4月11日に開幕する男子ゴルフのマスターズ・トーナメント(米ジョージア州、オーガスタ・ナショナルGC)の主催者は11日、石川遼(21)が特別招待選手として出場することを発表した。
<引用終了>

日本人がイチローのようにメジャーで活躍することは良いことです。その上で言えば、石川遼の渡米には賛成しなくてはなりませんが、いかんせんまだ条件がそろっていません。

イチローの活躍は、妻の弓子さんがいたからです。普通に考えてください。野球に専念するには食事、体調、夫婦生活などの管理が必要です。

私は、何回もアメリカに行っていますが、アメリカには日本に無い魅力があります。弱冠21歳の石川遼には全体像(それは魔力とも言えるものです)が見渡せないのではないか、と思うのです。

私は、このブログで日本人の「直観力」というテーマで相当数の記事を書いてきました。石川遼の将来に対する「直感」は、タイガー・ウッズのように若くして道を誤るというものです。

もちろん、私の声が届くとは思いませんが、数年後に「やっぱり」と日本人に思わせたくないと願うのです。

posted by S・C・ NAKAMURA at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月12日

英国メシ 美味革命???


昨日の朝日新聞13面より

<引用開始>
ソ−セージはパサパサして粉っぽい。野菜は煮崩れしている。パスタはブツブツと切れる。英国に留学した1996年当時、学食に、いつもため息をついていた。「煮すぎ、焼き過ぎ、味がない」。外食しても印象は同じだった。
 英国は食事がおいしくないと言われる。私の舌にはそう刷りこまれた。
 ところがである。2年前にロンドンに赴任して以来、あのころのような「まずいメシ」に出会わない。
私の舌がおかしくなったのか。それとも、英国料理に何かが起きたのか。
<引用終了>

スターバックスなどの進出により、やっとイギリスにも競争原理が働き出した結果であると私は考えます。

私は、1970年代の終わりに何回かイギリスを訪れました。はっきり言って上記の記事を書かれた記者以上にショックを受けました。何にショックを受けたかは明確です。食文化が全くなかったからです。

確かに、お会いしたイギリス人は紳士・淑女でしたが、あまりにも「見栄え」的でした。パブは魅力的で、日本では飲むことができないビールも堪能できましたが、それでも、何か無機質さを感じてしまいました。

さて、表題の件ですが、私は若くして亡くなられた、リンダ・マッカートニーさんのことを思い出します。
リンダはポール・マッカトニーの奥様でしたが、同時に日本に本当のベジタリアン料理を教えてくれた人でもあります。

彼女の著書「リンダ・マッカートニーの地球と私のベジタリアン料理」を読むと、彼女とポールの人生観が分かると共に、私たちの誤ったベジタリアンの定義(菜食主義ではありません。美味しいチーズなどの乳製品もいただくことができます)も捨てなくてはいけないことに気付きます。

リンダは若くして乳がんにより死亡しました。それでも、私たちへ強いメッセージを残しているのです。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

中村家と手塚治虫


旧元狭山村二本木地区の臨在禅宗の寺院、寿昌禅寺には、中村家と住職の墓をとり囲むように「五人組」や名望武家の墓が並んでいますが、その中に手塚家があります。手塚家は「蔦」の家紋を抱く諏訪の武家と考えられますが、詳しいことは分かりません。それでも、平安時代末期に源氏と平家から生まれた地方武家であることは間違いないでしょう。

中村家は、いわば現在のキャリア公務員ですから、中央(鎌倉)の命令により全国展開しました。栗原家「忌野 清志郎(いまわの きよしろう、本名:栗原 清志〈くりはら きよし〉の先祖」は、現在の秦野、伊勢原の地で今の、国道246号線を守るとともに、中村と共に全国展開したようです。

手塚家も同様に、鎌倉幕府の命により、主君のために忠誠を尽くした中央の名望武家と考えられます。今は、入間市二本木には手塚の大屋敷はありませんが、鎌倉時代から戦前まで天領の地の元狭山村に君臨していたに違いありません。その、手塚家の手塚治虫のことと元狭山村の中村家の関係を調べることが、楽しくて仕方ありません。

以下は、以前のブログ

中村のルーツは平家であると考えられます。そして、鎌倉時代以降は「影武者的公務員」として村づくり、「宿」や「町」づくり、産業づくりの中心となり働いたのが「中村一族」です。

ウィキペディアより
平宗平は相模国余綾郡中村荘(現・小田原市中村原付近)に因んで中村荘司と称した。中村氏の実質的な始まりだが、一族も発展することとなる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%B0%8F_(%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%9B%BD)

つまり、誇り高き「平家」の名を捨て「中村(村の中心、本郷)」を名乗ったということです。

1100年代に京都で誕生しました。ご存知のように平家は壇ノ浦の闘いに敗れました。よく平家の落人(おちうど)伝説が語られますが、あくまでも伝説です。当時は「源氏」「平家」「藤原」「橘」の公家4家で近親婚が繰り返されていたはずです。つまり、「親戚関係」が強かったはずであり、源氏が源平合戦で勝ったからといって、平家出身の「親戚」を皆殺しにするとは到底考えられません。

事実、平宗平は中村を名乗りその子孫は鎌倉幕府で「野」を与えられました。それが小田原の中村原です。ウィキペディアには、「嫡子の重平は父から中村の名字を継承した。次男の実平は土肥氏を称し、その息子の遠平は小早川氏を称した。三男の宗遠は土屋氏を、四男の友平は二宮氏を、五男の頼平は堺氏をそれぞれ称した。」と記されています。貧しかったとされる二宮尊徳があれだけの図書を手にすることがなぜできたのか、という疑問の答えは「親戚の中村家などが支援したから」が正解であると考えられます。

以前のブログ記事をご覧いただきたいと思います。

2012年06月28日
本当の歴史と、川越市、入間市、埼玉県のウソ@

鎌倉時代にこの通りの村づくり、町づくりを仰せつかったのが、【中村家】+後の戦国時代に戦うことになった「織田家」や「徳川家」を築き上げた侍であり、技術者あり、開拓者である「チーム中村」なのです。ときどき、中村姓は多いのに有名人が少ないとか、歴史に名が出てこないとか(架空の人物の「中村もんど」はいますが)ホームページ上で見かけますが、【中村家】はもともと「平家」です。源頼朝に「絶対におごるべからず」と指導されていたことは、容易に推察されます。「在庁官人」などというより、時の政権の「影武者的公務員」として活動してきたことは、二本木の中村家の歴史をみれば、実に明快に理解できます。

さて、鎌倉に幕府を置いた源頼朝は、【中村家】に「野」を与えました。それが現在の小田原市の中村原です。これまでの歴史家は、「中村原」などという地名から姓が生まれたといいますが、あべこべです。少し考えれば分かります。地名は誰が決定するのかを考えればよいのです。鎌倉幕府が管理する土地、つまり、古地図に掲載された地名は幕府が「ここを府中と呼ぶ」としたから「府中」になったのです。高句麗人が多く住んだ「狛江」などの例は別にしても、【中村家】に与えられた領域が「中村町」になったり、大野家に与えられた領域が「大野原」になったりするのです。
http://dream333.seesaa.net/article/277801033.html

中村と名のつく地名は700カ所とも言われています。名古屋駅は中村区中村町です。1871年には相馬藩が廃藩置県により中村県になりました。
ウィキペディア相馬中村藩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9

それでも、「中村」の名のつく権力者は見当たりません。あくまでも時の政権の「影武者的公務員」に徹することが中村家の天命であるからです。

もう一つ、中村に与えられた使命があります。それは「良き技術者たれ」ということです。
私の父が生まれた「中村家」はお茶製造業です。農林大臣賞を20回も受賞している日本一の茶師を輩出してきました。

禅宗を広めた鎌倉幕府は、その必需品である「茶」「梅」「桑」「豆腐」「納豆」のうち、茶の栽培を「中村家」に委ねました。茶祖栄西が中国から持ち帰った種は、京都栂尾高山寺に蒔かれ、その種(しゅ)を現在の入間市二本木の「中村家」に委ねたのです。いつのことだかは分かりませんが、禅寺の必需品だけに「鎌倉時代初期」と考えるのが妥当でしょう。当たっているとすると父の生家である「中村家」は、鎌倉時代から750年以上に渡ってお茶をつくり続けていることになります。

インターネット検索で「お茶」「鈴木園」と入力しても3万件余りのヒット数ですが、「中村園」では245万です。最後に記しますが「鈴木さん」はまったく別な役割を持った一族です。

北条政子が鎌倉に建立して、茶祖栄西が初代住職になった臨済宗の寺院建長寺の「影武者的公務員」用の禅寺が、二本木の臨済宗禅寺である寿昌寺であり、「中村家」の菩提寺です。

禅宗をもとに全国に目を向けた場合、鎌倉幕府が禅宗用につくらせたお茶は「相模の中村家」だけでなく、「宇治の中村家」や「鹿児島の中村家」など「相模の中村家」とはルーツの異なる「中村」でしょう。その理由は、臨済宗の「派」が建長寺派ではなく、おそらく京都から派生したものと考えられるからです。

最初にこのように記しました。
中村のルーツは平家であると考えられます。そして、鎌倉時代以降は「影武者的公務員」として村づくり、「宿」や「町」づくり、産業づくりの中心となり働いたのが「中村一族」です。

お茶づくりだけでなく、梅干しづくりの農業技術者として活躍したのかもしれません。「町」づくりの図面を作成した技術者であったかもしれません。時の政権の「影武者的公務員」として、決しておごることなく忠誠を尽くしてきた日本中の「中村家」。平家の名を捨て民と共に歴史を刻んできた日本中の「中村家」。
これからも決しておごることなく、「弱い者の味方」であって欲しい。それが、「中村家」の歴史を語る一人の「中村」から、日本中の「中村さん」に贈りたいメッセージです。
http://dream333.seesaa.net/article/283863914.html

2012年06月24日
全国の鈴木さん必読「鈴木さんのルーツ」
約170万人の鈴木さんのルーツはここにあります。
http://dream333.seesaa.net/article/277003100.html







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2013年01月10日

「鉄腕アトム」が教えてくれるもの

2012年09月30日
手塚治虫とウォルト・ディズニーの深い信頼関係

2012年6月2日 朝日新聞特集記事より

<引用開始>
手塚さんは、別の自伝「ぼくはマンガ家」で、敗戦直後、米兵に殴られたことを明かしている。泣き寝入りするしかなかった。青春時代に直面した差別だった。そして記した・厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず、しぜん、ぼくの漫画のテーマにそのパロディがやたらと現れた;
<引用終了>

手塚さんは1928年生まれです。終戦直後というとまだ10代のころのことです。この文章を読んで理解できる人が、この日本にどれだけいるでしょうか。
http://dream333.seesaa.net/article/294798496.html

同記事を「鉄腕アトム」の視点から再考したいと思います。

<引用開始>
アトムは原子力をエネルギーにしている。妹の名前もウランだ。このためアトムは「科学万能主義」の申し子のように思われがちだが、手塚さんは、自伝『ぼくのマンガ人生』でこうつづっている。
ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会に矛盾をひきおこすかがテーマになっている」
加えて、手塚さんがアトムの中で描こうとしたのは、差別の問題だった。
アトムは、人間より人間らしい心を持ちながらも、ロボットとして差別され、ロボットの体と人間の心のはざま、いつも葛藤していた。
<引用終了>

昨日も書きましたが、手塚さんも、アメリカ的に理屈(文字やことば)に論破されて自分をコントロールしてはいけないと言っているのです。

そもそも論として、科学の定義はどういうものでしょう。辞書をひいてもよく分かりません。
私は、かつて講演で「科学の科は分けるということ、違いを分ければ違いが分かる」と述べてきました。関連することばは、分別、しゅん別、区別、仕分けなどのことばがあります。

ということは、人間を科学するということは、人間を分けるという意味になります。つまり、民族、部族と言う「種」に分けて「種」を学ぶことが科学ということになります。そうすると面白いことが分かってきます。
それは、日本人は「種」無き国家アメリカに学ぶことはできないということです。アメリカ人から学ぶことは何もないと言っても過言ではありません。

反対に言えば、アメリカ人は日本人を教えられないということです。東京ディズニーランドのセキュリティ課に勤務していた頃、アメリカ人指導者は「真夏でもスーパーバイザーは背広着用」と言ってきました。その理由は、「内ポケットに拳銃を隠していると相手に思わせるためだ」という理由でした。

バカげた話です。

科学技術の進歩とは、人間仕分け技術の進歩という意味ですから、手塚さんが言う「ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会に矛盾をひきおこす・・」は実に的を射た一言であり、結果が現在の日本の姿です。

昨日紹介した「スタンフォードの自分を変える教室」ですが、結論は「これからも科学者のような見方で臨んでください。338ページ」です。つまり、「人間性を捨てなさい」と言っているに等しいのです。科学の子アトムに「人間のこころ」を捨てなさいと言っているように私には思えて仕方ありません。

まだまだ、「鉄腕アトム」や手塚さんが教えてくれることはたくさんあると思われます。東日本大震災以降、パラダイム(物の見方、考え方)が変わった日本人は、「鉄腕アトム」を「古き」とし、「新しき」を知らなくてはいけない時期にきていると私は確信します。

「鉄腕アトム」の歌詞
http://j-lyric.net/artist/a04bc64/l006933.html


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2013年01月09日

「スタンフォードの自分を変える教室」を読んではいけない


10月31日発刊の本であるが、すでに34万部突破という広告が本日の朝日新聞に掲載された。

私は、2冊の書籍を著しているので出版に関しては無知ではない。34万部が印刷数であることは理解できるが、全国書店チェーンで1位という記録には納得がいかない。出版後、大きな広告は打ってこなかったこと、TUTAYAに行っても、拙書「『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』時のようなキャンペーン扱いでないことから、この数字は出版社による捏造の可能性が高いと疑う。

購入して読んでみた。33ページまで読んで読むのを止めた。そして、最後の338ページを読んだ。

以前に「バカの壁」という本がバカ売れした。この本同様に、「自分コントロール本」であるが、この「スタン・・」も趣旨は同じである。
最初のことばが「自分を知ることは、自己コントロールへの第一歩です。20ページ」であり、最後のことばが「これからも科学者のような見方で臨んでください。338ページ」である。

つまり、このブログに何回も記しているように、アメリカ的に「理屈(文字やことば)に論破されて自分をコントロールしなさい」と言っているのである。人間的な「感情」「美的感覚」「倫理観」「想像力」「創造力」は不要、科学(ロゴス、理論)に服従せよと言っているのである。

著者はアメリカのスタンフォード大学での研修会で97%の受講者が、自分を変える効果があったとしているが、著者には申し訳ないが、日本人とアメリカ人では「脳力」が違うのである。そんなことも知らないで、2月1日には、来日記念講演を行うようである。「無知害」極まる。

白人は有色人種を見下げているようであるが、実は反対である。これからは、白人のバカさ加減を笑ってしまおうではないか。

今日の朝日新聞に掲載された著者の姿は、日本人を見下しているように私には見える。あの、映画「エマニエル婦人」を連想させる。
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2013年01月08日

歴史はつくる側の視点で見ると分かりやすくなる


私は東京ディズニーランドの運営責任者を長く務めてきました。東京ディズニーランドをつくってきた私たちは、「仕掛ける」側にいました。

質の高いエンターテイメントは、アメリカに輸出されていると言っても過言ではありません。
10周年のイベント「イッツ・マジカル」のキャッスルステージショーも日本人がつくりました。このショーはその後、本家アメリカのディズニーランドでも上演されたと聞いています。

キャッスルステージショーでは、ミッキーやミニーが「ポーン」とステージ上に現れるシーンがありますが、あの技術は、日本の(株)ダイセルの技術です。
何の技術であるか知りたくありませんか。

お教えしましょう。実は航空自衛隊機から座席ごと脱出する技術が使われているのです。その技術とは何か。それは、「爆発」を制御する技術です。もちろん詳しいことは分かりませんが、ダイセルの役員の方々への講演会で、そのように教えていただきました。

エンターテイメント関係者に限らず、すべてのキャストは「ゲストに楽しんでもらうためにはどうしたらいいか」という「仕掛ける」側の視点で物事を考えるよう教育されています。

さて、歴史の話しに移りますが、この「仕掛ける」側の視点に立つと歴史の原点と連続性が見えてきます。
私は、私の先祖が忠誠を尽くした源頼朝を原点に開国前までを考えるようにしています。源頼朝はウォルト・ディズニーのように「1192良い国」づくりを「仕掛ける」側の人間、私はその分身であると考えると歴史の真実が見えてきます。そして、源頼朝なら地方に散らばった侍や農民たちに、敵国が攻めてきたときの訓練をさせたに違いないと類推するのです。

そして、インターネット検索すると日本史を研究している人たちなどが、その通りの事実を教えてくれるのです。こうすることにより、古文書をひもとかなくても歴史の真実がはっきりと見えてくるのです。

翻って、現在の日本では、主権者たる国民が「仕掛ける」側にいません。まるで、東京ディズニーランドのゲストのように、与えられるテレビ番組やニュースを受け入れ続けています。政治も同じ、私たちがどんなに反対しても「官僚」が「仕掛ける」側にいるため、原発ゼロは望めないような状況です。

どうにかしなくてはならない、中村党はそう考えます。

追記
インターネット上で「不正選挙」で検索すると面白い情報がいっぱいです。
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2013年01月07日

少し疲れています

今は、過去の記事を提供するしかありません。
http://dream333.seesaa.net/article/278829476.html



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2013年01月06日

「八ッ場国際リスク管理センター構想」の提案

未だ体調がすぐれません。2年前の都知事選立候補表明前に記した提案書をご高覧下さい。

1、提案の端緒
この国の阪神淡路大震災発生時及びハイチ大震災発生時の初動体制を含む救援活動体制には、決定的な不備が見受けられ、必要な救援活動に支障を来していることが判明したため。

2、現状の問題と今後の方針
@リスク管理体制の問題
見えづらいリスク管理体制からオープンな「非常事態コントロールセンター」を首相官邸内に設置する。台風の襲来など災害の発生が予測される事態や、大震災や大規模山火事など、突然の災害時に俊敏に対応できる体制を構築する。

A思想的問題
「災害が起きてから救援隊が動き出す」という思想から、「常に日本の救援隊はスタンバイ状態にある」という思想に切り替える。

Bマンパワーの問題
救援チーム = 「自衛隊 + 医療チーム」から「自衛隊 + 医療チーム + 民間人ボランティア」に切り替える。

C長期的展望
ハイチ大震災のように、「大規模災害が起きてから国際的救援隊が活動する」のではなく、「あらゆる大規模災害を国際社会が想定し、事前に国際的救援活動の効果的活動内容を取りまとめると共に、支援物資などを世界の数百カ所にあらかじめ備蓄しておく。」に切り替える。

D大規模災害に備えた救援訓練の実施
大規模災害発生を想定した救援訓練は、「未熟」と断じざるを得ない。日本における救援訓練は毎年1月17日に、世界規模の救援訓練は国連発足日の10月24に取り行う。

3、八ッ場ダム構想を「八ッ場国際リスク管理センター構想」へ
@水からバイオマスへ
水をためるのではなく、バイオマスを使用した「仮設住宅キット」「水や非常食」など膨大な救援物資や防災・救援の「知恵」をダム建設予定地にためる。

A全国から八ッ場地区へ
関東以北になると勘案されるが、高速道路網や鉄道網を使い国家備蓄木材でつくられた「仮設住宅キット」や「水や非常食」などを八ッ場地区へ陸送する。

B八ッ場国際リスク管理センターの役割
常設の国家機関である「八ッ場国際リスク管理センター(組織には国連からの出向者を含む)」は、常時世界の災害情報を収集するとともに、世界中の備蓄基地の救援物資備蓄状況などを把握する。官邸に設けられた「非常事態コントロールセンター」の指揮命令により、「八ッ場国際リスク管理センター」は、必要時に必要なだけの支援物資とマンパワーを国内外に移動させる責務を負う。(つまり、日本の首相を長とする「非常事態コントロールセンター」の指揮命令により「八ッ場国際リスク管理センター」は世界規模の救援活動の司令塔的機能を有するようになる。)

C国内のファサードマップを把握
「八ッ場国際リスク管理センター」は、「この地域で大震災が起きるとこの建物が崩壊する可能性がある」「この地域にこれだけの雨が降るとこの家が土砂災害の被害が出る可能性がある」という「個」「点」レベルからの被害想定を取りまとめ、官邸の指揮命令により、当該自治体に改善命令を出すと共に、災害発生時や予測時に自治体の取り組みが十分に取り行われるよう、ナビゲーションする義務を負う。(バックキャスティング方式により、プロレベルの防災ナビゲーションを提供する。)

D国内救援体制の確立
首相官邸の指揮命令により、全国1,700余りの自治体の「最悪の状態」に備え、「○○市が壊滅的状態に陥った時には、こことここからこれだけの救援物資と人的支援を集める」という国内救援体制を確立する。

E災害救助犬情報の集約地に
長野原町を災害救助犬の育成重点地域に指定するとともに、「八ッ場国際リスク管理センター」を世界の災害救助犬情報の集約地として機能させ、生存限界の72時間の36時間前には、必要数を超える災害救助犬が現地で活動できる体制を構築する

F災害救助の「ショーケース」に
最新レスキューロボットなど、日本のハイテク救命技術の「ショーケース」とする。八ッ場地区は海外からの視察団が訪れる「世界の八ッ場」に大きく様変わりする。

4、航空自衛隊入間基地とのコラボレーション
@入間基地の2,000m滑走路利用
入間基地の滑走路と航空自衛隊所有の2機の空中給油機を活用し、支援物資を自衛隊輸送機で全世界に運ぶ。

A入間基地から初動活動がスタード
入間基地に可能な限りの災害救援物資を備蓄し、被害発生1時間後には最初の便が出発する体制を構築しておく。八ッ場地区に備蓄された救援物資を関越自動車道と圏央道を使い、入間基地に大量輸送する体制を構築する。阪神淡路大震災時は水と食料が行き届くまで1週間を要したが、関西地区で再び同様な大災害が発生した場合、関西地区の空港を利用し、2日以内には、全被災者に十分な救援物資を届けることができる救援体制を構築する。(来年の1月17日には、神戸空港を使用した実際の総合救援訓練を取り行う)

B入間基地の国際化
西武池袋線の稲荷山公園役から近い入間基地から「自衛隊 + 医療チーム + 民間人ボランティア」を国内外に搬送する。もちろん軍用機だけでなく、民間チャーター機も最大限活用する。

5、民間人ボランティアの活躍
@団塊の世代の人々を活用
700万人とも言われる団塊の世代(戦争加害者の子供たち)が、日本の国際的民間ボランティア活動を担う。
10人に1人の70万人が国際ボランティアに登録できるよう、政府は国費でビザ必要国のビザ取得費用をまかなったり、救助犬訓練士の資格取得費用をまかなったりするインセンティブを与える必要がある。

A産業界や大学とのコラボレーション
政府は、産学協同で開発された災害救助ハイテク機械を、民間人ボランティアが動かす技術を習得する支援を行う。

B入間基地へ大集合
災害発生3時間後に、救援隊第一陣が現地へ赴くことが可能となる体制を構築する。台風などの襲来型災害の場合、バックキャスティングの手法を用い、被害を最小限に抑えるための国際的啓蒙活動を行う。例えば、110人が亡くなったフィリピンの台風災害は、襲来12時間前までに、すべての人が安全な場所へ避難していれば大量な死者はでなかった。防災ヘリコプターなどを駆使して早めの避難を呼びかけることこそが、防災の基本中の基本であることを日本の防災ボランティア、災害救援ボランティアを通じて世界中に啓蒙すべきである。

災害発生後は、入間基地内に新設された「国際ボランティア・ディパーチャー・センター」を通じて、大量かつ有能な日本の国際救援ボランティアが世界に向け、飛び立っていくことになる。

6、将来的構想
@パラシュートの活用
ハイチの大震災の救援活動がうまくいっていないのは、「コンクリート文化」国の震災には、人間の力では処理できない大量の「がれき」の発生が伴っているからである。車での物資の輸送や人の移動という手段が機能しなくなり、被災地は完全に孤立してしまう。唯一アクセスを可能にさせるのは空からの手段であるが、ヘリコプターの活用にはヘリポートの関係から量的制限がある。輸送機から直接、安全な場所へ降下させることができる動力付きパラシュートや遠隔操作型の無人気球など、空からのアクセスの手段を講じる必要がある。

A東アジア共同体への貢献
アセアン加盟国や地震対策の後進国と言われる韓国への災害時の救援意志を明確に表明するため、使われていない硫黄島の2,650mの滑走路(遺骨収集問題も発展的に解消できると考える)や、3,000mの滑走路を有する沖縄県下地島の飛行場周辺に支援物資を「山積み」しておく。両飛行場を「独立地域」と位置づけ、災害発生時には世界各国からの往来をフリーにすることにより、アジア地域の救援物資が集まる「ハブ空港」としての機能を有するようになる。友愛ボートも含め日本はアジア諸国から尊敬され、信頼される国になることができる。

B長期的復興計画の立案と実行
日本は焼け野原から、「木の文化」を捨てなかったことより完全なる経済復興を果たした。ハイチも同じである。再び「コンクリート文化」に戻り同じ過ちを繰り返さないよう、地震に強いアメリカ型の住宅の建設によって復興がなされるべきである。その、復興プランを日本人の手で立案し、国際協力のもと、日本人が中心的役割を担い復興を成就させるべきである。その場合大切なことは、日本人若者によるハイテク機械の遠隔操作技術を活用させることである。

C画期的救援エリアの整備
例えばメキシコの北部の活用されていない砂漠地帯に日本の超伝導リニア技術や沙漠緑化技術を用い、100万人規模の人が一時的に避難したり、仮設住宅として暮らしたりできる「国連管轄エリア」を用意しておく。(1,000人規模の刑務所も用意)カトリーナクラスのハリケーン襲来時には、航空機やリニア新幹線で大量の人や物資を運ぶ。このような場所を世界十数カ所に事前に用意しておけば、この地球に暮らす人々は災害に苦しめられることはなくなる。この壮大な計画を立案し、国際機関と共に実行に移すのが日本人であれば、日本は世界一尊敬される国になる、私はそう信じて疑わない。
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2013年01月05日

アジェンダを達成する名言集H


風邪気味です。
インフルエンザでなければいいのですが・・・
正月を意欲的に過ごし過ぎた可能性があります。しばらく休養したいと思います。

バツ1天才とは、複雑なものを簡単なものに変化させる能力である。 C. W. シーラム.
バツ1苦しみは人間の偉大な教師である。苦しみの息吹のもとで魂は発育する。エッシェン
バツ1自分が愛されていないと感じるがゆえに、自分も人を愛せない。ジム・キャリー
バツ1夏の虫氷を笑う(日本のことわざ)

http://dream333.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83A%83W%83F%83%93%83_&vs=http%3A%2F%2Fdream333.seesaa.net%2F&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis
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2013年01月04日

正月の次は小正月


天領の地旧元狭山村では、神聖なまゆ玉行事以外に、子どもたちだけにある小正月の「しきたり」を行うことが許されていました。それは、たとえば柿の木に対し「なーるか なんねーか」と声を掛けることだったようです。時間は14日の早朝だったようです。

なぜ、こんな風習が残っていたのでしょうか。ヒントはやはり、「和」の国です。小正月とは、中国の陰暦による正月です。鎌倉幕府は当然、日本国が、オリジナル日本人と韓国や中国からの渡来人で構成されていることを知っていました。

昭和の時代になっても鎌倉文化を色濃く残す元狭山村では、公式には「大正月」に反する風習はオフリミットされてきましたが、それでも子どもたちへの「和」の精神の教育に、中国から入ってきた植物が活用されていたのでしょうか。

もちろん、正解は分かりませんが、戦争を除く歴史は美しいものと考えた方が、人生は楽しくなると考えますが、いかがでしょうか。
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2013年01月03日

二本木中村園のお茶について


以前にも記したように、中村家システムとは、鎌倉幕府が創造した1192(良い国)を築くための公務員システムでした。つまり、当時の全国の中村家は、民が治めた税金で生活していたのであり、尊敬などする必要はありません。二本木の中村家は、鎌倉時代から禅宗に必要不可欠な「禅茶」を天領の地(公用地)でつくり続けてきただけです。

それでも、時代が一挙に変わった戦後は、資本主義の嵐の中で中村茶を再生させてきました。私は製造には全く関係していませんが、中村家第14代、15代茶師の努力には感服いたします。

さて、お茶好きの女性からこんな質問を受けることがあります。それは「お茶販売店で味見して、味に納得したお茶を家で入れてもおいしくない、どうして?」というものです。

その答えはいくつかに分かれます。
その1 水がおいしくない。
水道水で入れてもおいしくいただくことはできません。アルカリ軟水をお勧めします。
参考URL
http://www.maiko.ne.jp/study/column2.htm

その2 入れ方が間違っている。
上等な煎茶(最低でも100グラム800円以上)の湯の温度は70度くらいです。電気ポットの70度設定はここからきていると思われるのですが、70度のお湯は、冷たい茶碗に注がれるとさらに水温が下がってしまいます。そこで、生活の知恵です。90度のお湯を一度茶碗に入れて温度を下げると共に、茶碗自体の温度を上げておきます。

次に、そのお湯を煎茶(量はお茶の品質により異なりますが、大さじ一杯位から試してみてください)が入った急須に入れます。

お茶は経済的な飲み物です。一煎から三煎まで飲用に適する物とお考えください。
一煎は、煎茶に水分が吸収される段階とお茶エキスが抽出される段階です。ですから、急須から茶碗に注ぐまで少し時間がかかります。茶の品質によって異なりますが、30秒からい1分位の時間を要します。
二煎をおいしく頂くために、急須の水分は極力少なくする(お茶を出し切る)ことが肝要です。

二煎が一番おいしいと私は思っています。二煎はすでに水分を含んでいますから、一煎の半分以下の時間でお茶を注がなくてはなりません。

三煎は、完全にお茶の葉が開いた状態になるまで待った方がよさそうです。

最後に、急須と茶碗について。
お茶は文化です。文化とは心の快適性の追求を意味します。お茶文化は、お茶の「見た目」や「香り」「水色(すいしょく)」そして「味」の総合力です。最近どくどくしい色のお茶を飲まされることが多いのですが、心を落ち着かせ「白い茶碗」に入れていただいた水色が美しい味わい深いお茶を頂くことこそ至高なことはありません。

ですから、すし屋タイプの茶碗ではなく、集会所タイプの茶碗でお茶を味わっていただきたいと思います。
急須も大事です。金物の急須では味がでません。急須は成長します。一生物と考え、良いものを使い込みましょう。
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2013年01月02日

中央大学よ 箱根駅伝競争から卒業しなさい


予定を変え、箱根駅伝競争について簡単に記します。

我が母校中央大学は往路で棄権という一般的に言われる「不名誉な記録」をつくりましたが、私は不名誉とは決して思いません。

私たち人間は、母校のたすきをつなぐために生きているのではありません。日本人という「種」のたすきをつなぐことが最大の「生きがい」であるべきです。

大化の改新により、4里(16キロ)ごとに「たすき中継所」が設けられ、飛脚や早馬は16キロを走りました。16キロというのは、普通の人間がほぼ全力で走り切る限界であると私は考えます。

翻って箱根駅伝競争は、区間距離がその限界を超えたものに設定されています。特に、箱根の山登り競争は「報道するテレビ側の視点」ではなく、「勉学生」である大学生としてのスポーツとしての視点で見た場合、普通の大学生が挑戦できるものでは決してありません。

私は以前から、人と人を競争させたり、批判しあったりする「元凶」である読売新聞の思想を批判してきました。

中央大学生よ、「根性」とか「闘魂」とかいう世界から卒業しなさい。私たちの力は「知」です。行き過ぎた競争社会づくり、日本人同士がいじめ合うことを価値観とする読売新聞思想を、勇気を持って捨て去りましょう。
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2013年01月01日

明けましておめでとうございます


このことばも大嫌いでした。なぜ「明けておめでたいのか」が理解できなかったからです。

年賀状も大嫌いでした。どうして、「明けましておめでとう」と書かなくてはいけないのかという理由が分からなかったからです。

自分では、勇気のある行動と自賛しています。私は、東京ディズニーランドを去ってから一枚の年賀状も出していません。

しかしながら今、次のステージに入ってきたように私は思います。混乱した今の世の中、何度でもリセットできることこそが、世を明るくすると考えます。日本人の新たなネットワーク(携帯電話での「おめでとう」も立派なネットワークと思います)として、未来永劫続く日本人ネットワークを築くことが大切と私は考えます。

明日は、日本茶について記します。
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2012年12月31日

お正月を迎えるにあたって考えること


大みそかです。私のブログをご高覧頂いている方も、長い記事は止めてくれ、とお考えのことと思います。

子どもの頃は「もういくつ寝るとお正月♪」人間でした。親戚の人と交流することで自分の「価値」や「居場所」を、訳がわからない座標軸上や貸借対照表上に見つけていたのだと思います。

結婚して、東京ディズニーランドで働くようになってから、お正月が大嫌いになりました。年が変わるとすべてがリセットという日本的風習が理解できなかったからです。形式的な年賀状も私は否定していました。今、私に届く年賀状は一枚もありません。

そして今、お正月という文化(文化とは心からの満足するもの)を持つ国は日本しかない、この日本文化は大切にしなくてはならないと思っています。

私はお正月に参加できる人間ではありません。今でも家族とは会えません。それでも、家族や多くの友人たちには、この美しき日本文化を大切にして未来永劫継続させて欲しいと願って止みません。


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2012年12月30日

元狭山村の「逆さことば」


元狭山村の言葉は、大きく分けて「公家ことば」「武家ことば」「禅寺ことば」「小田原ことば」「地方からの導入ことば」に分けられます。

「逆さことば」とは、以前に紹介した「座間をみなさい」など、現在使われていることばの逆さまのことばを意味します。

その中から、文学界の謎を解く元狭山村に伝わることばを紹介します。

関谷和著「子どものころ聞いたことば・話していたことば」埼玉県入間郡元狭山村(二本木)の方言覚え書きより

<引用開始>
でく
名詞 人形 ・赤い帽子、赤い服、手足がつけ根のところからばたばたと動き、ぱっちりとした大きい目、小さな赤い口がプリントされていた。祭りの屋台店に並んでいた姿を思い出す。また、宮沢賢治の詩の一節、「みんなに“でくのぼう”と呼ばれと云うのも思いだす。女の子たちは真っ黒によごれたこの「でく」をおぶい(おんぶし)“ままごと遊び”では、赤ちゃんにしたり、お客様にしたりしていた。
<引用終了>

宮沢賢治の「雨メニモマケズ」
「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体をもち
慾はなく 決して瞋らず

いつも 静かに笑っている
一日に 玄米四合と 味噌と

少しの野菜を食べ
あらゆることを

自分を勘定に入れずに
よく 見聞きし 分かり

そして 忘れず
野原の 松の林の 陰の

小さな 萱ぶきの 小屋にいて
東に病気の子供あれば

行って 看病してやり
西に疲れた母あれば

行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば

行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、

つまらないから やめろと言い
日照りの時は 涙を流し

寒さの夏は おろおろ歩き

みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ

褒(ほ)められもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい
<終了>

「東に、西に、南に、北に」関しては、聖書のことばと重なりますが、今日は解説しません。「逆さことば」の「でくのぼう」に集中します。

と言っても、決して難しくないと私は考えます。宮沢賢治がキリスト教の影響を受け、救済心からこの一文を書いたことは、「銀河鉄道の夜」からも読みとれます。

キリスト教は仏像のような偶像を崇拝することを禁じています。一方で、宮沢賢治は熱心な仏教徒でした。

これらのことから類推すると、宮沢賢治が「キャラクター」になりたい、と考えていた結論を導き出すことができます。

現代にミッキーマウスや、さまざまな愛するべきキャラクターが存在するように、宮沢賢治は、自分を「施し」のキャラクターとして位置付けたに違いありません。

元狭山村の「でくのぼう」は、間違いなく愛するべきキャラクターです。
少しずつですが、元狭山村ことばの分析が進んでいます。秩父や、青梅の天領(公務員用地)の人たちとも連絡が取れてきました。

何回も書きますが、宮崎駿監督はこのように記しています。

映画「千と千尋の神隠し」のパンフレットより
<引用開始>
ボーダレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間は、過去を持たない民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰われるまで玉子をうみつづけるしかなくなるのだと思う。
<引用終了)

幸いなことに、関谷和氏や、方言を研究する会などが、過去の元狭山村や秩父に伝わる文化研究の成果物を残してくれています。私たちはそれを、次の世代に引き継ぐ役割があると考えます。
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2012年12月29日

美しき鎌倉時代の伝統を伝えた旧元狭山村


すぐに新年、戦前の慣習でいえば、日本人はまた一つ年をとることになります。

鎌倉時代以降、天領(公務員の地)であった昭和初期の元狭山村には、当時の武士・公家文化がそのまま残っていました。もちろん、その中心は税金で食べていた、おごった元平家の末裔(まつえい)「中村家」であったことは疑う余地はありません。それでも「中村家」は今日まで源頼朝の教養を受け継いでいます。

私の曽祖父が初代村長の元狭山村にしか残っていない記録を紹介します。

関谷和著「子どものころ聞いたことば・話していたことば」埼玉県入間郡元狭山村(二本木)の方言覚え書きより

<引用開始>
としとり
節分、豆まきの日(2月3日、4日ごろ)

その昔、年をとるのはこの日であったらしい。この晩は豆をまき、魚の頭と柊(ひいらぎ)の枝を戸口にさした。それらの行事が始まる前の夕暮れどき、一つ年上の人のところへ“年もらい”に行った。「おめーの年をおれにくんろい」「やん(やる)べーや」戦前は今のような“満年齢制”ではなく、1月1日にひとつずつ年をとる“数え年制”であった。でも私たちはほんとうにみんなが年をとるのは、節分の日だと思っていたわけだ。
<引用終了>

いかがでしょうか。たとえば15歳の人が14歳の人に自分の「年」をあげる、つまり天の子たる日本人として15歳という「年のたすき」を次の14歳の人につなぐのです。こんな美しい文化は世界中を探しても、元狭山村にしか見受けられないのではないでしょうか。

今、日本人は「自分さがし」をしていますが、人生はそんなに複雑ではないことが分かってきました。個体としての日本人という「たすき」を次の世代につなぐことこそが、日本人の価値観(ナショナリズム)であるべきです。

最後に、私が尊敬する自民党の元衆議院議員加藤紘一氏のブログ記事を紹介しておきます。

この国の形
http://www.katokoichi.org/thoughts/nippon.html
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2012年12月28日

今日は「うち入れ」という料理の話をします


日本人は、クリスマスや年末年始を迎えると、何か角が取れてやさしくなれます。そして「日本に生まれて良かった」と思うものです。

まもなく、おせちに始まり七草粥に終わる「正月」がやってきます。今日から7日まで、できるだけ日本文化について書いていきたいと思います。以前も書きましたが、スーパー日本人、日本人はすごいなあと感じる毎日です。来年の桜が咲くころには、美しき日本の歴史に関するレポートを発表できるものと思っています。(ちなみに、今アベノミクス(安倍+エコノミクス)という言葉が、新聞紙上で見受けられますが、ネットではアベリカ(安倍+アメリカ)という言葉も見受けられます。日本人の右脳による想像力って世界一ですね。

本題です。「うち入れ」とは、山梨県名物の「ほうとう」の関東版です。
元狭山村の方言
「こどものころ聞いたことば 話していたことば」関谷和著より

うちいれ
名詞 手打ち(手造り)うどんの煮込み 生のままのうどんを沸とうした鍋に入れ煮る。煮えてからしょう油、味噌などで味をつける。野菜をたっぷり入れる。あれば油揚げ、きのこなども
●秩父では“おっきりこみ”甲州では“ほうとう”長野ではおなじく“うちいれ”なんとなく物騒な名前ばかりだ。寒い冬の夜のこの上ないごちそう。

「生のまま」というのは、塩をいれないという意味に捉えてください。塩を入れて長時間寝かすと、それは「うどん生地」になります。つまり、塩をいれず「寝かす(熟成させる)」必要のないうどんが「ほうとう」なのです。

私が父から教えられた「ほうとう」である「うち入れ」の作り方をお教えします。簡単ですごく美味しいですよ。

最初に、スーパーや農協などで売っている地粉で、地粉の「うどん玉」をつくります。ボールに地粉を入れ、水を差しいれながら練りあげ、耳たぶより少し硬い位の「玉」にします。そして、夏場であればビニールに入れた「玉」のまま1時間ほど、冬場でもこたつのなかで1時間ほど寝かせ、水と粉を「合体」させます。

次に、きのことモヤシを用意します。きのこは、地場産の紫シメジやチチダケがあればベストですが、スーパーで売っている「ひらたけ」「しめじ」でOKです。

最初にブイヨン(出汁)をとります。少し多いかなと思われるサラダ油をひいた少し大きめの鍋で、きのことモヤシを炒めます。かなりしっとりしてきたら、後のスープとなる水をいれ煮込みます。

「玉」になり、しっとりとしてきた「うち入れの麺の元」を適当に分解し、まな板上で伸ばし、適当に包丁でカットして麺にしたり(これが「ほうとう」という麺になります)、手の親指の下をうまく使って麺をちょん切ったり(これが「団子汁」という食べ物になります)して、いわば、ラーメンの麺に仕立て上げます。

スープを味わってみましょう。なるべくきのこを多く使った方が味は濃厚になります。味付けは醤油だけですが、お好みで市販のダシを加えてもいいと思います。やはり、上品な醤油のほうが上品な(キンキンしない)味が生まれるようです。これ以上は「各家庭の味」としか言いようがありません。トッピング?として、なすやインゲンを加えれば最高ですね。

鍋の中のラーメンのスープに麺をいれ湯がくように(イメージ)、地粉でつくった「麺」を入れ、芯がなくなるまで茹でます。(ゆで時間は、麺を食べてみれば失敗しません)

スープが少ないと、水分が吸収された「麺」ばかりになりますが、それもまた美味い物です。

シメジも安い、モヤシはもっと安い、失敗しても何も失いません。成功すれば、自分の人生だけでなく、次の世代へのプレゼントになります。

おせちに飽きた頃、試してみてはどうでしょう。


posted by S・C・ NAKAMURA at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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